2024年5月の記事一覧
5/26 『MANICAL』な休日
教え子?の芝居を観に早稲田へ。昼は「ワセメシ」でも食うかぁ!と思っていたが、家でダラダラしていることを選んだ。芝居を観たら村上春樹ライブラリーに行ってみるかぁ!とも思っていたが、家でダラダラすることを選んだ。持つべきものは体力、気合い、元気がなければ何もできないのである。
観たのは、劇団くるめるシアター『MANICAL』。「魔法使い」の世界に迷い込んだ「人間」の少年と「魔法使い」の少女の物語なの
5/25 現代文を教えるということ
休みの日は、落ち着いて仕事ができる。
現代文の授業の準備をしながら、精読の方法を教えるということの難しさを改めて感じる。言語化はできる。文と文の繋がりが、並列か、論を進めたものか、比較したものか。前提としての語彙や知識。どれが段落の要点で、この段落はこの結論を補強する事例であり……あるいは、二項対立であったり、共時的と通時的の十字の図式だったり、そういった論理の型を捉えたりと、そうした文章の解析
5/19 日記/Memento Mori 2
日記は流行っているのだろうか? だとすればそれは、日記のような形式(質と量)でしか物事を考えることのできない人々の間でのことなのではないか(勿論、能力だけのことを言っているのではない)。
昨日は病院に行き、今日は少しばかり仕事をして、あとは赤子とだらだら過ごしてしまった。土曜が休みのときはだいたい通院である。毎月毎月、死ぬまで病に時間と金を取られ続けるんだなぁと暗澹たる思いになる。私にとってのM
5/16 雨の日の椅子取りは/現代の詩人の主戦場を聴く
雨の日、我々が教室で勤しんでいた椅子取りゲームは、満員電車の予行練習なのであった。それは学歴奪取の、キャリア形成の象徴であり、人の世で生きるということの始まりなのであった。
満員電車に押し込まれて突っ立っていると、当然読書どころではなく、音楽でも聴くほかないのだが、思うに、現代の詩人の主戦場はポップスにあるのである。と思ってJ-POPを聞き取っていると、新しい言語使用とイメージを開拓せんとする意
5/15 厳しいライフ
当時において一定の影響力があったのだろうと思われる言説がある。あまり詳しくないのだが、おそらくはこうした考え方が自然主義者たちのライフを私小説的告白にふさわしいものに荒廃させていったのだろうと想像される。鴎外は当然このような立場にはないだろうが、ライフとアートの一致/関係の問題は、先日考えたノンフィクション/フィクションの関係にも関わっているのだろう。古くて、現代的な問題。
しかし、ちょっと忙し
5/13 Memento mori/お役所仕事
昔から電車の人身事故には特別な気持ちを抱いてしまうのだが、思うに、それは自分にとって最も身近な死だからだろう。日常に巧妙に隠蔽された死というものに、このレールが繋がっている。この車両に、この車輪に轢かれて死んだ人がいる。
雨の日は本が読みにくく、プラットフォームからレールを見下ろし、ぼーっと車窓の外を眺め、そんなことを考える。
19時くらいまで残っても1秒も授業準備ができないというのは、教員の
5/12 何を目指して
昨日は書き損ねた。仕事から帰ってきて、体調を崩して横になり、そのまま寝てしまった。今日も半日を回復に使い、まったく、休日は週に2日はなければならない。教員の待遇改善の第一歩、週休2日制の実現。
トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』を読み始めた。ジャケ買いしたのだが、読み始めて面食らい、これは何だろう、詩的エッセイとでもいうのか、と困惑しヒントを求めて訳者あと
5/10 「神様」、ワイヤレスイヤホン
森鴎外『青年』。鴎外、良いなぁ。一級の知性にして、凡人。
川上弘美「神様」を読んだ。私が読むと、不条理というか、マジックリアリズムというか、非現実的なことをリアリズムの文体で書く、その手腕、あるいはそのように書くことのできる文学のおもしろさ、みたいな観点が一つ。それから、異文化共生的な観点が一つ。どちらも、得意分野ではないというか、興味のある分野ではないというか……。
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