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書くことがないときに僕の書くこと2024

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読むこと、書くこと、教えること、生きることについて
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2024年5月の記事一覧

5/28 2つの赤裸々さ

岡崎裕美子『発芽/わたくしが樹木であれば』を読んでいるが……嫌な言い方をすれば「赤裸々系」とでも呼べようか、鋭さと呼べそうなものはあるのだが、深さ、と呼べそうなものを感じない。私が深く読めていないのだ、というのはそのとおりなのだが、深く読もうという気にならない、気がする。うーむ。

妻がNHK「理想的本棚」を録画したものを見ていて、笹井宏之の『えーえんとくちから』が紹介されており、やはり良い歌集だ

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5/26 『MANICAL』な休日

教え子?の芝居を観に早稲田へ。昼は「ワセメシ」でも食うかぁ!と思っていたが、家でダラダラしていることを選んだ。芝居を観たら村上春樹ライブラリーに行ってみるかぁ!とも思っていたが、家でダラダラすることを選んだ。持つべきものは体力、気合い、元気がなければ何もできないのである。

観たのは、劇団くるめるシアター『MANICAL』。「魔法使い」の世界に迷い込んだ「人間」の少年と「魔法使い」の少女の物語なの

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5/25 現代文を教えるということ

休みの日は、落ち着いて仕事ができる。

現代文の授業の準備をしながら、精読の方法を教えるということの難しさを改めて感じる。言語化はできる。文と文の繋がりが、並列か、論を進めたものか、比較したものか。前提としての語彙や知識。どれが段落の要点で、この段落はこの結論を補強する事例であり……あるいは、二項対立であったり、共時的と通時的の十字の図式だったり、そういった論理の型を捉えたりと、そうした文章の解析

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5/23 やいやい

埼玉県に暑いことで名高い「熊谷」という地名があり、「くまがや」と読むが、この地を拠点とした武将の一族「熊谷」は「くまがい」であり、こちらの方が古いのではないかと思うのだが、しかし、「や」とか「い」って何だろうと、ふと不思議に思った。調べると、「谷」の字を「や」と読むのは関東の読み方らしく、「い」というのは「や行」の「い」だろうから、そういう音の変化が起きるのは想像しやすいが、つまりは関東方言、のよ

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5/21 歌集が読めない

岡崎裕美子『歌集 発芽/わたくしが樹木であれば』を読んでいる。この文庫が出るまで単行本が手に入れにくい状態で、雑誌や短歌の本などに載った幾首かを読んで「これはすごい!」と思っていた時期もあったのだが、こうして歌集で続けて読んでいると、何というか、映画のワンシーンとかの方がよほど詩だなぁという気持ちになってしまった(ここで映画が思い浮かぶのは、世に評判の「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤

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5/20 性活

主人公の「日記」という体で書かれている。だからだろうか、わかりやすいようでいて、つまりどういうことか、と考えると、なかなか掴みがたい。生活……ってなんだ?

『ヰタ・セクスアリス』もそうだが、森鴎外の私小説敵なもの(ライフ=アート)との距離感は考える価値のありそうな問題である。いわゆる自然主義・私小説・告白から一定の距離をおこうとしているように見える一方で、森鴎外においては、間違いなく、性欲がまた

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5/19 日記/Memento Mori 2

日記は流行っているのだろうか? だとすればそれは、日記のような形式(質と量)でしか物事を考えることのできない人々の間でのことなのではないか(勿論、能力だけのことを言っているのではない)。

昨日は病院に行き、今日は少しばかり仕事をして、あとは赤子とだらだら過ごしてしまった。土曜が休みのときはだいたい通院である。毎月毎月、死ぬまで病に時間と金を取られ続けるんだなぁと暗澹たる思いになる。私にとってのM

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5/17 筆を選びたくない

先日、AirPods Proが気に入らず、かつてのゼンハイザーが懐かしいのだが、Apple製品に囲まれている以上AirPodsのすぐに繋がる利便性を手放し難いといったことを書いたのだが、まったく、モノというか、道具には拘りを持ちたくないものだ。いや、拘りを持つにしたって、それは「これでないとダメ」というものではなく、道具を次々に乗り換えていくその乗り換え先の拘りみたいなものであってほしい。と、しば

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5/16 雨の日の椅子取りは/現代の詩人の主戦場を聴く

雨の日、我々が教室で勤しんでいた椅子取りゲームは、満員電車の予行練習なのであった。それは学歴奪取の、キャリア形成の象徴であり、人の世で生きるということの始まりなのであった。

満員電車に押し込まれて突っ立っていると、当然読書どころではなく、音楽でも聴くほかないのだが、思うに、現代の詩人の主戦場はポップスにあるのである。と思ってJ-POPを聞き取っていると、新しい言語使用とイメージを開拓せんとする意

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5/15 厳しいライフ

当時において一定の影響力があったのだろうと思われる言説がある。あまり詳しくないのだが、おそらくはこうした考え方が自然主義者たちのライフを私小説的告白にふさわしいものに荒廃させていったのだろうと想像される。鴎外は当然このような立場にはないだろうが、ライフとアートの一致/関係の問題は、先日考えたノンフィクション/フィクションの関係にも関わっているのだろう。古くて、現代的な問題。

しかし、ちょっと忙し

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5/13 Memento mori/お役所仕事

昔から電車の人身事故には特別な気持ちを抱いてしまうのだが、思うに、それは自分にとって最も身近な死だからだろう。日常に巧妙に隠蔽された死というものに、このレールが繋がっている。この車両に、この車輪に轢かれて死んだ人がいる。

雨の日は本が読みにくく、プラットフォームからレールを見下ろし、ぼーっと車窓の外を眺め、そんなことを考える。

19時くらいまで残っても1秒も授業準備ができないというのは、教員の

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5/12 何を目指して

昨日は書き損ねた。仕事から帰ってきて、体調を崩して横になり、そのまま寝てしまった。今日も半日を回復に使い、まったく、休日は週に2日はなければならない。教員の待遇改善の第一歩、週休2日制の実現。

トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』を読み始めた。ジャケ買いしたのだが、読み始めて面食らい、これは何だろう、詩的エッセイとでもいうのか、と困惑しヒントを求めて訳者あと

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5/10 「神様」、ワイヤレスイヤホン

森鴎外『青年』。鴎外、良いなぁ。一級の知性にして、凡人。

川上弘美「神様」を読んだ。私が読むと、不条理というか、マジックリアリズムというか、非現実的なことをリアリズムの文体で書く、その手腕、あるいはそのように書くことのできる文学のおもしろさ、みたいな観点が一つ。それから、異文化共生的な観点が一つ。どちらも、得意分野ではないというか、興味のある分野ではないというか……。

AirPods Proを

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5/9 国家の黎明、国家の黄昏

公立学校の財政が破綻するというのは、どういうことなのだろうか。森鴎外『青年』を読み始めたのだが、そこに描かれている国家の黎明期とは対照的な、国家の黄昏、というものを感じる。

森鴎外『青年』を読み始める。漱石『三四郎』の影響を受けて書かれたと何かに書かれていたが……鴎外の文体や主題の多様さ、小説の技術は、本当にすごい。随一の知性が文学の言葉を作っていた時代のことを思う。

しかし、『青年』の冒頭を

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