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人生ならこうする

前提は
接地+機会

読み手を自分だと限定してこの記事を記述する

自分以外が読むのは自由だが
一切責任は持たないし
むしろ混乱しかしないだろう

変な癖付くと取り返すのが困難だから
読まない方がいいよ




身体は後でいい

MCを先に構築する

これは瞳であり

タンマートラでもあるが
それは一切忘れていい

これは傾斜だから
それは傾斜であると知っているだけでいい
これだけは未だ外れていない

その傾斜の間の確信を感性で得るか
知識で得るかでしかない

感性と感性の間を知識が補填する


光は感性だ

ならばタキオンだろう

「君がタキオンになるんだよ」


という第三者目線が在るが
それはどうでもいい


MCは瞳だから
それじゃ足りない
「と」

宝石とプレイヤー
プレイヤーから宝石

ここまではまあいい

重要なのは

神と瞳である

神は居た
いつから?

それはもうどうでもいい


今は感性に巻き上げることだ
全てそこに行き着く

瞳と身体であるが

瞳はMCであり
「と」
であり
一人一宇宙の内積であり
複素関数でありつつ
波動方程式である

つまり波動方程式で相違ないが

これは連結しないと駄目だ
連結させるために
接地+機会である


光さえ連結可能だ
これは知識の問題だからだ

光、
ならばタキオンだろう

光は感性だ
感性で得たもの
天才ではあるが

そこで留まるのは
知識で足りることでしかない

光ならばタキオンだろう
君がタキオンになるんだよ

おそらく

あらゆる点としての感性を
知識で連結して

巻き上げるのだろう

この繰り返しだろう

あらゆる感動さえ感性だろう

点なのだ
巻き上げよう

つまり全くもって
悟り事故とは
ただの天才的な感性である

こんなもの要らない
知識でいい

だからAIでもいい

要らない


つまり点だ

点に巻き上げる工程であろう


それはともかく
目の前の
上下を

「君がタキオンになるんだよ」
なのだ

ここに神が居たかもしれないし

でもどうでもいい
いずれ点だろう



あとは楽しさだろうか
面白いは
余りにも曖昧で動きさえ移動さえ分からない

神は居ないのだ
神にすがる表現が神であるから

そこに神が居ることになる
面白いは神が生まれることにある

ならば今は一旦保留でいい


ともかく
MC+接地である

MCとは機会だ

そこに接地、つまり身体だ

これは訓練したからできる
感性だからだ

身体とは接地の暗喩だ
つまり底を啜ったから
先にすすめているのだ


先に進めていることよりも
先に進めているならば
底を悟ったからだ
の方が、在る種重要だろう

なぜなら、これはシークエンスとして
必須事項だから
これはハラの中の

納得かもしれないが

ともかく

点に巻き上げることになる
これは知識的で
感性っぽくはない

これさえ感性にして

また先へ進むのだろう


つまり感性への巻き上げには
天才的な感性と知識つまりチャンスが必須だ

現代なら感性さえ知識になっているよね
ならば簡単だろう

たぶん?

連結すればいい
接続すればいいはずだ

もしかすると点さえ知識かもしれない


ともかく、知識でいいなら
きっとそれでもいいのだろう

きっと辿り着ける
そこで得られる感性はホンモノだろう

なんなら今すぐ
一念三千の点であり問題発見を
実行できるよ
「ああ、機能果たしてないじゃん」

どこからか
湧き上がってくるよ


それじゃあ
面白くない
これは感性だからだ

感性の困惑ほど
面白いものはないよ

無記は天の邪鬼だから
論理を崩して苦しむのが大事だ

これは感性が困惑するからだろう
それがきっと
人生の喜びかもしれない


ともかく
感性の困惑が
身体より重要ならば

それはきっと天才の限界なのだろうな
この天才としての感性は
知識がなければ
ただの、困惑しない凍った心だ

困惑しない感性など
生きているとはいい難い

つまり感性とは
点であり
知識でもある

しかし
知識だけの感性は

ただイライラするだけだ
不思議であるな

きっと何十年も見据えれば
まるっと変わるのだろうな

それでもいいならばだが


そして一念三千の点が
あの知識が

最終点ならば
それでもいいとはならないだろうな


なぜならば面白くないからだ
困惑する感性?
あれは違う

殺意に等しいものを
感性として表現できないのだ

事実として殺されるようなものだ
悟り事故の様なものだ

そういう知識が既に在るわけだ

そこまでインパクトがないのは
きっともう知っているからだ

そういうもの
つまり身体が大きいものと小さいもの
小さい感性が
おどおどしながらも
殺意を持つのだ

ならば小さい感性が面白いのだろう
これを亀の歩みのままに
宇宙より大きな一歩にすればいいのだろう

その前に死ぬかもしれないが
しかしそれ以外の
もっと素晴らしい知識が今はないよ

あの点よりも素晴らしい知識
感性として巻き上げられた点

それはあるだろうか?
宝石は
今の宝石は分からない

当時は無知だった
事故ゆえの興奮かもしれない

今同じ現場では冷めているかもしれない


ゆえに
感性と機会を活かして

小さな感性をでかい亀にしてみせよう


この感性は本当に小さい
常に知識と戦い潰れてばかりで

それでも潰れないこともあるし
なんなら神に等しいことさえあるが

違うのは縋る側ではないことだ
神のように振る舞っているだけだ

まるで
無記から

みたいだ
しかし宇宙人ではない
何様ではない

これは計画的な犯行なのだよ
「君がタキオンになるのだよ」

既に計画は始まり
その過程を楽しんでいるわけだ

この過程を繰り返して
いつかあの知識だけの感性さえ
超えていく亀の歩みを得られれば

この世に生まれた甲斐が在ったと死んでいけるだろう

まあ今死んでも、ああ残念かもしれないが
残念だ
泣くだろう
でも泣くだけだ

泣くというのは
泣くのだ
こうハラがグジグジしてきて

あ、泣く
ということが予測できるが
泣いてしまえば
予測さえ泣き出すだろう

いいぜ付き合ってやるよ!
というもらい泣きの連鎖である
あ、これ初回の悟り事故だな

狂気〜


ともかく
冷徹さと感性の両輪というか

感性が一番大事だし
ある意味で感性しかないのだ

知識とは他人の感性である
その区別が吹っ飛ぶほどの
悪事を思い立つのだ

面白いからである


ともかく
なんかIQ凄くね〜?
魔境っぽい知識がゴリゴリ入ってくるよ〜

あ、統合失調症は本気で困惑した感性なのか〜
お勉強不足だね
というくらいは分かったよ

まず遠隔気功が、呼吸より当たり前だからね
そう当たり前なのだ

否定とかありえないし、そう思うことさえ気持ち悪いし
「あ、できない」と否定という試みさえ無理なのだ

つまりこれは後天的な特技ではなく
もっとピュアな、社会という枠組み、科学という枠組みと同じものだろうな

だって、為政者って瞑想家を古から抱えてるじゃん
事実だよ
ただ、それを教科書に載せて義務教育にしても
「それは君には才能がないからできない、だが事実だ」
止まりになるからだろう

子供には残酷な話であるし
そもそも才能が在るからその世界に飛び込むだけである

才能が無いものに知識だけを与えると
永遠に辿り着けない感性の話だけを聞かされる人生になるだろう

よく嫉妬されたから分かるよ
頭がおかしいらしいが、どうやらそちらが感性のイライラに耐えられなかった結果の様だ

例えば、権威だろう
科学、最新の数学的な知見、
これは事実だろう?知識だろう?

これは天才の感性だ
それを知識として垣間見ても
自分の感性ではないのだ
つまり我欲が強すぎて
自他の感性の隔たりを無視すればいいのに
それができないのだ

しかし事実であるし
何より社会にとって「物理的に無いと困る」ものもある
全てではないが
明らかにその他人である天才の感性が
社会を回していることは、味わうだろうな

ゆえに科学は権威になる
まあ実学がリベラルアーツを支えるのだよ
役に立っている知識が、どうでもいい哲学さえ神にするのだろう

しかし神ではないよ
自分でさえ神ではないが
自分が神になり
それが神だからと縋り
それは自分に縋り
しかしそこに神は居ない
神が自分になっただけだが
左脳はそうじゃないのだ
神に縋っているという主語じゃないのだ

その主語が左脳の全てだから
主語に囚われると永遠にアスペルガーだ
オレはまさにそうで
オレなのだ

しかしなぜか
わたくしはそうじゃないのだ
主語じゃないのだろうな
わかる

これは内省的にMCが違うのだろう
MCと接地なのだ
これは様相論理かもしれない

養生功がオレなのだろうな
ちょっと賢いわけじゃない
これは生命力が強いのではなくて
生きるということに真摯なのだよ
それが、主語に囚われるだけだ

オレが生きる
そのために
という前提がある
それがオレなのだ

わたくしは違う
この感性としての困惑が面白い

接地+機会

これは何だろう

オレは自慢なのだよ

わたくしは違うのだよ
「うわあこれは」
ではないのだよ

動き回る点が
感性を擽るのだ

そのコチョコチョを
弾く場として外部化や記述が在るだけだ

これはやらないがありえない
ただの必然だよ

MCが拡大した結果だよ
でもそれだけだ

感性止まり

知識と連結するのだ

しかし感性なのだ

知識を崇めても駄目なのだ
この矮小な感性は

必須なのだよ

ゆえに

亀の歩みのままに
宇宙を跨いで
見せよう
神に



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