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溶かした春の涙

1分、1時間、1日と、時間は確実に過ぎ去っていく。
私を押し流すように、何かから引き離すように、時間は身勝手に自立して進んでいく。
発車した新幹線の背もたれに押し付けられて、身体が現実から離れていった。
身体は、心は、どこに行った?手だけは、確実に隣の男と繋がれている。

恋人の故郷に、旅行に行く。
雪が少ないと言われる今年でもところどころ寒々しく雪が積もり、色も、音も、少なくて静かだ。感情を吸収されて、身体すら現実に置いてきた、足跡のない雪のようにまっさらになりかけた存在が、鉄の箱で猛スピードで運ばれている。近未来SFのように見せかけた、ありきたりな秘めた温泉旅行。

あたたかくなった最近であっても、この土地はまだ冬を滲ませている。
こんなに大雑把で寒さに弱い男が、この土地で生まれたということがまだ少し意外で、ということはまだ知らない一面がたくさんあるのではないかと思い切なくもなるが、そもそも、知らないところだらけかとも思う。2人以外に、この関係を知らせることは滅多にできないのだから。そうしたら、私たちは、2人しかいない小さな宇宙で、恋愛をしている?

こんなご時世だから、新幹線にも人があまりいない。観光地にも、人が少ない。

それでも、私たちにはお互いが絞り出した「今」しかない。不要不急の外出を控えるべき国として勝負の1−2週間にだって、平気な顔して旅に出る。偏差値が低いのだろうが、自分には正直だ。

失礼だけど、こんなに人口密度が少ない土地で、家と職場の往復のみをしていたら、マスクなんて到底必要なさそうなのに売り切れてる、と意地悪く笑った私を、嬉しそうに恋人はたしなめた。
好きな人の前で、私はきっと性格が悪い。
外面のいい姿を演じなくても受け入れてくれるから、その人のことが好きなのだと思う。

くだらないことをぼやきながら、1000段近い石の階段を上りながら、その土地の空気をめいっぱい体に取り込む。
寒さで透き通った空気は、普段眠っている内臓の意識を覚まさせる。体の真ん中あたりが、冷たい空気を吸ったのに熱くなる。同時に、色んな気持ちを含んだ涙も、少し滲む。それはもちろん、静かに目にもう一度溶かせるから、ほら、元通り。大丈夫、元通りに、笑える。

寒さに頬を刺された恋人の横顔を見る。ほのかに赤くなっている頬に手を伸ばす。
「冷たい。」「でも2人でいたらあったかい。」「すごいね。」
2人でいると必要な言葉の数も語彙も減って、その分、表情や温度を敏感に感じ取る。
いわゆる遠距離恋愛を始めた私たちにとって、お互いを直に感じることだけで意味のあることだ。触れるってすごい。触るってすごい意味があることで、どんどん好きな人のことは触っていくべきだと思う。
開けた高台から見る寒々しい風景も、好きな人の故郷と思えば血が流れて体温が通う。

肝心の温泉は、畳の香り漂う客室があまりにも色っぽくて、
恋人の浴衣姿があまりにも格好良くて、
完全に初めてラブホテルに入る女子大生のような照れ方をしてしまった。何かを演出したいという恥じらい以上に、めちゃくちゃに恥ずかしかった。恥ずかしすぎて、照れすぎて、最初のキスは爆笑しながらした。その後は、いつも通り。部屋に着く露天風呂と、浴衣と、布団のおかげで、いつもより湿っぽくはなった。

帰りの新幹線は、東京に置いてきた身体を迎えに行くような旅路。
帰りたくないなあ、切ないなあ、寂しいなあ、でも楽しかったなあ、美味しかったし、気持ちよかったなあ、たくさんの感想の交換。アサヒとプレミアムモルツのロング缶をそれぞれ飲み、無駄に高いご当地のサラミをかじる。そのあとは、旅館で出会った美味しかった日本酒を飲みながら、楽しい話も、切ない話も、重ねる。
時間は、どうしたって過ぎる。

東京に戻り一緒にもう一泊し、家に帰る恋人を見送った。
目に見えてやわらかくあたたかくなった空気を感じ、空を見上げ、春の日差しに目を細める。空を見上げれば、いつだって同じようなビルに見守られている。それも、相当に多くの。その隙間の空に救いを求めるように、目線をやる。

2人で過ごした旅行が終わり、日常に戻る。
家に足を踏み入れた時、小ぶりなラナンキュラスは首が折れてしまったことに気がついた。大きな頭ほど、落ちてしまうのが早い。まだ花はしっかりと美しかったので、顔だけ切って水に浮かべた。
好きな男は、その花を水仙?と当てずっぽうに言った。
そう、そうだよと、適当に答えた。

遮光カーテンの隙間から漏れる朝日に切なくなることも、
抱きくるめられた両腕を愛おしく思うことも、
時間が止まって欲しいと思うことも、
好きな男の家族を思うことも、
滲んだ涙を隠すことも、
同時に一つの脳みその中で巡らせることはなかなか骨が折れる。
私だって、たまには疲れる。

時間って、止まらないんだなあと、恋人と一緒にいることができる期間をぼんやりと数えながら過ごす。
春のあたたかい日差しに、やわらかく残酷に侵食されながら、散る桜を見るくらいまではできたらいい。すごく。

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