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沼底エッセイ

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友人たちの何度も読みたい粘土系セックス・ノート
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キャンセル

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 急な会議の予定が入って、明日は会えなくなった。そういうメッセージを受け取った。

 音はしないし気配もしない水が流れ込んできてみるみる部屋を満たし、わたしは水底にいた。水面に自分の臓器が浮かんでいる気がした。離れたところで細波にゆれているのを感じる。会えたら9ヶ月ぶりの再会だった。数字は今さら、どうだっていい。
 息をするのもしっくりいかない。喉を出入りする空気が重い。と思えばもっと重いのは臓器

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【おしらせ】不倫のリベンジポルノ同人誌「人倫に悖る」を上梓しました

【おしらせ】不倫のリベンジポルノ同人誌「人倫に悖る」を上梓しました

タイトルの通りです。

2019年の冬ころから書き始めた、以前の恋人である「主任」にまつわる掌編をまとめたものです。

終わってしまった恋ではあるけれど、いつか彼の手元に届いたらおもしろいな、震えあがるだろうな、という思いだけで、形にしました(彼に恨みがあるということではありません)。こういう「おもしろそう」なことを真剣に実現しながら生きていきたい。

マガジン「恋」でまとめていたエピソード群(発

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イギ3

イギ3

 イギからの連絡が絶えて二ヶ月ほど経っていた。ある夜ふと、もう二度と彼に言葉を送ることができなくなるのかもしれないと思い急いでメッセージ画面を開き、最も相手に伝えたいと思うことだけを手短に打ち込んだ。
「貴方は綺麗で、可愛い。」
 イギからの返信はないが既読のしるしはついていた。何を送っても既読にはなるし、頑なに返信はない。できることが何もなかった。自己断罪にもほとほと飽きて、彼のブログに書かれて

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ラブリーピッピ・アンド・エモ

ラブリーピッピ・アンド・エモ

 

 おしっこを、わたしに向かってかけているのだと言い張る。言われるまで知らなかった。平静の彼も知らないだろう、酒に弱いから。酔いが覚めたらきっと忘れる。
 二杯の酒で真っ赤になる好色家の赤ちゃんは、何かのはずみですこぶるむずがる。
「あれもやだこれもやだ…。バゲットで殴るよ」とメッセージで脅せば、
「おちんちんで叩き落すわ」と言い返してくる。彼のそれを思い出してみて、
「そんなリーチないでしょ

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プエブラ以降2

プエブラ以降2

 ベレニスと別れた後、宿に戻り、中庭と呼ぶのかフロントと呼ぶのかガレージと呼ぶのか、宿泊客のスペースと宿の持ち主たちの住まうスペースとのちょうど間くらいの半屋外の空間(小机のようなフロントデスクもある)に佇んでいると、宿番の中でもひときわおっとりした女性がブスカンド・アルゴ?と話しかけてきた。何か探してたの? わたしは何も探してはいなかったが、無目的に立っていたのでは不気味だろうと思ってとっさにフ

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プエブラ以降1

プエブラ以降1

 長距離バスを降り、テルミナルから市街地行きらしきローカルバスの見当をつけ適当に乗り込んだはいいものの、大型車両の揺れにほぐれた全身は重みを増したように座席に沈み込んだ。体も頭もそれ以上は動きそうになかった。グアダラハラ、サカテカス、グアナファト、レオン、ケレタロ、サン・ミゲル・デ・アジェンデを経て長距離バスでプエブラに行き着いた。街に慣れないよう、ひとつの街に三日以上は滞在しないことがいつのまに

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溶かした春の涙

溶かした春の涙

1分、1時間、1日と、時間は確実に過ぎ去っていく。
私を押し流すように、何かから引き離すように、時間は身勝手に自立して進んでいく。
発車した新幹線の背もたれに押し付けられて、身体が現実から離れていった。
身体は、心は、どこに行った?手だけは、確実に隣の男と繋がれている。

恋人の故郷に、旅行に行く。
雪が少ないと言われる今年でもところどころ寒々しく雪が積もり、色も、音も、少なくて静かだ。感情を吸収

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「なみ」を記す

「なみ」を記す

「ねえ! 眉毛がなくなってる!」

洗面台の鏡の前で、おおげさに嘆く。事実を正しく記述するなら、私の眉毛は厳然としてここにある。デコルテのパウダーアイブロウはウォータープルーフで皮脂にも強いけれど、まさか、これが落ちちゃうなんて。恋人と数時間わだかまっても、これがヨレることなんてなかったんだけど。もともとの毛だって少なくない方だし、それがこんなに情けない眉骨になっちゃって、まあ。

「ああ、眉毛は

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現在(いま)を生きる犬

現在(いま)を生きる犬

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「私にずっと覚えていて欲しいと思う?」
「当たり前でしょ、一生のうちの一番でいたい」
「贅沢じゃない?」
「でも絶対俺といるのが一番楽しいと思う」
「自信家だなあ、あ、そこきもちいい、」
「あったかいよ、熱いくらい」
「やばいね、うそつけないや」
「浮気したら本当に殺すから」

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イギ2

イギ2

 川沿いのタイレストランでイギと遅めの昼食を取っていた。前日の夜までは雨の予報だった。気温の見当を外し、着てきた服では暑すぎると薄々思い始めていた。うすら寒い小雨の中を散歩でもするようなしっとりとした一日を想像して朝は起きたのに、今や外は暖かく晴れていて毒気を削がれたわたしは、物を考える責任をひとまず置いて目の前のガパオライスの続きに取り掛かった。先に食べ終わった彼はデザートに出されたタピオカの原

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イギ1

イギ1

 中国緑茶として名高い碧螺春(へきらしゅん)が栽培される江蘇省・洞庭山では、茶樹だけでなく桃や棗や蜜柑などの果樹も育てられている。一年を通して実り続けるさまざまな果実の香りは茶畑に届き葉に移り、淹れた緑茶は自然と果香を持つと言われる。わたしはイギにそのことを話したわけではないし、碧螺春の名前を伝えたわけでもない。あれもこれもと茶葉を持ち込んだ中から気まぐれに選んで淹れたのだ。それを一口飲んで「甘酸

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濡れてなお香る梅雨

濡れてなお香る梅雨

梅雨に入ったと勢い勇んで、強く雨が降っていた。
傘をさしていてもバッグと足元はひどく濡れ、駆け込むように彼の店に入る。
店内には雨音も街のざわめきもほとんど届かなかったが、時おり雷の光が暗く冷えた部屋を照らした。
調理のために彼が厨房に火を入れたからだろうか。少しだけ店に暖かさが宿った。

火から少し離れ、ビールを開ける。
さっき走ったせいで泡が勢いよく吹き出した。
景気がいいね。
今日も多分、こ

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夫がゆるやかにM性に耽溺し、我が家はセックスレスになった

はじめにことわっておきたい。

私にSMの趣味はない。語るべき思想も持っていないし、SかMか、そのいずれかに自分を定義するとしたら、と誰かに聞かれたら「考え抜かれていないので、とりあえずニュートラルで」と答えると思う。

それからこれはSMの話ではない。便宜上夫をマゾと定義するが、私はこういう傲慢はマゾではないと思っているから。

夫と私のセックスは、極めてノーマルだった。

きっかけは忘れてしま

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父性の砂糖漬け

父性の砂糖漬け

くちのなかで転がす、昏い欲望。わたしには、甘い。

第二夜つまみ食いは一口目が一番美味しいから、ほんとうはもうあれきりでもいいかなと思っていたのだった。恋愛をしたいなら後朝に連絡をしたほうの負けだとわかっているし、勝ち負けでしか恋愛を測れないわたしは所詮、勝ち負けのある恋愛しかしたことのない女だ。けれど、今わたしたちの間にあるのは、恋でも愛でもない。

軽くジャブを打ってみたら気の利いた返しをされ

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