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5月28日の日記『デバイスで拡張』


 吊るした二個の電球の周りを、羽音をジリジリいわせて虫が旋回していた。ダッツの新しいフレーバー「ベリーベリーミルク」のビニルを開けた直後で、自宅に持ち帰るまでに少しやわらかくなったそれを歯ではなく唇で食む。カシスのように赤いのでカシスと思ったが、説明書にはブルーベリーがメインと書いてあった。しかしブルーベリーにも種類があるのだ、青いもの、赤いもの、真球のもの、扁平なもの、甘いもの、酸っぱいもの。ベリーベリーミルクは三層になっていた。赤く酸っぱいコーティング、果肉みの強い中間の場所、ミルクアイス。一口に全層をもちろん含めるが、舌に溶けるタイミングには順番があるはずで、すべて感知し分けてやるという気になっていた。果たしてできたのかどうなのかわからないまま、食べ終えると羽音の続きが聴こえた。虫の影を探すと天井に生き生きとした点が付着していた。目を凝らしても点以上には解像度が上がらないことを知っているので、目を凝らさなかった。スマホのカメラを出して、限界までズームにして天井の点を撮った。写真を拡大すると、黒いてんとう虫だった。

 昼間の空いた時間に、トルソーに浴衣の着付けをして遊んだ。群青の綿紅梅は柄の明度が高いので、白い透かし織りの半幅帯とモノトーンのレース編みの帯締めを合わせてさらりと見えるようにした。エッチなチューリップ柄の藍染浴衣には艶のある黒地にチロリアンテープのような柄が入った半幅帯とベージュの平組みに桃色の蛇革が差した帯締め、それよりもっと彩度の高い青色をした注染の浴衣には、裏の朱がちらちらと見える、露草色の正絹アンティークの半巾を合わせた。帯締めは朱に濃縹が差す渋い丸組。三回分のコーディネートを考えて着付けをして、少し離れて全体を見やればディテールがぼやける。視力が悪い。もとより見ようと思っていない。このところのステイホームでコンタクトレンズを入れる気がすっかり失せていた。ずっと剥き出しの眼球で過ごしている。眼鏡はだいぶ前に尻で踏んで壊した。あるいは紛失した。どっちも事実で、どちらかが先代でどちらかが先先代だ。
 デジタル一眼に充電したバッテリーを詰め、三種類の着付けトルソーを撮りまくった。すぐにデータをドライブに移して、自力で見えなかったものをスマホで眺めた。

 ニューヨークにいる「兄のような人」のもとで居候していた時、彼が暗所用カメラを買ってきた日があった。バスルームの電気を消して適当にあたりを撮ったら、均質な闇だったはずの空間はデータ上にしっかりと輪郭を現していた。もう人間の目なんて要らなくなるね。その人は愉快そうに呟いた。

 友人と通話を繋いで統計学の勉強をしようと約束していた。勤怠管理が杜撰で諸々の控除に関する説明が足りていないクソな総務「クソーム」に文句を言うためだけに始める勉強会だ。クソームと対峙するのは友人のほうなので、わたしは勉強に便乗するだけ。教材のテキストデータが送られてくるまでの時間にこれを書いている。別の友人が絶賛していたサイモン・マクバーニーの一人芝居も観る予定でいる(と思って今確認してみたら配信期間が過ぎていた)。読まなければメルカリに売りに出すと自分自身に脅されている、ロシア語版『ロリータ』が机の上で辞書とともに待ってる。やることはたくさんある。なのに、ひとまとまりの「最近」はまるで地面から離れたように軽い。大きな文脈に根拠を置いてこのような形になっているはずの日々の輪郭は掴めない。視力が悪い。

ランジェリーが増えます