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胸に爆弾をもて


 窓から見える地面を、甘露飴を薄めたみたいな西日が染めているのを見つめていると、だんだん目から糖分を摂れそうな気持ちになった。隣で業務を進めている美女(社長)が次から次へとこちらに投げてくる雑談を聞くともなしに聞く。心がスッカスカだった。そのままじっとしていると、頭の中にリベンジポルノという言葉が浮かんだ。
 リベンジポルノ……って何だっけ。どういうことをするんだっけ。

 想像してみるとおもしろかった。できることの射程を認識し直せばイマジネーションの凝りは随分ほぐれるみたいな心地がした。胸の内に爆弾が生まれたみたい。
 心に爆弾を持つことは御守りを持つのと同じこと。どこにだって穴を開けて、向こう側へいける。向こう側って何。

 世の中のリベンジポルノはどんなふうに起こるのだろう。本当に報復という言葉だけで説明できることなのか、何となく疑わしい。そもそも何かしらの事件を起こすこと自体ちょっとクリエイティブなことのように思う。つまり膠着を破り開く力があるということ。
 愛する人を刺したとかどうとかの話だって、彼らが身を置いていたにっちもさっちもいかなさを、いかに超えていくのかという問題への魂の応答のように思える。

 向こう側へいきたいと、膠着の気配を察するたびにいつも思っていた。あれかこれかを受け入れるしかない状態に閉じ込められることを嫌って、その対立がほぐれたりズレたり壊れたりして開かれる回路を求めた。あれも嫌、これも嫌。


 神近市子は葉山で大杉栄を刺した。三股相手の伊藤野枝との仲を妬んでのことだった。
 事前に再三殺すと口にしていたり、ぐずぐずして殺気を悟られたりと悪手を重ねるごたごたには目も当てられないのだけれど、ずっと彼女は、とにかく無性に癪だったんだろうなと思う。栄を野枝に取られるのを我慢することも、きっぱりと諦めて立ち去ることも、どちらも恋愛関係のシナリオに導かれてたどり着く凡庸な選択問題でしかない。腹が立つし、息が詰まる。わたしならそう思う。

 およそ賢いと言われる人々はいつも二者択一の中でどちらの利または善が大きいかを説いてくるが、そんなものは風通しが悪くて、死ぬほどつまらなくて死ぬほど死にそう。向こう側へいきたい。不幸でもいい。何より好きな男の生殺与奪に関わるって最高じゃんか。

「けふの晝まで位の命かな。」
クラクラするほど情けない日陰茶屋事件の顛末を『自叙傳』で読み返して、栄のこの一言にとつぜん胸の奥が震えた。

 高岡由佳はホストを刺して生死を彷徨わせた。被害者の琉月は復帰後、肝臓が半分になったためお酒を飲めなくなったらしい。ホストに惚れてお金を積んで、良い客になっても悪い客になっても客は客のまま。つらい。またはスパッと彼を諦めて別の道をいく。つまらない。この膠着を、彼女は男を刺すことで別の関係性へと動かした。高岡由佳は事件後、被害者に宛てた手紙に「一生かけて償わせていただきます」と書いている。二ヶ月のホスト通いから一生の賠償金支払いへ、関係が一変した。称賛される結末であるわけはないのだけど、少なくとも色恋の現場でまっとうな道を選ぶことが正しいはずもない。

 何かを実行してしまうことのもうひとつの美点は、情動を大なり小なり公然と、事実の位相に持ち込む胆力にある。
 情念を有形の世界に顕してしまう取り返しのつかなさに怯えてどこにも着地しようとしない半端より、のたうち回ってそこら中に傷をつけて回る人のほうが、ダサいはダサいが愛おしい。
 気持ちは移ろう。愛は永遠じゃない。というか、或るひとつの大きくて強い愛が変わらない姿でそこにあり続けることが少ないように思う。代謝され更新され、はじめにあった質とはまた違う愛のあらわれが生じたり消えたりして何となく愛らしきものが続いていくように見える。その一瞬を捉えて形を与えるのは勇気のいることだ。あとから後悔するかも。死にたくなるかも。でもやるのである。何もしなければ、「ちょうどいい凪と刺激」のみを求めるプログラムに精神が呑み込まれるだけだから、胸に爆弾を抱え、どうにもならないあれかこれかをめちゃくちゃに壊してきた人たちをわたしは馬鹿にできない。


 馬鹿にはできないけれど、結局は刺すこともクリシェで、それよりもっと創意があってわくわくするような跳躍を叶えたい。
『レベルE』のルナ王女について思う。あの作品は言ってみれば、悪巧みの天才が最終的に女の恋心に悪巧みで負かされる話だ。ルナ王女は、振り向いてもらえない日々を耐えて想い続けるかいっそ諦めるかのふたつにひとつしかない、と周りの誰もが思うような状況をぶち壊して、ひたすら頭を使って夢中になって、悪運さえ味方につけて人々をあっと言わせて想い人を手に入れる。彼女のようにあれも嫌これも嫌を貫いたって、こっちは現実だから不本意な方向にいってしまうかもしれない。それでもいい。そんなことは問題じゃないから。幸か不幸かも跳ねのけて、圧倒的に立っていたいだけだから。





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