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『統合失調症、躁鬱病が僕の生きる武器に変わった』精神障害抱えて働くのはハードモード

こんにちは、あまたつです!
就職活動ですが無事に人事総務部に内定しましたが、躁鬱病(双極性障害)や発達障害を抱えながら苦しみながら働きました。

僕が入社したのはペットボトルや紙パックの容器を作るメーカーの人事総務部で本社勤務でした。生産する製品は普段飲んでいる製品なので会社を好きになりました。

障害者枠のトライアル雇用(働いてみて適性を見る雇用)でしたが憧れの人事の仕事に就けたので嬉しかったです。

週5日の7時間勤務でしたが色々と問題が出始めます

7月に入社して人事総務部なので基本的に雑務が多かったです。女性上司が直属の上司になりました。

本格的な仕事は7月の中旬から始まりました。全国にある工場の改善チームの業務改善を評価したものをまとめる仕事がメインでした。

あれ?これって採用人事じゃないんじゃない?と思い始めました。

人前で話すどころかひたすらデータを正確に入力する仕事は僕の苦手な分野でした。

もちろん採用人事の仕事がないわけでもなく、高校に営業活動しに同行したりしていましたが基本的にデスクワーク。新人だから仕方ないと思いながら雇用保険などが載ってるパンフレットで人事の勉強もしてました。

上司に「仕事がないときは何してましたか?」と聞いたら「ひたすら人事の勉強してたよ」と言われたので勉強していました。

不運だったことに、僕が入社した年は台風が引っ切り無しに上陸する年でした。
僕の躁鬱病は気圧や日照時間で体調が変わります。

晴れが全くないなかでさらに勤務もまだ慣れておらず体力的に万全じゃなくなってきました。

カフェラテを飲んでも今までなら気分が上がりましたが、通用せず毎日頓服を飲みながらの勤務になりました。

しんどい。

働くための訓練を週5日していましたが疲労度がやはり違い対応できませんでした。

さらにデスクワークばかりしており基本的に誰とも喋らず、じっと7時間座りっぱなしで隠れADHD(多動性)の気質が出てきました。

工場内を歩く時間をもらう配慮もありましたが効果は薄かったです。また草抜きの仕事も時間が空いたらやってました。

さらに採用の仕事が閑散期になり、仕事がなくなったため営業用のパンフレットを組み立てる作業がなくなりました。

次第にコミュケーションにも問題が出てきます。

情緒が不安定になり、体調が悪化して心配をかけてさせてしまった直属の女性上司に嫌われてるんじゃないかという妄想が頭から離れなくなります。

他の上司に相談すると「心配するのも上司の仕事でそれを込みでお金もらってるから気にしなくていいよ」と言われました。確かにそうだなーと思いながらもモヤモヤしていました。

日々「嫌われてたらどうしよう」と悩み込んでしまいました。

ある日、自分の席に座っていたところ食堂で女性上司二人が僕の陰口をしている映像が頭に流れました。

統合失調症の始めだったかもしれませんがその時はまだ気づいていませんでした。

後日、仕事の適性や発達障害の関係で上司から部署を変える提案をされました。製品の原料を扱う部署でした。歩く機会も多いし、工場内の人と話す仕事もあるとのことでした。

人事総務部を離れるのは嫌でしたが働き続けるには仕方ないかと思いました。結局、資材という部署に変更になりました。

資材ではたまに原料を運ぶ人と話す程度で会話なし、デスクワークもほぼ無くなり体調がどんどん悪化していきました。最終的には鬱気味になり人事総務部に戻りました。

さらに余命宣告を受けていた祖父が亡くなりメンタルが崩れることになります。

職場に復帰するも鬱の傾向は治らず、上司に仕事の相談をしようと思っても声が出せなくなってしまいました。

「これ以上ここで働いていても体調は崩すだけだし辞めたほうがいいかな」と思うようになり、会社を止めることにしました。

同僚はみな基本的にいい人ばかりでしたし、会社も自分にとってお気に入りの会社でした。

しかし躁鬱病や発達障害と相性が悪く続けることができませんでした。

障害者という意識はこの当たりから強くなります。

躁鬱病や発達障害がなければなと考えたり悔しがる日々でした。

次回は鬱と向き合う生活を書いていきます。


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