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人生万事塞翁が馬

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#生老病死

紫陽花が教えてくれること

もう今年も6月になった。

この季節になると思い出すのは、梅雨の時期の風物詩のようにも思える、紫陽花である。

この6月1日の亡き妻の命日に、知人から贈られた大きな紫陽花の鉢。

仏壇の故人の遺影の横に、紫色の大きな花をつけて故人を護っているかのように鎮座している。

この紫陽花が、「朝夕のご焼香の際、もうこの世にはいない妻に、もっと感謝の気持ちを伝えたかった」という思いに私をさせるのである。

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私の人生の物語

私の人生の物語

「人は、それぞれの物語を生きている」

或いは「人生は物語である」といった本の一文や誰かの名言として、耳にしたことも多いこの言葉。

最近、私も、「自分の人生の物語」について考えてみたが、「言葉としては、何となく分かるけれど、それってつまりどういうこと?」と自分の生き方に取り入れてすんなり消化できなかったというのが本当のところである。

この6月1日は、今からちょうど4年前、ハワイ島コナでの自動車

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間違いがちな「人のために」という思いや行動

間違いがちな「人のために」という思いや行動

「人ために何かをしてあげる」、「自分は横において人のために」というのは、とても美徳のように思われているが、ここには、大きな落とし穴も存在しているように思われる。

新型コロナウイルス感染拡大によって貧困や生活苦に悩む人たちが増加する中で、その種の人たちに手を差し伸べたり、支援していこうとする人たちが増えているように思われる。

とても素晴らしいことである。

世界が危機に直面する中で「利他」という

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想いをつなぐ

想いをつなぐ

皆さん、「風の電話」ってご存知ですか? 

会えなくなった人に想いを運んでくれる電話のことです。

東日本大震災の被災地、岩手県大槌町の海を望む丘の上にたたずんでいる白い電話ボックス。

中に置いてあるのは、電話線につながっていないただの黒電話。

この「風の電話」は、震災の2年前、庭師の佐々木格(いたる)さんという方によって作られました。

「癌」で他界した従兄弟と残された家族が、永遠につながる

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人間万事塞翁が馬−17

人間万事塞翁が馬−17

入院・手術を控えて教えられた本当の美しさ

私は、数年前から、変形性股関節症という病でここ最近は、歩行も不自由になり、痛みも増してきたので最近は、安全を考えて杖を使っている。

2年半前のハワイでの交通事故で同乗していた妻を失い、1年前は16年間、一緒に過ごした愛犬を失い、そしてコロナ禍で仕事も大幅に減少とこの3年間、立て続けの思わぬ事態との遭遇に、毎日、強い喪失感と寂寥感を抱えながら生きてきた。

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人間万事塞翁が馬−16

人間万事塞翁が馬−16

ペットと人間

 愛犬、バズが教えてくれたこと。

2019年10月28日14時50分、16年間、私たち家族と時間を共にしてくれた愛犬のボストンテリア「バズ」がその生涯を閉じた。

その前年6月1日、ハワイ島での交通事故で私の妻が亡くなり、私自身も負傷してしまった関係で、止む無く愛犬を次女の家に預け、世話してもらっていたのである。

彼が亡くなった10月28日の朝、次女から、「昨夜からバズの状態が

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人間万事塞翁が馬−15

人間万事塞翁が馬−15

喪失や悲嘆等、人生にぽっかり空いた穴から得られるもの

2020年は、新型コロナの感染拡大に揺れた一年間であった。

私の仕事も中止や延期が日常化、外出も思うに任せずストレスに満ちた一年であった。

新型コロナウイルスによって日本の「東京一極集中」のもろさが露呈した。

これは人口と経済機能がともに首都圏へ集中していることが生んだジレンマだといえる。

リモートワークの活用が進んでいるが、実はこれ

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人生万事塞翁が馬−14

人生万事塞翁が馬−14

非日常が日常に

私は、2年半前、ハワイ島での交通事故で、長い間、共に生きてきた妻を亡くしてから、いろいろな意味で困り、途方にくれたが、その中でも日々の日常の生活、料理、掃除、洗濯等等のやり方、対処の仕方がわからず正直、投げ出したくなることもたびたびであった。

結婚した当初から私は、自分の領域は、家族の経済面を支えること、それ以外のこと、子育て、家事、家計費のやり繰り等その全てを故人である妻へ任

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人生万事塞翁が馬ー13

人生万事塞翁が馬ー13

あるがままに生きる

長年、勤めた組織をリタイアすると多くの人は集団から自由になれる。

一方でそれは、集団との同調や集団の規範から抜け出すことになり、自由ではあるものの、その自由さの中で、どのような生き方をすべきかという答えを自ら見つけ出さなければならないということでもある。

子供が成長し巣立ち、リタイアする或いは家庭での役割を終えた人は、一方である種の不安な個人になってしまうという宿命がある

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人間万事塞翁が馬−12

人間万事塞翁が馬−12

人生の午後

スイスの心理学者カールユングは、人の人生を、日の出から日の入りまでの時間に例え、その時間を、少年期、成人前期、中年期、老人期という4つの段階に分け、それぞれの段階と段階の間には、転換期という「危機」があると指摘している。

何故ならば、転換期に必要となるのは、それまでの段階の「ものの見方や考え方或いは行動の仕方」等を「新しい期」に適合するように大きく変える必要があるということであろう

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人生万事塞翁が馬−11

人生万事塞翁が馬−11

心の在り方

人生百年時代とは、いったいどのような時代なのか。

50歳が終着駅であった時代とはまるで違う「新しい世界」をどの様に生きていくのか。

この時代、人は本当に幸せに生きられるのだろうか。

平均寿命の延びと反比例する形で私を含めてほとんどの人が、希望よりも不安を多く感じており、それは、経済面、身体的な面、介護等の問題等であろう。

しかし、もしかしたら、その側面ばかり考えて悲観し続ける

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人生万事塞翁が馬−10

人生万事塞翁が馬−10

高年期の生きがい

毎日、平穏無事な生活を送っている人間にとっては、「生きがい」という言葉は、思い浮かべることさえむずかしいかもしれないが、世の中には、毎朝、目が覚めるとその目覚めさえ恐ろしくてたまらない人たちが、あっちこっちにいるといわれている。

「ああ、今日もまた、一日生きていかなければならない」という思いに打ちのめされ、起きだす力が出てこないといわれる人たちである。

「耐えがたい苦しみや

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人生万事塞翁が馬−9

人生万事塞翁が馬−9

余生というのには長すぎる高年期の時間

政府やマスコミによると日本人は、今や「人生百年時代」だそうである。

厚生労働省が2018年に公表した統計では、2018年の平均寿命は、男性が81歳、女性が87歳となっている。

これが、戦前は、男女共に、40代、戦後の1947年でも50歳代であったことを考えると確かに、日本人は、随分長生きするようになった。

長生きするということは、言葉をかえれば、老いて

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人生万事塞翁が馬−8

人生万事塞翁が馬−8

「喪失という現実」をどのように受け容れるか

私の場合は、突如として大きな喪失に直面したので、ショック状態に陥り、喪失という現実を受け止めきれず、自分に起こっていることがぴんとこない状態がかなりの期間続いていた。

失ったものが大きければ大きいほど、その現実を受け入れるのに時間を要する。

起こってしまった現実は変えることができないものの、その現実を自分の中に受け容れることは極めて辛い作業であり、

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