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夏の夜の夢

毎晩のように、好きだったひとの夢をみる。

湾岸道路を、少し離れて並んで歩く。
歩道を行く自転車が、わたしたちのあいだをすり抜けていく。
好きだったひとがすぐ横にいるのに、その顔を直視することができずに、わたしは彼の足元で跳ねるスニーカーの紐ばかり眺めている。

彼がわたしを「春の朝みたいなひとだ」とたとえたことがあった。
「あなたのそばにいると、あたたかくて眠たくなる」
言葉のとおり、彼はよく眠った。一緒にいると眠くなるので、わたしもよく眠った。他人と眠ることが、こんなに穏やかだとは思わなかった。

たいして彼は、夏の夜のようなひとだった。
夏の日の夜にほんのりとした明るさがあるように、たとえどれほど暗い気持ちを抱えていたとしても、彼といると真っ暗にはならない。
汗ばむほどの熱がなくとも、まぶしいほどの光がなくとも、たしかに明るくてしあわせな日常がそこにはあった。

「大好きですよ」というと、「うん」と頷き、頬をすり寄せてくる彼のくせ。
彼の頬はいつもひんやりとしていて、わたしばかりが熱を帯びている気がして恥ずかしかった。
けっして特別ではない毎日を、重ねるように日々を過ごしていく。
そうやって、どちらかが老いて死ぬ日まで、当たり前にずっと隣にいるものだと思っていた。少なくとも、わたしは。

彼が命を絶ったのは、春の朝のことだった。

「これからは、あなたの記憶で生きていく。はたしてこれも永遠だろうか?」

ルーズリーフに綴られた走り書きのような一文は、まるで呪いのようだった。

知らず知らずのうちにすれ違っていたのだ。
「このままずっとしあわせな関係性が変わらないままいられるに違いない」と無邪気に信じていたわたしと、「変わっていくぐらいなら一番強い思いを抱えているうちにとどめておきたい」と願った彼と。

夢のなかで歩く道は、いつも夜だ。
ほんのりと明るい夜道がつづく。まるで、夏の夜のような。
けっして朝の来ない夜が、いまもまだ呪いのようにつづいている。

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