うらのあいだ

泥遊びみたいな自慰

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泥遊びみたいな自慰

最近の記事

夢の鍵、同衾の夢

 岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』に収められた一編に次のような小説があった。ケーキを食べて「丸々となり」たいので、部屋のぐるりに棚を作って街中から買ってきたケーキをそこに並べる。ところがある日、家の外で犬と猫が寄り添いながらこちらを見ていることに気づいて、以降それが気になってケーキを食べることができない、というものだ。  極端に語彙を抑える作為性がうるさいな、程度の感想を持ってそのまま眠った。  そして夢を見た。  実家にひとりで居た。二階へ続く、絨毯敷きの階段の一段目に

    • 胸に爆弾をもて

       窓から見える地面を、甘露飴を薄めたみたいな西日が染めているのを見つめていると、だんだん目から糖分を摂れそうな気持ちになった。隣で業務を進めている美女(社長)が次から次へとこちらに投げてくる雑談を聞くともなしに聞く。心がスッカスカだった。そのままじっとしていると、頭の中にリベンジポルノという言葉が浮かんだ。  リベンジポルノ……って何だっけ。どういうことをするんだっけ。  想像してみるとおもしろかった。できることの射程を認識し直せばイマジネーションの凝りは随分ほぐれるみたい

      • キャンセル

         急な会議の予定が入って、明日は会えなくなった。そういうメッセージを受け取った。  音はしないし気配もしない水が流れ込んできてみるみる部屋を満たし、わたしは水底にいた。水面に自分の臓器が浮かんでいる気がした。離れたところで細波にゆれているのを感じる。会えたら9ヶ月ぶりの再会だった。数字は今さら、どうだっていい。  息をするのもしっくりいかない。喉を出入りする空気が重い。と思えばもっと重いのは臓器になって、しかも体内にしれっと戻ったうえでずっしりしている。水の感覚は消えていた

        • イギ あとがき

           悪戯、クリエーション、…ラブレターでもあったと思う。悪戯だと思えば必ず気づいて反応して欲しいと思え、クリエーションだと思えば本人の目は関係ないのだと思え、ラブレターだと思えば届かないと決めつけるのがしっくりときた。  書こうとすれば多くのことをつぶさに思い出せるのかと、ちょっとした好奇心で記憶の藪に分け入ってみた。まさかまさかと思いながら足取りに注意して、風景を追いかけた。思った以上にこまやかに追えるのでどぎまぎした。シナリオに感心した。経験のすみずみまで愛おしいと思ったし

        夢の鍵、同衾の夢

          7月22日の日記『Your Me』

           連休が始まる前に山深い地域へ行って千何百年だかの歴史ある立ち寄り湯に入ってきた。  重い硝子と木の引き戸を開けるとよく使い込まれてつやつやした板間の玄関に桃のコンテナが山と詰まれていた。なまものは入れちゃ駄目なんですけどねと笑いながら言われて何のことかとよく見ると、一番上のコンテナに生きた猫が収まって寝ていた。毛並みが良くて肉質の柔らかそうな猫が起き上がってあくびをした。カメラを向けた途端に毛繕いに夢中になって、顔を撮らせてもらえない。  受付でおでこを出した。肌に触れない

          7月22日の日記『Your Me』

          7月18日の日記『茄子で死ねない』

           痛いと思い始めてようやく指を見たらトゲが刺さっていて、茄子だと思った。旬だからと調子に乗った茄子。抜こうとしても、もう皮膚の下に沈んでいてクソと思った。爪で肉を押して出そうとすると、往路をそのまま戻ればいいものを、少し角度をつけて新たにまわりの細胞を壊しているようでさらに痛い。だいたい茄子のトゲがそんなに丈夫なの、変じゃないのか。痛い。トゲの端が出てくる気配はないまま、ただ傷つけられた皮膚から組織液が出てきて粒になる。小さい頃、トゲが刺さって抜けなければ、トゲは血液に乗って

          7月18日の日記『茄子で死ねない』

          7月14日の日記 『Ego Emo Ero』

           色か恋かの文脈も定まらないうちからあれこれと心尽くしをしてくれた人がいたのだが、その後の連絡を送るのがふいにどうしても怠くなって、嫌いになったわけではない(好きになったわけでもない)が、先方には拒否と受け取られたようだった。  景気づけにプリンを作ろうと思い、φ26cmくらいのでっかいココットを洗い直して蒸し器の所在を確認して、良い卵と牛乳を買った。これからグラニュー糖と少しの水を入れた鍋を火にかけてカラメルを作る。水よりグラニュー糖を先に鍋に入れると、水分と混ざりきらない

          7月14日の日記 『Ego Emo Ero』

          5月28日の日記『デバイスで拡張』

           吊るした二個の電球の周りを、羽音をジリジリいわせて虫が旋回していた。ダッツの新しいフレーバー「ベリーベリーミルク」のビニルを開けた直後で、自宅に持ち帰るまでに少しやわらかくなったそれを歯ではなく唇で食む。カシスのように赤いのでカシスと思ったが、説明書にはブルーベリーがメインと書いてあった。しかしブルーベリーにも種類があるのだ、青いもの、赤いもの、真球のもの、扁平なもの、甘いもの、酸っぱいもの。ベリーベリーミルクは三層になっていた。赤く酸っぱいコーティング、果肉みの強い中間の

          5月28日の日記『デバイスで拡張』

          イギ4

           問題なのはそれが13片のピースに割れていることと、すべての破片を継ぎ合わせた時の完成形が、口が狭く中が広い、一般的な湯呑みよりやや球に近い形になることが、ひとつの湯呑みに同時に起きていることだった。金継ぎはすべての継ぎ目にパテや漆を繰り返し塗り込む。つまり同じ線を外側と内側の両方から何度も世話しなくてはならない。そうでなくてはお茶が漏る。口の直径が腹の最大直径よりも小さい場合、口から筆を入れて内側の継ぎ目に隙間なく漆を塗り込むのは困難に思えた。少しずつ継いでいく方法はないの

          イギ3

           イギからの連絡が絶えて二ヶ月ほど経っていた。ある夜ふと、もう二度と彼に言葉を送ることができなくなるのかもしれないと思い急いでメッセージ画面を開き、最も相手に伝えたいと思うことだけを手短に打ち込んだ。 「貴方は綺麗で、可愛い。」  イギからの返信はないが既読のしるしはついていた。何を送っても既読にはなるし、頑なに返信はない。できることが何もなかった。自己断罪にもほとほと飽きて、彼のブログに書かれていたことを何となく思い浮かべる日が続いた。嫉妬材料と知りながらページを追った、数

          ラブリーピッピ・アンド・エモ

             おしっこを、わたしに向かってかけているのだと言い張る。言われるまで知らなかった。平静の彼も知らないだろう、酒に弱いから。酔いが覚めたらきっと忘れる。  二杯の酒で真っ赤になる好色家の赤ちゃんは、何かのはずみですこぶるむずがる。 「あれもやだこれもやだ…。バゲットで殴るよ」とメッセージで脅せば、 「おちんちんで叩き落すわ」と言い返してくる。彼のそれを思い出してみて、 「そんなリーチないでしょう」と送ってみる。 「リーチだけが戦力の差ではないぞ」 「バゲットより硬いとでも

          ラブリーピッピ・アンド・エモ

          プエブラ以降2

           ベレニスと別れた後、宿に戻り、中庭と呼ぶのかフロントと呼ぶのかガレージと呼ぶのか、宿泊客のスペースと宿の持ち主たちの住まうスペースとのちょうど間くらいの半屋外の空間(小机のようなフロントデスクもある)に佇んでいると、宿番の中でもひときわおっとりした女性がブスカンド・アルゴ?と話しかけてきた。何か探してたの? わたしは何も探してはいなかったが、無目的に立っていたのでは不気味だろうと思ってとっさにフリーダと答えた。宿で飼われている老いた雌犬の名前だ。彼女に導かれてフリーダを見つ

          プエブラ以降2

          プエブラ以降1

           長距離バスを降り、テルミナルから市街地行きらしきローカルバスの見当をつけ適当に乗り込んだはいいものの、大型車両の揺れにほぐれた全身は重みを増したように座席に沈み込んだ。体も頭もそれ以上は動きそうになかった。グアダラハラ、サカテカス、グアナファト、レオン、ケレタロ、サン・ミゲル・デ・アジェンデを経て長距離バスでプエブラに行き着いた。街に慣れないよう、ひとつの街に三日以上は滞在しないことがいつのまにかルールになっていた。スマホもガイドブックも持たずプランも立てずに飛行機に乗った

          プエブラ以降1

          イギ2

           川沿いのタイレストランでイギと遅めの昼食を取っていた。前日の夜までは雨の予報だった。気温の見当を外し、着てきた服では暑すぎると薄々思い始めていた。うすら寒い小雨の中を散歩でもするようなしっとりとした一日を想像して朝は起きたのに、今や外は暖かく晴れていて毒気を削がれたわたしは、物を考える責任をひとまず置いて目の前のガパオライスの続きに取り掛かった。先に食べ終わった彼はデザートに出されたタピオカの原材料が何なのかを知りたがって調べ物を始めた。やがて、それがキャッサバのでんぷんか

          イギ1

           中国緑茶として名高い碧螺春(へきらしゅん)が栽培される江蘇省・洞庭山では、茶樹だけでなく桃や棗や蜜柑などの果樹も育てられている。一年を通して実り続けるさまざまな果実の香りは茶畑に届き葉に移り、淹れた緑茶は自然と果香を持つと言われる。わたしはイギにそのことを話したわけではないし、碧螺春の名前を伝えたわけでもない。あれもこれもと茶葉を持ち込んだ中から気まぐれに選んで淹れたのだ。それを一口飲んで「甘酸っぱい香りがする」と言った彼の嗅覚の確かさに、思わずこぼれそうになった笑いをこら

          鬼塚

           肉は臭く、キムチは包装がやかましかった。濃縮カルピスの紙パックにはうっすらと埃が載り、柑橘類は皮に無数のシワができていた。線路沿いに広がる宵の商店街を無目的に出歩いて、店々を冷やかして回るけれど、そもそも所持金を確認しないまま外に出ていて買い物の意欲があったわけではなかった。大学生で、慢性的に金欠だった。  線路脇のガードレールに尻を持たせて踏切を眺めた。褪せた警告色のバールが下がり電車が通り抜け、花粉くさい風が舞い、やがて地面に落ちかけた塵を人々や車の往来がまたかき回す。