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現在(いま)を生きる犬

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「私にずっと覚えていて欲しいと思う?」
「当たり前でしょ、一生のうちの一番でいたい」
「贅沢じゃない?」
「でも絶対俺といるのが一番楽しいと思う」
「自信家だなあ、あ、そこきもちいい、」
「あったかいよ、熱いくらい」
「やばいね、うそつけないや」
「浮気したら本当に殺すから」
「怖いなあ、つかないつかない、きもちいいよほんとに」

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恋人は圧倒的に「現在」を生きている大型犬だ。
そして体温が高く、心を許せば従順で、顔がいい。

寒さが深まってきた11月の始まりに、洋風のハンバーグを作った。ハンバーグは手抜き料理だと思う。丁寧な暮らしなんてキャラクターじゃないし、作り置きなんてしないし、何となく気の向くように料理を作るが、それは肉を捏ねて丸めて焼くだけでできるし、工程が多いが大した動きではない。無心で作るには最適で、一方で男子はそれを感じない、お得な料理であるからそんな存在のハンバーグは色々な意味で興味深い。

ハンバーグ夕食を食べ終わり、恋人はベッドに伸び伸びと寝転びお気に入りの厚手の毛布を体にまとった。この毛布は、5年ほど前に大好きだった年上の恋人の家にあったものを真似して買ったものだ。ふわふわの毛布は変わらないけれど、そこにいる人間は変わっている。最高の手触りで変わらずに包み込むが、毛布を取り巻く環境は時の流れには抗えない。でもただただ自然にその流れに溶け込んでいるし、変わらず気持ちいいから好ましい。

彼は毛布との隙間に私を誘い入れようと手招いている。その誘いには、断る理由は一つもない。体温の高い人間から暖をとるのが好きで存分にそれを楽しみ、目一杯その毛布や腕に絡まりながら温まっていると、好きではない秋と冬はどこかに消えていく。

恋人の故郷の近くに旅行をした時、思ったよりも車を降りてからの目的地が遠く、車通りの多い田舎道を歩くことになったことがある。私の首筋に顔をすりつける犬のようになりながら、その時のことを思い出したんだと唐突に彼はこぼす。お店はほとんどないがお店を予告する看板がいくつか立つ道を、家族ではない私と手をつないで、目的地までの所要時間の確認もせずに、手を繋いで歩く。たまに軽くキスをする、ああセックスしたいなあ、もうここでしちゃおうかと彼は頻繁にささやく。笑いながらそれをいなす。

田舎はなぜか大きなトラックが多く走っている。そのトラックがスピードを落とさずに私たちを追い抜く時、風はその空間を超えて私たちを揺らし、一度死んだような気持ちになる。何度も何度もトラックは通り過ぎる、そこで何度も何度もそこで私たちは死んでは生まれ変わる。それを繰り返しながら、歩き続ける。この田舎道を歩くことで生きるを体現している。
こんな話はこの時にしていないし、おそらく彼はそんな風にこの時を認識してはいないが、何気ない瞬間を覚えていてくれることは恋愛の中では嬉しい。

ふわふわと毛布に包まれて話し、下半身を押し付けたりして笑いながらもお互いの暖かさで癒されていると、彼は私のジーンズと下着を下ろし、体内にぐっと入ってくる。キスも大してしていないのに、受け入れてしまう。人によってこうも受け入れる身体の態勢が異なることに毎度驚く。後ろ向きに抱かれたまま、着衣のまま、そうなるのがとても好きだと言ったことを恐らく覚えていて、わざとやっているのだろう。全身で感じていた暖かさから、一気に子宮のあたりに感覚は集中し、だらりと続いた日常の中でそうなる瞬間の贅沢さに没頭する。
私たちだって何かを削るような行為ではなく、微笑みながらセックスをすることだってあるのだ。

過去の恋の話を聞くことが多いが、彼にとって過去の恋人たちは良い思い出と化し、死ぬ間際に思い出して欲しい訳ではないのだという。
ただ、今この瞬間に側にいる女は全て独占しないと気が済まないような、厄介で幼稚な男だ。浮気をしたら咬み殺すという彼の声も表情も、こんな関係であるのに無邪気なもので、まっすぐな殺意を向けられることを想像しながら、自分の中で彼の硬さを感じては震える。

どうなったら彼の「現在」ではなくなるだろう。そうなるまでは側にいる贅沢さを味わっていきたいと思うものの、いつからがこの関係が過去のものになっていくのか、明確に分かるのだろうか。
私だけが分からないなんて悲しいから、いつも飲んでいる甘めのコーヒー牛乳がなくなるときのように、目に見える形で注意深く親切に教えてほしい。

ああ、もうすぐ、この大型犬は射精をしたがるだろうなと感じながら、熱くてぼやけた頭でまだハンバーグの味付けのことを考えていた。
あと、もう一回くらいはハンバーグを彼に作るかもしれない。

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