見出し画像

人間万事塞翁が馬−15

喪失や悲嘆等、人生にぽっかり空いた穴から得られるもの

2020年は、新型コロナの感染拡大に揺れた一年間であった。

私の仕事も中止や延期が日常化、外出も思うに任せずストレスに満ちた一年であった。

新型コロナウイルスによって日本の「東京一極集中」のもろさが露呈した。

これは人口と経済機能がともに首都圏へ集中していることが生んだジレンマだといえる。

リモートワークの活用が進んでいるが、実はこれが課題解決の大きなヒントになるのではないだろうか。

リモートワークは場所を問わない。機能を分散できれば、ポートフォリオの考え方からいっても優れている。

オンラインシステムの確立と同時に地方インフラを整備することで、地域の活性化と「東京一極集中」の解消が同時に見込める。

当然、容易に進めることはできないが、今後、南海トラフ地震などで同じようなリスクが襲ってくる可能性は大いにあり、「東京一極集中」の見直しを迫られていることは間違いない。

毎朝、定時に出勤し、上司や同僚と、時間や空間を共有して働くことが不変であると信じてきた働き方をコロナウイルスが壊していく。

Work from homeが世界の潮流となり、また、働き方における「レスの時代」の幕開けともなるのかもしれない。

「ペーパーレス」「ハンコレス」にととまらず「通勤レス」「出張レス」「残業レス」「対面レス」そして「転勤レス」といった新しい働き方が広がっていくであろう。

コロナ禍に遭遇しなければこのような状況に「新しい働き方」など望むべくもなかったであろう。

考えてみると、我々が遭遇する様々な苦しみや悲しみは、そのことだけを捉えると「なんでこんなことが自分に起きるのか」と考えてしまい、世の中を恨んだり、悲嘆にくれたりしてしまうが、もう一方で見方を変えると「何かを失うなわなければ、それまで見えなかった新しい生き方や考え方」にいきついたりすることができる。

そういう意味で、人生は、トレードオフ等では、決してなくて自分が遭遇した喪失や悲しみから、何を学べるのかといった視点や考え方が、とても大事なのではないだろうか。

残念ながら、これが、成功やうまくいったことからでは、決して学べないように思える。

私の場合であれば、妻を亡くしてから古くからの友人や知り合いから「自分も同じように妻を数年前に亡くした」とのご連絡を頂き、奥さんを失くされている方が案外、おられることに驚かされた。

どのようにしてその困難を乗り切ったのか、寂しさを乗り越えたのかまた、1人で生活していく上でのコツ等を教えて頂いたりしながら、今の私にとって大変な助けとなっている。

「病気や大切な人の死」或いは「事業の失敗」等から、穴があくまでは、全く見えなかったものが見えてくるということが、人間としての生き方としてとても大切なものなのではないだろうか?

人生には、いろいろ辛いことがある。

その時に人や状況を怨むのではなく、「何のために自分はこれをもらったのか」というように発想を変えてみる必要があるのかもしれない。

そうしていると、人間は決して自分だけの為に生きているのではないということに気づく。

それまで、気づかなかった他人の愛や優しさ或いは自分の傲慢さ等に目を開かされることも多い。

「人生における学びとか成長とは、そのようなことかもしれない等」と今、思ったりしている私である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?