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タイムスリップ

父親というのは、不思議な生き物、存在だなぁと思う。

今日、仕事のお昼休憩中に、先輩である大原さんという方とこんな会話をした。(私はあるドラッグストアで登録販売者として医薬品の販売に従事しています)

大原さんは食後のコーヒーをいつものように美味しそうに飲みながら、目をキラキラさせてこう言った。

「松本くん、母の日と父の日、何かプレゼントあげたの?」

「あげましたよ。母には黒いショルダーバッグとお菓子で、父にはポロシャツとキャップとワインです。」

「ご両親、喜んだでしょ?子供からもらうとまた特別だけんねぇ!」

「ですね!母はちょっとしたお出かけ用のバッグが欲しいってのを私の息子がちょっと聞いてて、一緒に探しました。父はグラウンドゴルフの練習や大会用の服を買おうと思ってるって、これは娘が仕入れた情報なんですよ」

「それは嬉しいね!あのさ、ちょっと聞いてくれるね?あたしさ、父がいつも発泡酒を飲んでるからさ、奮発して倍くらい値段のするビールをケースであげたらさ、『なんやぁ、気の利かない娘やなぁ。ビールは毎日飲んだらすぐになくなるやろ?変わり映えもしないんやから、日本酒とか焼酎の詰め合わせとかが喜ばれるんやぞ。』なんて不満ように言うのよ。せっかく遠出して高級なお店に行って包装までしてもらったのにさ!デリカシーもなんにもないんだよね、家のお父さん。」

そう言って口を尖らせた。

その仕草が可愛らしいやら、お父さんが愛らしいやら、思わず笑うと大原さんも一緒になって笑っていた。

そんな話をしながら、私も自前の弁当を頬張っていた。


私の父は、今年八十歳になる。

今でも元気盛り盛りで、グラウンドゴルフや釣り、畑仕事などに日々汗を流している。

ちょうど今の私くらいの年齢の時、心筋梗塞で救急搬送され、大きな手術によって一命をとりとめて以来、専用の薬をいつも持ち歩いている。

病気をきっかけに煙草を完全にやめ、健康に気を遣うようになった。

お酒が大好きで、今でもお昼に缶ビールを一本、夕方には缶ビールと焼酎のソーダ割り、冬はお湯わりを必ず飲んでいる。

風邪気味で調子が悪い時でも飲んでいるので、母が、
「こんな時くらい禁酒したら?」
と促すと、

「飲みたいって思えるってことは体が大丈夫っていう証拠や!本当にダメな時は体が拒否するやろもん!」

と、まぁ、自分なりの長い人生経験に基づく哲学なのか、単なる屁理屈なのかは定かではないが、とにもかくにもこんな調子で、暑い季節は風呂上りもビールを一本飲むという、新たな習慣も構築されている。

私にとって、父は本当にこわい存在であったし、それは今でも変わらない。

父は運動神経が抜群で、若い頃は地区で一番の俊足であり、短距離、中距離などのたくさんの記録を保持していた。

会社のソフトボールチームでは四番バッターを長年務め、ピッチャーだけでなく、外野も内野もどこでも守り、ほとんどの打席でヒットかホームランを必ず放ち、父のチームは県大会でも数えきれないほど優勝を重ねていた。

子供だった私たちも、他の家族と一緒にいつも応援に行き、帰りはいつも豪勢な焼肉のご馳走だった。それがとても楽しみだった。

父は、勉強に関しては一切何も言わなかったけれど、スポーツに関しては人一倍厳しかった。

短距離の走り方や姿勢、顔の角度やスタートのコツ、そんな本格的な指導を小学校低学年の頃に教わった。

四年生になり部活動が始まる頃にはソフトボールをとにかく鍛えられた。

私は右利きだけれど、打者としては左で打つ方が、一塁に向かう時に一歩速いからと、必ず左打者としてバッターボックスに入るように厳しく言われていた。学校に行く前に一緒に素振りをし、夜は庭の灯りをつけてピッチングの練習をした。(させられていた)

ある時こんな出来事があった。

晩御飯の時、父の言うピッチングの方法に私が少しだけ反論をした。

「お父さん!部活で先生はそんな風には教えなかったよ!スピードより、コントロールをまずつけなさいって言ったもん!だけんそうやって練習しとる!」

「アホか!まずはスピードと球の重さが大事や!その後でコントロールをうまくつけるようにせなん!!最初からコントロールて??ソフトボールの大きなボールなんてスピードのないへなちょこボールは簡単に打たれてしまうんやぞ!小手先の技術は後回し!!まずはスピードをつけてバッターに打たれんことを考えろ!!」

「けど先生が・・・」

「なんが先生か?そんなら今すぐその先生をここに呼べ!話を聞いてやるけん!!おい!すぐに電話しろ!!」

こうなったらもう止まらない。

母が恐る恐る電話をかけ事情を説明し終わると、間も無く先生が学校と同じ服装のまま慌ててやって来た。

「先生、本当に申し訳ありません。こんな時間に。二人で言い合いになってしまってこん人が、今すぐ呼べって言うもんですから。」

「いえいえ、私の方こそこんな時間に、夕ご飯の時間にすみません。何だかピッチングの件だと先ほど電話で・・」

母も先生もお互い何度も頭を下げる中、いつもと全く変わらない様子で焼酎を飲む父。

それから父と先生はいろんな話をして、時に談笑しながらいつの間にやら先生も一緒にご飯を食べていた。

「れい君、明日から、きみはお父さんの言うやり方で練習しなさい。ピッチングに関して言えば、先生の方が間違ってた。お父さんの言うやり方が間違いなく正しい。それにソフトボールはお父さんの方が大先輩や。いや、先生もいい勉強になった。あ、打つのもさ、凡退してもいいから左打席に入りなさい。お父さんの理論で間違いない。わかった?」

父は、
「当たり前や!!」
とでも言わんばかりの顔つきで、プロ野球の試合を観戦していた。

私は子供ながらに、(あのこわい先生がここまで言うなんて、お父さんはすごい人なのかなぁ)と思った。

その言葉で先生は、私を、母を、そして父を、救ってくれた。


私が妻を病気で亡くした時、息子は二歳になる前、娘が生後六ヶ月だった。

熊本の実家に二人の幼子を連れて帰ると、

「これからの事はあまり慌てて考えんでいいけんな。まずはゆっくりして、いろいろ落ち着いてから仕事は探せばいいけん。」

と父が言葉をかけてくれた。

私がハローワークに行っている間など、アンパンマンのリュックにお菓子とお茶、おむつを入れて、よちよち歩きの息子の手を引いて、公園や海辺に散歩に連れて行ってくれた。

母に言わせると、どうやら父はおむつ替えの名人らしい。

「あんたが小さい頃なんて、休みの日はほとんどお父さんがおむつ替えてたんよ。慣れたもんよ!」

と、いつも母が笑って教えてくれた。

私も、私の二人の子供も、私の父におむつを替えてもらい、ミルクをもらい、たまに怒られながらこうやって大きくなった。

だから父の体が昔に比べて少し小さくなっても、私にとっては大きくそびえる雄大な山のような存在である。

晩酌する時、必ず父が言う言葉がある。

「いいか、子供に好かれよう、気に入られようって思ったら父親はダメやけんな!たとえ嫌われても煙たがられても、きちんとその子の為になることを言ってあげないかんぞ。別におれは嫌われてもなんとも思わん。いつか死んだ時、たまにでも思い出してくれたらそれで充分や。生きて来て死んで、嫌われた甲斐があるってもんや。それで充分や!」


休憩中、そんな思い出が頭をよぎっていた。

「松本くん、それでさ、母からLINE来たんだけど、お父さん用のビールをケースで買って来てだって!え!?この前父の日にあげたじゃん?って送ったらさ、『アホか!あれは娘にもらった高価なビールやぞ。特別な日に大事に飲むわい!誕生日とか孫の運動会とか』だって。訳わかんないよね」

そう言って笑う大原さんは、とても幸せそうだった。鼻歌なんか歌い出しそうだ。

そう言えば私の父も、

「この帽子とポロシャツはグラウンドゴルフにはもったいないから、旅行とか他所行きの時に着るかな!」

と、この前バーベキューの時に言っていたっけか。

父親っていう生き物は本当に不思議な存在だなぁと思う。

なぜなら父親の事を話す時、
誰もがみんな、
子供の顔に戻るから。


























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