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「呪術廻戦」で学ぶ、絶対に関わってはいけない人間

※みみのすけは「呪術廻戦」はアニメ勢ですので、アニメ最新話から先は未読です。アニメ終了分までは記事の都合上、多少のネタバレ含みます

✔順平が悲惨な末路を辿った理由はただ1つ

 呪術廻戦1クール目終盤12話で、吉野順平は非常に悲惨な最期を迎えました。壮絶な虐めを受け続け、母親が殺され、最後は自身も悲惨な終焉を迎えてしまったことは、見ている側を、なんとも言えない辛い気持ちにさせました。この順平の人生を見ていると、伏黒の「不平等な人生だけが平等に与えられている」という言葉を、そのまま表しているように思います。

 順平はなぜ、そんな悲惨な最期を迎えねばならなかったのか…それは、真人に出会い、真人に心酔してしまったからです。「そりゃそうだ」と思われるかもしれませんが、別に直接的な意味ではなく、もし、真人がごく普通の人間だったとしても、真人に心酔した順平は、けっこう悲惨な人生を送ることになっていただろう、という意味で、です。

✔真人が危険な理由

 順平は、自分を虐めていた連中を、あっさり惨殺した真人に、自分も同じことができるようになるか尋ねます。柔和で知性的な話し方の真人に、順平は、初めてちゃんと会話ができる友人を得た気持ちになりました。

 ですがそう思ったのは順平だけで、真人は呪力を持っている(真人が見えるということはそういうこと)順平を実験材料・道具としか思っていませんでした…が、真人はそんなことは露ほども見せず、順平が望む友人の姿を巧みに演じます。

 真人は「君との会話はストレスがなくて助かるよ」と褒め「俺は順平の全てを肯定するよ」と優しい微笑みと共に言います。自分を肯定してくれる人物の登場は、順平にとってどれほど渇望したものだったか、想像に難くありません。ですが真人の本音は「順平って、君がバカにしている人間の、その次ぐらいにはバカだから」です。

 真人は、息を吐くように嘘をつき、無責任で、残酷な事でも楽しんで行い、罪悪感は微塵も持ち合わせていません。「それは呪霊だからでしょ?」と思うかもしれませんが、同じ呪霊でも、昨日取り上げた、正直で責任感の強い漏湖とは全く違います。ですから呪霊特有の性質なのではなく、真人の性質なのです。そしてその性質は、いわゆるサイコパスです。

✔「反社会的性格者」という狡猾で最も危険な人たち

 「サイコパス」というと、精神異常の犯罪者というイメージが強いですが、メンタリストDaigoさんや、岡田 斗司夫さんも自称サイコパスで、全てが犯罪者と言うわけではないと仰っています。ですが、実際のサイコパスと自称サイコパスには明確な違いがあり、自称サイコパスの方というのは「サイコパス気質」というのが正しいのではないかと考えます。

 では、サイコパスとは何かというと、日本語に直すと精神異常者ではなく「反社会的性格者」です。精神異常というと、まるで精神に病を抱えると全てが犯罪者、あるいは犯罪者予備軍であるかのような印象になってしまいますし、当然それは間違っています。むしろ逆で、後天的に精神疾患を抱えてしまった方は、「反社会的性格によってそうなった被害者側」だということを明言します。ちなみに「反社会的」という言葉からは、いわゆる「反社(=暴力団系組織)」を想起させますが、それとはまったく別のものです。

 「反社会的性格者」は生まれながらの性質で、全人類の2%ほどいるとされています。凡その特徴は、「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で心から共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」「悪意を笑顔で隠す」です。真人の性質が当てはまっているのが分かると思います。

✔人間は善人ばかりではない

 ちなみに「鬼滅の刃」でも、この事実はさらっと描かれています。炭治郎達が戦った鬼の多くは、元は普通の善良な人間でした。ですが、人間時代から微塵も同情の余地のない鬼もいます。下弦の壱・魘夢、上弦の伍・玉壺、上弦の肆・半天狗、上弦の弐・童磨です。この4体の鬼は反社会的性格と言っていいでしょう。この存在は、一般的に圧倒的な性善説と思われている鬼滅の刃ですが、実は、「全ての人間が善人ではない」という真実が込められています。人間の中にも、伊黒さんの家族とか、とんでもない人達が出てきますしね。

 人間の性質は「性善説」「性悪説」どちらが正しいのかは、春秋戦国時代からの論争ですが、答えは「両方」です。人間の本質は善、悪い人なんかいない、という考えは、残念ながら理想論でしかありません。そして、このことを知っていないと、順平のように悲惨なことになるというのは、脅しでもなんでもなく、事実です。

 先ほど、後天的に精神疾患を抱えてしまった方は、「反社会的性格によってそうなった被害者側」だと書きましたが、こういう方たちの多くは、反社会的性格者、もしくは反社会的性格者に極めて近い性質を持つ人物に、精神を追い詰められながらも「人間に悪い人はいない」と思いながら、耐え続けて、逆に自分を追いこんでしまった可能性が高いです。

 恐ろしい事実として、反社会的性格者は、知性が高く、口が達者で一見魅力的な人物に見えるため、組織の上位に君臨する場合が、比較的多いということがあります。

 そしてさらに恐ろしいのは、身近なクラスメートや同僚さらには家族の中にいる可能性もあり、さらには、その人たちが一見穏やかでいい人に見える点です。昨日の記事で「敵意が表面化している人の方がマシ」と書きましたが、それは、これが理由です。

 過去にみみのすけが経験したことですが、「彼が浮気をしている」と悩んでいた時、泣きながら慰め心配してくれた女友達が、実は当の浮気相手でした(実話)。他にも「憧れます」とか「尊敬しています」とか言って近づいてきて、人の実績を盗む人間もいましたね。

 こういう輩に比べると、面と向かって 睨みつけてきたり、文句言ってきたり、どなってきたり…と、分かりやすい敵意を正面からぶつけてくる人間の方が、敵だと認識しやすい分、遥かにマシなのです。

 反社会的性格者に関わってしまうと、精神もしくは肉体的に、あるいは両方を蝕みます。もし真人が人間だったとしても、順平の未来は明るくあろうはずがありません。

 もし、順平が先に知り合ったのが悠二だったら…。そう思わずにいられない終わりでした。もし、そうなっていれば、悠二自身が思い描いたように、順平に初めて本当の友達ができて、初めて楽しい学園生活が送れていたことは間違いなかったでしょう…。

 これは、アニメの中の話だけでなく、現実でも同じことなのです。誰と関わるのか、その選択で人生は大きく変わります。

 少なくとも、絶対に関わってはいけない人物からは、それが例え家族であっても、一刻も早く離れる事が重要だということは、強く明言しておきます。

 反社会的性格者については、非常に大切なことなので、後日見分け方について詳しく書きます。コレに関しては、少し時間を頂きます。どうか、みなさんが自分自身を守れることを願っています。

(※ただ、真人もさらっと「最後に立っているのは呪いであればいい」みたいなことを言っていたので、真人も必ずしも自分個人の欲望だけで行動しているわけではないんですよね。あれは、人の呪いから生まれた共通思念のようなものなのかもしれません…。ただ、真人は反社会的性格者の性質にぴったり当てはまるので、取り上げました)

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