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創作文芸

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#小説

四倍速のしあわせを

四倍速のしあわせを

夕飯はなにがいいかと尋ねたら、シチューがいいなと返ってきた。彼のいうシチューは具がごろごろと入ったホワイトシチューで、大きなボウルにたっぷりとよそって、それだけを黙々と何杯も食べる。
「ごはんとか、パンとか、いらないの」と聞くと、「だって、シチューって小麦粉だし」と彼はいう。変わらない答えに胸がちくちくと痛んだ。

彼とは、かつて住んでいた部屋のすぐそばのコンビニエンスストアで知り合った。再会した

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きみの嫌いなもの

きみの嫌いなもの

カサカサと紙袋を開いて、紙のカップに入ったコーラを取り出す。時間が経ってしまったからだろう、紙カップは少しふやけてやわらかくなっている。ストローを挿して、氷が溶けて薄まってしまったコーラをひと息で飲み干し、ため息をついた。

ハンバーガーを買ったのは、久しぶりだった。

「ああいうファストフードって、嫌いなんだよね」

深夜、煌々と光るハンバーガーショップのネオンライトを見て、運転をしていた彼がつ

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極彩色の夜に

極彩色の夜に

時刻は午前二時。
向かいに座る男の胸には、いかにも重厚そうな黒いカセットデッキが鎮座している。
男がゆっくりと話しはじめると、それはキュルキュルと音を立て、男の声に沿うようにしてやわらかな旋律を奏ではじめた。

「やさしい音ですね」

「珍しいでしょう。こころに音があるなんて」

人のこころには、それぞれにきまった色やかたちがある。
生まれたばかりのころはまっさらだった胸元のキャンバスに、さまざま

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から揚げ日和

から揚げ日和

すっかりと錆びついてしまった揚げ鍋に油を注ぎ、衣にくぐらせた鶏肉を次々と放っていく。
ほんのりと色づいたら引きあげて、すかさず火を強める。
温度を上げて、もう一度油の中へ。
ジュワっと激しく泡立って、熱をまとった小さな飛沫が跳ねた。

「熱っ……」

指先にぽつぽつと飛び散った油が皮膚を焼く。じりじりと、熱を持つ。

――あ、もうきつね色。

急いで引きあげないと、焦げてしまう。
揚げ物は、時間と

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七月九日の最高気温

七月九日の最高気温

ごうん、ごうん、ごうん。
からからに乾いた畳に寝そべりながら、洗濯機のたてる規則的なリズムに耳を傾ける。
投げ出した脚にさす夏の日差しがぽかぽかと心地よく、熱に触れたバターのように、意識がすうっととろけてしまいそうになる。
――いけない。
いまにも畳に沈みこんでしまいそうな体をぐっと起こすと、少しだけめまいがした。けれど今日ばかりは、眠ってしまうわけにはいかない。
イツキさんが、やってくるのだ。

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くらげ

くらげ

「くらげってさ、死ぬときは水に溶けてなくなるんだって」
慣れた手つきでわたしを抱いたあと、身支度を整えながら男が言った。

「帰るの?」
「ごめんね、あんまり時間がなくて」
「……全然、いいよ」
「今度はきっと、もっと時間をつくるから」
「うん、楽しみにしてるね」

うわべだけの約束に期待を寄せるふりをしながら、あわてて部屋を出る男を見送り、洗面台の前に立つ。はり付いた笑顔をほどくように、両手で顔

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0.02

0.02

「ねえ、もう気にしなくていいよ」

習慣のようにコンドームに手を伸ばす彼の手首をつかんだ。

「どうせ、あと一日なんだし」
「……そうだけど」

そのニュースが世界を騒がせたのは、いまから一週間前のことだった。

たった、一週間。
一週間のうちに、すべての人は、生き物は、最期の日を迎える覚悟を決めなくてはならなかった。

告知があった当日こそ大変な騒ぎになったが、三日も経つころにはすっかり騒ぎは沈

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春日追想

春日追想

きのうから、くしゃみがとまらない。
ぬぐってもぬぐっても、湧き出るようにあふれてくる鼻水。いったい僕のからだのどこでこんなに作られているというのだろう。
ティッシュをくしゃくしゃと丸めて、鼻を拭っては捨て、拭っては捨て。
鼻先はすっかりさかむけて、まるで日焼けをしたあとみたいにヒリヒリとささくれていた。

「涙と鼻水って、同じ成分でできているんだって」

彼女がそうつぶやいたのは、たしかロンドンで

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たからもの(終)

たからもの(終)

〝朝焼けの鮮やかなオレンジが窓から鬱陶しい光を差し込んでいて気力を奪う。もうすべてが億劫だった。〟

一話目はこちらから
二話目はこちらから
三話目はこちらから
四話目はこちらから
五話目はこちらから

これで終わり。

 目を覚ますとわたしはいつものように、自室にひとりきりで横たわっていた。ベッドにあの男の姿はない。開け放った窓から差し込む日差しからは、甘い匂いは漂ってこない。朝刊を配って回るバ

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たからもの(5)

たからもの(5)

〝わたしは彼の帰る場所になりたかった。〟

一話目はこちらから
二話目はこちらから
三話目はこちらから
四話目はこちらから

 耳をつんざくような不快な声をあげてカラスが叫び出し、まもなく大粒の雨が突風を伴いながら急騰した水のような激しい音を立てて窓を打ち付けはじめた。雨。果たして、これは本当に雨だろうか。

 窓の外から差し込んできたオレンジ色の光――あぁ、これはかおりだまだ。幼いころ、すべてな

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たからもの(4)

たからもの(4)

〝さよなら、さよならやさしいひと。律儀にお別れを言いに来た真面目なひと。薬指に光る呪いを隠そうともしない、不器用で卑怯な男。〟

一話目はこちらから
二話目はこちらから
三話目はこちらから

 土曜日の明け方、公衆電話からの着信があった。彼だろうか。しかしそうであるならば、土曜の明け方に着信があるというのは妙だった――彼からの連絡はきまって平日の午後七時頃であったのに。一度目の着信は、発信元が彼で

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たからもの(3)

たからもの(3)

〝ていねいな手紙が、受話器の向こうから響くやさしい声にかたちを変えたころ、彼はわたしのはじめての恋人となった。〟

一話目はこちらから
二話目はこちらから

 会うたびに必ずおくりものをくれるひとだった。

 背筋のしゃんと伸びた姿勢、どこか寂しげでありながらも凛とした眼差し。分け隔てなく親切で、紡ぐ言葉ひとつにも知性を滲ませるのに、嫌味なところがひとつもない――彼はわたしのはじめての恋人だった。

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たからもの(2)

たからもの(2)

〝ひとりで生きていくのは容易い。けれど誰かになぞられないと、自分がいったい誰なのかさえもわからなくなる。〟

一話目はこちらから。

「じゃあ、これ。またね」
「ありがとう、また」

 地下鉄へと続く階段をくだる彼の背中を、もう何度見送ったことだろう。彼との関係がはじまって、もうじき一年が経つ。週に一度、気まぐれに響く呼び出しを受けて繁華街まで出向き、安いホテルで体を重ねるだけの関係。彼との関係は

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たからもの(1)

たからもの(1)

〝大切なものは大事にしまっておかなくちゃ。〟

大切に思えば思うほど失くしてしまう少女は、やがてたからものを体のなかにしまいこむようになる――。

以前どこかに投稿しようとしてやめたやつを供養。箸にも棒にもかからなさそうな駄文なので、お暇な方どうぞ。何度かに分けて更新します。全部で二万文字弱です。

(1)

「会うたびにひとつ、なにかおくりものをちょうだいね」

 最初に交わした約束を、律儀に守

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