片桐チハル

出版業界の隅っこに生きるフリーランス。のびのびと、すきなことを書く場所に。スキって言わ…

片桐チハル

出版業界の隅っこに生きるフリーランス。のびのびと、すきなことを書く場所に。スキって言われたら、全力でフォローしにいっちゃうんだから。交流歓迎です。https://twitter.com/akenosora_note

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最近の記事

まばたきの速度

まるで炎のまえにいるかのような熱風がホームをはしる。 アスファルトの湯気の向こう、遠い記憶をさぐるように景色がにじむ。 あなたといると一日がみじかい。起きていても、眠っていても。 みじかい一日をたくさん積み重ねて、まばたきの速度で季節が変わる。 きっとわたしたちは、あっという間に歳をとる。 あとどれぐらい一緒にいられるんだろうね。 人生はそう長くない。 午前九時の常磐線が肌の温度を奪っていく。何度目かの夏がやってきた。

    • 四倍速のしあわせを

      夕飯はなにがいいかと尋ねたら、シチューがいいなと返ってきた。彼のいうシチューは具がごろごろと入ったホワイトシチューで、大きなボウルにたっぷりとよそって、それだけを黙々と何杯も食べる。 「ごはんとか、パンとか、いらないの」と聞くと、「だって、シチューって小麦粉だし」と彼はいう。変わらない答えに胸がちくちくと痛んだ。 彼とは、かつて住んでいた部屋のすぐそばのコンビニエンスストアで知り合った。再会した、というべきだろうか。ひどい花粉症で頬がかぶれ、なんだかものうい春先のことだった

      • see real

        どれほどかなしくても、おなかが空くのはなぜだろう。 先ほど、叔父が亡くなった。 母とよく似た顔をしていて、お金にだらしなくて、どこか憎めない人だった。 母から訃報を聞いて、驚いた。身近な人が亡くなったとき、どんな状況であれ真っ先に訪れる感情は驚きだ。 驚きながら、 「最後に会ったのはいつだっけ」 「どのあたりに住んでいるんだっけ」 「通夜や告別式はいつになるんだろう」 さまざまな感情がめぐる。めぐる。 一昨年、祖母が亡くなった。認知症を発症して長く、覚悟していた死だっ

        • きみの嫌いなもの

          カサカサと紙袋を開いて、紙のカップに入ったコーラを取り出す。時間が経ってしまったからだろう、紙カップは少しふやけてやわらかくなっている。ストローを挿して、氷が溶けて薄まってしまったコーラをひと息で飲み干し、ため息をついた。 ハンバーガーを買ったのは、久しぶりだった。 「ああいうファストフードって、嫌いなんだよね」 深夜、煌々と光るハンバーガーショップのネオンライトを見て、運転をしていた彼がつぶやいたことがあった。苛立ちの混ざったその台詞。外を眺めるふりをして聞き流したは

        まばたきの速度

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        • 創作文芸
          25本
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          2本
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          6本
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          4本

        記事

          さよならには足りない

          兄のように慕っていた友人が亡くなった。 9月で33歳を迎えるはずだった。 8月12日土曜日の朝、友人から連絡があった。「実は入院していてさ、暇なんだよ」 目の保養になるようにおめかしして来てよ、と付け加えた、軽い連絡だった。 言われたとおり、普段はあまり引かないアイラインをはねあげて、病院へ向かった。 退屈しているだろうから…と、課金ができるようiTunesのカードと何冊かの本を手土産に。 病院へ着いてすぐ、彼の母親に会った。 気さくな方で、友人をまじえて飲みに行くこと

          さよならには足りない

          夏の夜の夢

          毎晩のように、好きだったひとの夢をみる。 湾岸道路を、少し離れて並んで歩く。 歩道を行く自転車が、わたしたちのあいだをすり抜けていく。 好きだったひとがすぐ横にいるのに、その顔を直視することができずに、わたしは彼の足元で跳ねるスニーカーの紐ばかり眺めている。 彼がわたしを「春の朝みたいなひとだ」とたとえたことがあった。 「あなたのそばにいると、あたたかくて眠たくなる」 言葉のとおり、彼はよく眠った。一緒にいると眠くなるので、わたしもよく眠った。他人と眠ることが、こんなに穏

          夏の夜の夢

          まどろみのはてに

          下唇が痛くておどろいた。無意識のうちに噛みしめていたのだ。鏡を見たら、下唇に前歯の跡が赤黒くくっきりと残っていた。 わたしには何かを我慢しなければいけないときに、噛み締めてしまうくせがある。昨年は、奥歯を噛み締めすぎて右奥の歯をなくしてしまった。 生活をしなければ、と思う。生活。布団を干す、洗濯機をまわす、料理をする、食べる、お皿を洗う、洗濯物をほす、掃除機をかける、部屋じゅうを拭いてまわる。 お金がなければ、生活ができないから仕事をする。仕事を取りにいくための仕事をして

          まどろみのはてに

          ひとり

          ときどき、無性にひとりになりたいときがある。 特になにをするわけでもなく、濁ったり、透明になったり、世界から切り離された自分を、時間をかけて見つめたい。 よごれた河川に落ちたペットボトルの空き容器のように揺蕩いながら、めぐる思考に流れ流されていたい。 砂浜に流れ着いたとびきりの貝殻を探すように、忙しない日々にまぎれてしまった特別を探したい。 体にぴたりと合ったソファに寝そべりながら、自分に問う。 わたしはいま、ひとりだろうか。 伏せたまぶたの裏に、あなたが浮かぶ。 形

          いつかすべての

          いつかすべての夜が 少しずつひかりを迎えるように いつかすべての声が 波打ち際でまどろむ砂のように 穏やかな重さを帯びて あなたのもとへ届きますように いつかすべての朝が やがて閉じる日々に泣く鳥のように いつかすべての思いが 読みかけたまま目をそらした本のように 暮れていく今日を終えて 明日のあなたをつくりますように いつかすべてのあなたが ひとつずつしあわせに触れるように いつかすべての歌が あなたの世界を彩るように いつかすべてのわたしが あなたの記憶のうちから溶け

          いつかすべての

          極彩色の夜に

          時刻は午前二時。 向かいに座る男の胸には、いかにも重厚そうな黒いカセットデッキが鎮座している。 男がゆっくりと話しはじめると、それはキュルキュルと音を立て、男の声に沿うようにしてやわらかな旋律を奏ではじめた。 「やさしい音ですね」 「珍しいでしょう。こころに音があるなんて」 人のこころには、それぞれにきまった色やかたちがある。 生まれたばかりのころはまっさらだった胸元のキャンバスに、さまざまな知識や経験、感情のゆらぎが色をつけていく。 幼いころは幾度もかたちを変えていた

          極彩色の夜に

          から揚げ日和

          すっかりと錆びついてしまった揚げ鍋に油を注ぎ、衣にくぐらせた鶏肉を次々と放っていく。 ほんのりと色づいたら引きあげて、すかさず火を強める。 温度を上げて、もう一度油の中へ。 ジュワっと激しく泡立って、熱をまとった小さな飛沫が跳ねた。 「熱っ……」 指先にぽつぽつと飛び散った油が皮膚を焼く。じりじりと、熱を持つ。 ――あ、もうきつね色。 急いで引きあげないと、焦げてしまう。 揚げ物は、時間との戦いだ。 軽いやけどはそのままに、慌てて菜箸を鍋に突っ込んだ。 ******

          から揚げ日和

          七月九日の最高気温

          ごうん、ごうん、ごうん。 からからに乾いた畳に寝そべりながら、洗濯機のたてる規則的なリズムに耳を傾ける。 投げ出した脚にさす夏の日差しがぽかぽかと心地よく、熱に触れたバターのように、意識がすうっととろけてしまいそうになる。 ――いけない。 いまにも畳に沈みこんでしまいそうな体をぐっと起こすと、少しだけめまいがした。けれど今日ばかりは、眠ってしまうわけにはいかない。 イツキさんが、やってくるのだ。 「なんとなく、世界中の通貨に触れてみたくなって」 そう言って、イツキさんが行方

          七月九日の最高気温

          くらげ

          「くらげってさ、死ぬときは水に溶けてなくなるんだって」 慣れた手つきでわたしを抱いたあと、身支度を整えながら男が言った。 「帰るの?」 「ごめんね、あんまり時間がなくて」 「……全然、いいよ」 「今度はきっと、もっと時間をつくるから」 「うん、楽しみにしてるね」 うわべだけの約束に期待を寄せるふりをしながら、あわてて部屋を出る男を見送り、洗面台の前に立つ。はり付いた笑顔をほどくように、両手で顔を覆った。わたしは、ちゃんと笑えていた? 鏡の向こうに問いかけながら、また苦く笑

          0.02

          「ねえ、もう気にしなくていいよ」 習慣のようにコンドームに手を伸ばす彼の手首をつかんだ。 「どうせ、あと一日なんだし」 「……そうだけど」 そのニュースが世界を騒がせたのは、いまから一週間前のことだった。 たった、一週間。 一週間のうちに、すべての人は、生き物は、最期の日を迎える覚悟を決めなくてはならなかった。 告知があった当日こそ大変な騒ぎになったが、三日も経つころにはすっかり騒ぎは沈静化し、滅亡を目前に控えたいまも変わらずこの国は機能していた。 小規模な暴動や治

          由緒正しき、喫茶店に寄せて

          その喫茶店は、たしか神保町の商店街を一本入ったところにあった。 たしか、というのは、通っていたのがもう何年も前のことで、店名はおろか、店の位置が合っているかどうかさえ疑わしいからだ。 急な階段を下って地下へ。重い扉をひらくと、何年も染みついた古い煙草の臭いが飛び込んでくる。 なんとなく、いつも麻雀ゲーム機のテーブルに座る。 ゲームとして稼働していたことがあったのだろうか、なんてぼんやり考えながら手書きのメニューを眺める。 「スパゲティ」でも「パスタ」でもなく「スパ」と書かれ

          由緒正しき、喫茶店に寄せて

          一日にたった一度だけ、 わたしの名前を呼んでください。 そうしていつか焼きついて、離れがたくなりますように。 #三行ラブレター #ちょっと呪いっぽい

          一日にたった一度だけ、 わたしの名前を呼んでください。 そうしていつか焼きついて、離れがたくなりますように。 #三行ラブレター #ちょっと呪いっぽい