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夢の鍵、同衾の夢



 岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』に収められた一編に次のような小説があった。ケーキを食べて「丸々となり」たいので、部屋のぐるりに棚を作って街中から買ってきたケーキをそこに並べる。ところがある日、家の外で犬と猫が寄り添いながらこちらを見ていることに気づいて、以降それが気になってケーキを食べることができない、というものだ。
 極端に語彙を抑える作為性がうるさいな、程度の感想を持ってそのまま眠った。


 そして夢を見た。
 実家にひとりで居た。二階へ続く、絨毯敷きの階段の一段目に腰掛けていた。昔からそうするのが何となく気に入っていた。ふと家の外に気配を感じて、居間の窓から外を見た。白い無地のトレーナーを着た男がこちらを見ている。曇っているのか、野外の景色に精彩がない。白いトレーナーだけが際立って、曇天の雲間から漏れる光みたいに眼球を刺してきた。やがてその姿が動いたので、わたしも玄関の近くに移動した。鍵は、さっき自分が中に入った時にかけた。彼は侵入できないはずだ。だがわたしの自信は、磨りガラスの玄関扉の向こうに男の影が現れた瞬間に蒸発した。実家の鍵は、たまにかかりが悪くなることがあるのだった。
 果たして磨りガラスの扉はカラカラと開いて、彼はふつうに入ってきた。俳優Aだ、という気がした。声もナイフも出してはこないが、わたしの前に立った彼が客ではなく侵入者の自覚を持っていて、わたしはヤられるか刺されるかの二択を迫られているのだと理解した。
 わたしは了解して彼を階段の前で待たせ、二階に上がった。自室には大きなふかふかのベッドがあって、掛け布団の上に本が山積みにされていた。その本を、すべてどけるのではなく彼の目に留まったら嬉しいような賢い本や気の利いた本だけを選りすぐって布団の上に残し、あとは床に並べた。プレミアの付いたジャンプ(そんなものがあるのか?)は、窓際の目立つところに立てかけた。シーツのヨレを取り、タオルケットと掛け布団がきちんと重なり合うように直した。かなりゆっくりと、一連の作業をやっていた。階下を見下ろすと、微笑んでいるのか悲しんでいるのかわからないような独特の表情をして、Aはおとなしく待っていた。来て、と声を掛け、部屋に戻り先に布団に入った。絨毯に半分吸われた足音の、ト、ト、ト、ト、という音がゆっくりと続いた。部屋に入ってきたAを布団の中に招いた。彼が布団に潜り込む瞬間に、それまでしっかりと布団を踏んでいた賢い本たちは残らず消えた。
 Aの存在は明確にAであるという質感から、概念「男」または「人」の質感の間を行ったり来たりしていた。
 わたしの腰を抱こうとする概念「男」を、待って、と制して、そういえば剃毛の甘い部位があるような気がし始め、剃刀を探して毛を剃るなどした。Aは相変わらず一言も喋らずに独特の表情を浮かべていた。
 布団の中に戻って触れ合うが、すぐにAは動かなくなり、寝息を立て始めた。母が戻ってくるから布団の中に隠れて、と耳打ちをしても、彼の薄い唇がわずかに震えるだけだ。布団ですっぽり概念「男」の体を覆うことを試みるが、足だけが端から出てしまう。再びAの質感に戻ったAを掻き抱きながら、まあいいやという気分になった。貴方はどこかから逃げてきたのだろうか。疲れているのだろうか。他人の布団ってよく眠れたりするよね、と独りで納得をして、静かに眠る概念「人」の髪をしばらく撫でていた。


 夢から覚めて台所に立ち、夢の映像を忘れないうちに一から再生しながらお湯を沸かしていると不意に、「外から家の中に向けられる視線」を自分が知っていることを思い出した。あの小説に書いてあった視線だ、それは、実家暮らしの頃にはかなり頻繁に出会っていたものだ。
 小さい頃は携帯を持っていないし、そうでなくとも待ち合わせの約束など滅多にしなかった。誰かと遊びたければ、その子の家にその子を連れ出しに行った。わたしの家にもわたしを連れ出しにやってくる友達が代わる代わる来ていた。
 他にも多種多様な目的を持った人間がわたしの家の前で視線を飛ばしていた。保険屋の人、新聞の営業、宗教の勧誘、セールス、もののついでに土産を置きにくる、親の友人だったのだろう大人たち。実家の前は道路を挟んで向こうが開けた空き地なので、そこに車を停めた人はその空き地から、足で営業するタイプのセールスは門の前から、わたしの実家の中に人の気配があるかどうか、視線を投げかけ耳を澄ませて少しのあいだ立っている。幼いわたしは磨りガラスの玄関扉から、居間の窓から、二階の自分の部屋の窓から、こっそりとその姿を見ていた。
 高校生になって携帯を持ち始め、人と会うこととスケジュールを入れることの意味が重なるようになっていっても、わたしの部屋の窓を見上げる視線はまだいくらか残っていた。ある日の早朝、家の前の空き地に同級生が数人やってきてわたしを呼んだ。わたしは何となく音を立てないように家を抜け出して彼らと合流した。そのうちのひとりの家で体育祭の話し合いをするという名目だったが、その子の家に上がって部屋で円を描けば雑談ばかり進み、そのうち眠くなってみんなで少し眠った。起きてもまだ9時くらいだったので、家に帰って自分の部屋でまた横になった。母が起きてきてわたしに言った。「今朝早くに男の子たちがそこまで来てることは気配で知ってた。貴方はそれにほいほいついて行った。」
 怒られることには慣れきっていて、わたしは母の眠りの浅いことのほうが気に掛かった。

 昨夜読んだ小説の、窓の外の犬と猫の視線を想像した。「犬と猫」と書かれてこそあれ、犬や猫のように書かれている感じではなかった。何と言うか、窓を向いた死体が置かれているという印象だった。
 上京してマンション住まいになってから、家の外から投げられる視線の体感はすっかり遠のいて、その感受性はもう死んでいるのかもしれない。視線の追いかけっこは幼いわたしが好んでいた遊びのひとつだった。


 磨りガラスの玄関扉は記憶の始まりのような気がしている。その彼岸から人を迎えた。
 そういえば、実家の玄関の具合がどうということとは関係なく、夢の中でかけた鍵がきちんとかかった試しは無いのだった。





ランジェリーが増えます