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イギ1


 中国緑茶として名高い碧螺春(へきらしゅん)が栽培される江蘇省・洞庭山では、茶樹だけでなく桃や棗や蜜柑などの果樹も育てられている。一年を通して実り続けるさまざまな果実の香りは茶畑に届き葉に移り、淹れた緑茶は自然と果香を持つと言われる。わたしはイギにそのことを話したわけではないし、碧螺春の名前を伝えたわけでもない。あれもこれもと茶葉を持ち込んだ中から気まぐれに選んで淹れたのだ。それを一口飲んで「甘酸っぱい香りがする」と言った彼の嗅覚の確かさに、思わずこぼれそうになった笑いをこらえて喉が震えた。
 クッキーを焼いて渡したこともあった。チョコレート、オレンジと紅茶、アーモンドの、三種類のフレーバーに合わせて生地を変えて焼いた。イギは食べる前から「俺が好きだと思う順番」を見た目だけで付けていた。あらかじめ柑橘が好きだと言っていた彼は、判別ができないほど細かに刻んだオレンジ入りのクッキーを迷わず一番に選んでいた。そういうところが面白くて、会うたびに彼への興味は増していった。


 初めて会った夜は冷えていた。イギは重そうな革靴を履いていて、わたしはスニーカーだったから、ふたりで歩くのに彼の足音ばかりが目立った。予約してあるというおでん屋に向かって夜の湯島を歩いた。声質はやわらかく、通るでもなく篭るでもなく空気の上にそっと置かれるように聴こえる、音の伝わり方が良かった。声量はやや注意を向けてちょうどいいくらいの絶妙な控えめさで、存在感のある足音とのギャップが夜の町並みのピントをどことなくズラし、風景のフォーカスを定まらなくさせていた。暗くて明るい小料理屋の提灯をいくつか通り越す。観劇予定の舞台のことや火鍋屋のことなど、とりとめのないことをぽつぽつと話してくれるのだが、彼は途中でふと喋るのをやめ、「なんか、話すの下手かって、いま自分で思いました」と照れているのかしょげているのかわからない可愛い顔をした。わたしは感動を上手く示せないまま適当に笑った。
 飲酒をすれば輪をかけて可愛くなる人だった。肌が首まで赤く色づいて、にこにこと穏やかながら饒舌だった。
 話しているうちに、ふとわたしの耳のあたりに彼の視線が注がれた。知人が作ってくれた銀の蛸をつけていた。「耳にタコができる」の洒落なのだ。わたしは見られているのが急に恥ずかしくなって、どうでもいいことを口走った。もともとは軟骨に開けたかったのだが骨が厚すぎて断念し、骨を避けて肉のぎりぎり端に穴を通したこと。痛みと流血が苦手でピアスを開けた時も三十分ほど失神していたこと。はじめはふたつあった穴のうちひとつがちぎれてしまい、その痕が耳の形をわずかにいびつにさせていること。彼はますますわたしの耳を凝視して、「本当だ、ちぎれた痕、良いですね…」と溶けるように言った。この人わたしの耳を千切りそうだ、と思うと何か甘やかな感覚がほとばしった。目の前でふにゃふにゃと笑う青年から、意識して何かを台無しにするエネルギーを感じた。
 彼が女将のほうを向いて高らかに烏龍茶を注文し、わたしは笑った。そんな颯爽とオーダーするのにソフトドリンクなの、とからかうと、彼はまだ赤みの引かない顔で「何言ってるの。自分の限界を知ってる男なの、最高に格好良いでしょ」とにこにこ答えた。
 おでん屋を出て近くの喫茶店に入った。
 ローテーブルに彼が取り出した煙草は、わたしも知っている銘柄だがパッケージの配色が見なれなかった。今はもう廃止されていて、たまたま在庫として余っているものだけが稀に売られているらしい。一本もらった。手に入るものは古くなってて本来の味ではないのだが、それでも好きだからなくなるまではそれを見つけて買うのだと言う。本当はもっと美味しいのだと彼は繰り返すが、充分に美味しかった。
 顔が綺麗だと言われてわたしは彼を見上げ、どっちが、と思った。スッと伸びた二重が色っぽい。それにしても、初回のデートで言われる褒め言葉の疑わしいこと。だからわたしは彼の顔を褒めずにおいたが、可憐だと思っていた。
 珈琲のおかげで酒の気はずいぶん抜けているはずだが、それでもふにゃりとしている彼は「賭けに勝ったという気分」と独特なことを朗らかに言い、別れ際には「今度はセックスにも誘わせてください」と言ってやはりふにゃりとはにかんだ。


 二度めの食事もおでん屋に入った。わたしが病み上がりで、優しい食べ物を欲していた。カウンター席に通されたのが有難かった。対面より、隣り合って座るほうが照れずに食事ができる。
 おでんは種ごとに一皿ずつ卓に運ばれた。これこれこのような食感だなどと各々に報告し合いながらつついていた。イギが頼んだ日本酒が美味しくて、しかし酔っ払っているのでちっとも名前が覚えられない。その様子が気に入って、わたしは「あの美味しいの何だっけ」と、ことあるごとに彼にその銘柄を確認した。彼ははじめの二、三文字くらいを繰り返したり文字の数だけ当てにきたりしてなかなか正解できなかった。
 カウンターの隅にわたしたちは座っていて、数人の客が少し離れたテーブル席にいた。イギはほろ酔いで、他の人には聞こえないような音量でハミングするようにささやかに歌い出した。会話の流れから、吉幾三だったのだと思う。酒に頬を染めて気持ち良さそうに1フレーズだけ歌う姿にわたしも心地が良かった。
 ふらりと店を出て、フェティッシュなコスチュームショップを冷やかしてからホテル街へ歩いて行った。
 お茶飲みだという彼に淹れようと、茶葉をいろいろと持参していた。ホテルに入り、前日に買っておいた碧螺春の封を切った。わたしが新鮮な茶葉の香りにはしゃぐと、イギはこちらの腕を軽く掴みわたしごと茶袋を引き寄せて切り口を嗅いだ。はっきりと胴を寄せて触れ合うのはそれが初めてで、わたしはその肉感に焦って妙に取り澄ました顔をした自覚がある。お茶を飲み、風呂に入った。わたしが脱いだ衣服はそっとまとめられてソファの隅に置かれていた。
 ベッドの上でイギはわたしの体を調べた。おなかを軽く押してその下の内臓のつきかたを、あるいは不随意の反射をみているのか、少しずつ手を動かしながら満遍なく指圧していった。わたしも彼の体に触れた。およそ薄いようには見えない彼の皮膚は、しかし感受性がとても強かった。撫でても舐めてもつねっても返ってくる反応の豊かさに気を良くしたわたしの好奇心は増すばかりだった。ひとしきり戯れた後に、眼球を湿らせたイギはああ楽しいと呟いた。
 風邪の残り物で、わずかに咳が続いていた。イギは備品の電気ポットを水で満タンにすると、蓋をはめずに電源を入れた。中で沸騰した水はこぽこぽと一晩じゅう室内を加湿してわたしは喉を痛めることなく快適に眠ることができた。
 朝起きて再び触りあった。彼はわたしの意向を言葉で確認すると、一度ベッドから降りて自分の鞄からローションを取り出した。手のひらに出した液体から引く糸を、素早く手首を回して切って戻ってくる姿を見て、男前だと思った。
 セックスをして、いっしょに煙草を吸った。空咳がぶり返した。もし次があるなら、それまでには咳がおさまっているといいと考えていた。


 彼が一体いつわたしの首に手をかけたのか、はっきりとは覚えていない。初めて首を絞められたとき、わたしはひどく戸惑った。手のあたたかさ、圧迫に首の筋がじゅわと反応する感覚がわたしの中にまるで内出血のとめどない広がりのように熱を伴って充満した。わたしはその行為にどう応えたらいいのかがわからず、ただ苦しくなっていく自分の様をまじまじと感じていた。家に帰ってからすぐに首絞めセックスについて調べた。誰も上手な首の「絞められ方」を考察している人はおらず、「絞め方」の注意点だけがごまんと出てきた。曰く、首絞めは呼吸ではなく血液を制御すること。
 わたしは三年前に海外で絞殺された友人のことを思い出した。借りていた部屋でひとり眠っている間に侵入されて首を絞められたのだと聞いた。彼女は死ぬ直前、日本の調味料への恋しさをSNSに書き込んでいた。わたしはそのコメントをオンタイムで見ていた。その数時間後に殺されたのだと後から知ることになった。絞められている最中に目覚めたのだろうと想像した。事件からしばらくの間、わたしはなぜか電車に揺られるたびに、しゃくりあげるでもなく顔を歪めるでもなくただ目を見開いてこぼれるがままに涙を流していた。まわりの人々はきっと迷惑していただろう。
 バレンタインが来たので、クッキーにナヴァラサの紅茶を取り合わせてイギに贈った。クッキーの包装には蔵前の『木馬』で購入したリボンを使った。これもまた消え物のうち、と捨てられるつもりでいたそのリボンは、別れ際に彼がわたしのシャツの襟に巻いてくれた。
 そうしてわたしの首に彼が残す皮膚感覚は着々と蓄積していった。イギは上手にわたしの首を絞めているらしく、苦しさはちっとも嫌悪を呼び込まないしトラウマにもならない。死んだ友人のことを思っても、ただ彼女とわたしの隔たりを感じるだけだ。わたしは首を絞められる感覚を早く快楽に変換させたいと思った。理屈としては、頭部へ向かう血液の流れを抑えると脳が酸素不足になりふわふわとして気持ちよくなれるはずなのだ。それができてようやく物事がうまく巡るような気がしていた。


 すぐに小さな変化があった。首を絞められるのは確かに苦しいのだが、イギのその行為に対して愛着が湧き始めていた。首筋に彼の手が置かれると途端に期待と安心が生まれる。彼の気配がぎらつくたびにその情動のありようを見守るべく固唾を飲んだ。イギの身体はいつもどこかむずがっているようだった。エネルギーの適切な排気口を探してじたばたしているように見え、わたしの胸の内側をヒリヒリさせた。
 わたしの体のほうはと言えばすっかり彼の肌に懐いていた。あるとき、背中側から尻に性器を埋められ首に両手をかけられたまま、ふいうちで肩を噛まれた。自分でも聞いたことのないようなあられもない声が出た。快感のうねりが下腹部から脳天へ突き上げて全身を震わせた。わけもわからず体の仕組みが変えられていくのが怖くもあり誇らしくもあった。


 イギは時おり駄々をこねた。体調を崩せばわたしが送った助言をことごとく退け、汗を吸ってくれる寝具の代わりにと思い枕元にホテルのバスローブを持っていけば嫌がって部屋の隅に放り投げ、風呂上がりの肌にネロリのアロマウォーターをつけてやれば臭いと叫んだ。正直でいい。ネロリの香りについてはわたしも同意見だった。
 幼児であることと成人であることの間を高速で行ったり来たりしているのかもしれなかった。彼はわたしの前では仕事の自慢も愚痴も言ったことはないが、彼が仕事に対して甲斐性のある人間であることは何となく伝わってきていた。むずがり屋の幼児であることを抱えたままそれを実行しているのかと思うとたまらなかった。実際に目にした回数は決して多くないはずの、目を瞑っているイギの顔が記憶に強く残っている。彼が安らかである時、ようやく立ち止まったのだという安堵がわたしを満たした。ただ、外着のまま布団に入って小言を受けたことがあったから、彼は彼でわたしを幼児のように行儀が悪いと思っていたかもしれない。
 明け方に目が覚めて、横に顔を傾けるとイギの背中がある。静かに眠る人だった。薄暗がりに輪郭が溶けかけた背中を、とくにどこということもなく眺めていた。やがて彼の携帯の目覚ましが鳴り、それまで微動だにしなかった彼の体が身じろぎをする。アラームを止め、今朝は誰といるはずなのかを思い出したように、彼が、というよりは彼の体がおもむろにわたしを探し始める。その時間が好きだった。


 明け方の暗がりの中で騎乗位をした。いつも部屋を暗くするか明るくするかで照明スイッチの奪い合いをしていたが、その朝ばかりは起き抜けのイギは何も言わずにわたしに跨らせているばかりだった。わたしは好き勝手に腰を振っていた。騎乗位に慣れていないわたしにとって、その形で気持ち良くなれるのは無性に嬉しいことだった。その時カーテンは細く開いていたのだろうか。彼の顔や体の輪郭がほの白く浮かんでいた気がする。
 イギは身を起こして体位を変えた。えぐるような松葉崩しですっかり目が覚めた。痛みを訴えるとその体勢を解いて彼はわたしの背中に覆いかぶさった。挿入されたまま、痛いの、と問うてくる声の穏やかさにわたしの体はたちまち安心し、脱力した。と思うとすぐに分厚い手のひらで口と鼻を塞がれた。一瞬前の声のやわらかさと次に与えられる物理的な圧力との落差にクラクラする。わたしはまぶたの粘膜から酸素を取り込もうとでもするかのように激しくまばたきをした。鋭いな、と思った白さは暗闇に射し込む朝日なのか、シナプスの興奮が見せた何かなのか。確かに脳または視界でちりちりと細かに爆ぜていたものがある。焦るほどにちりちりは喧しさを増した。息を吐いたり吸ったりするわずかな隙間もなかった。わたしの生命に対して微塵もたじろぐことがないイギの与える苦痛は、他と比べようのないくらい鮮明だ。冴えた苦しみにもがいてわたしは彼の手を引き剥がそうと暴れた。彼が口を塞ぎ直す一瞬にわたしは生きながらえるためのぎりぎりの空気を吸い込み、またびくりともしなくなる手のひらの圧力にもがく。彼の遊戯に応えられるだけの肉体の強さが欲しくて、意識を保っていなければならないと思い込んでいた。本当は抵抗などせずに身を任せていたかったし、彼の前では気を失ってもかまわないと思っていたのに、わたしは自分の身体を信用できなかった。だから空気を吸いたかった。
 突然イギの手のひらから力が抜けてわたしの気道に予期せぬ量の酸素が入り込んで来た。わたしの口を塞ぐ間に射精したのだろうか、彼の先端がわたしの尻の間から引き抜かれてそこにも空気が入り込むように冷気を感じた。
 苦しい行為を施された後に、どういう顔をしたらいいのか相変わらずわからなくて困っていた。何事もないようなそぶりも喜ぶ顔をするのも相手が身を引くほどの拒絶を表すのも、どれも本意ではなかった。思考は右往左往を経て、なんで苦しいことするの、とごく軽い不平を言うという表現に結局は収まる。「性癖だから」とイギは短く答えた。
 彼は服を着る途中、ぐったりと布団に突っ伏したわたしの両足首をベルトで束ねた。わたしは何も言わず、硬い革の帯がいずれ絞られるのを待ったが、彼はすぐにベルトを外してわたしの足を降ろした。
 そのときイギが何を考え何を確かめ何を止めたのかを知らないまま、この先の関係をわけもなく信じて漠然と彼と別れた。帰り道にひとりで食べた鹹豆漿(シェントウジャン)の味を覚えている。川沿いを歩きながら、桜が咲くのを待っていた。






ランジェリーが増えます