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さよならには足りない

兄のように慕っていた友人が亡くなった。
9月で33歳を迎えるはずだった。

8月12日土曜日の朝、友人から連絡があった。「実は入院していてさ、暇なんだよ」
目の保養になるようにおめかしして来てよ、と付け加えた、軽い連絡だった。

言われたとおり、普段はあまり引かないアイラインをはねあげて、病院へ向かった。
退屈しているだろうから…と、課金ができるようiTunesのカードと何冊かの本を手土産に。

病院へ着いてすぐ、彼の母親に会った。
気さくな方で、友人をまじえて飲みに行くことが何度かあったので、面識があった。
「入院していて暇なんだよ、って呼び出されて」と笑うわたしに、彼女は少しぎこちなかったように思う。

それから、友人に会った。
言葉が出なかった。目の前にいるのが誰なのか、まったくわからないほど変わり果てていたからだ。
わたしの知る彼は、中肉中背よりは、少しふくよかな男だった。
目の前の男は、頬がこけ、鎖骨が浮き上がり、腹だけが妙に膨らんでいる。

いったいこれは、誰だろう。

あのときわたしは、どんな表情をしていたのだろう。何を話したかさえ思い出せないが、一気に進行してしまったという病状の話を、漠然と聞いたと思う。

「ごはん、食べてくるわ」

そういって、逃げるように病室を離れた。わたしはいったい、どんな表情をしていたのだろう。

昨年の暮れに、彼から「恋人にならないか」と言われたことがあった。
傷心のあまり、酒をあおり、情けなく泣いたわたしの姿を見た彼のその言葉は、同情からくるものだったのかもしれない。
けれど、たったひとりから見離されただけで世界から切り捨てられたような心持ちになっていたわたしにとっては、とても救いのある言葉だった。

「つけ込むような発言はよくないな」と彼が自己完結をしたので、結局わたしたちが恋人になることはなかった。
けれど、いまわたしが色濃くかかわりを持っている人のなかで、いちばん古い友人は彼だったに違いない。
高校二年生の夏に、音楽関連の掲示板を介して知り合って以来、13年にも及ぶ付き合いが続いていた。
疎遠になった時期こそあったものの、互いの誕生日には「ハッピーバースデー」のメッセージを欠かさない程度の距離にいた。

「ねぇ、恋人になろうか」

年の瀬にもらった言葉を返すように言った。
同情でも愛情でもなく、口をついて出た言葉だった。なんて短絡的なのだろう。けれどそのときは、心底「そうするのが良いのでは」と思っていたのだ。
彼は、「馬鹿じゃないの」と笑った。

それから、取り留めのない話ばかりを、たくさん話した。不思議と、過去の話はしなかった。

「あのスペイン料理のお店は美味しかったから行っておきなよ」とお店を教えてくれた彼に、「一緒に行こうとは言ってくれないの?」と聞いてしまいたい思いを飲み込んだ。

「もう一度ぐらい結婚しなさいよ、最後にひとりはかなしいし」という彼に、「わたしがいるよ」とはとても言えなかった。

「毎日通ってやろうかな」というわたしに、「俺が疲れちゃうから、次に会うのは葬式にしてよ」と彼は言った。

本当に、そうなるとは思わなかった。

膨らんだ腹は腹水だろう、同じ病気で亡くなった人をわたしは過去に見送ったことがあった。長くはもたない。頭のなかではわかっていたのだ。
けれど心のなかでは、このままの状態でしぶとく生きながらえてくれるのではないかと、願っていたのだ。たとえそれが彼にとって残酷な状態であったとしても。

亡くなったという連絡を受けた日、夢を見た。
窓の外から、赤ん坊の声が聞こえた気がして窓をあけると、無数のカラスがベランダに連なっている。カラスが口をひらいてなにかを訴えているのに、わたしにはその声が聞こえない―という夢だった。

目を覚まし、時刻を見るためにスマートフォンを手に取ると、すべり込むようにメールが届いた。

「先程、息子が永眠しました」

彼の母から届いた、たった一文の連絡だった。

亡くなって、5日が経つ。
お通夜や告別式も終えた。
どこか見覚えのある安っぽいカードに書きなぐられた「ありがとう、どうか幸せにね!」という彼らしい簡潔なメッセージも受け取った。
もう彼はこの世にいないのだ。

けれど心のどこかで、病にふした姿や亡くなった姿を見たのは悪い夢で、これまでのような軽い口調で「今週暇な日ないの?」と連絡がくるのではないかと思ってしまう。
馬鹿みたいな話だけれど。


当たり前のことなのかもしれないが、人の死がこわい。生々しい。
病に倒れた彼を見て以来、誰と親しく話していても、その人が壊れていく想像がひろがって止まらない。
人と話をしたいのに、表面を撫でるような言葉しか浮かばない。出てこない。関わりかたがむずかしい。

軽い会話を選んで、なんとなく笑って、やり過ごしている。いつもに増して、頭の弱い人間に見えるのかもしれない。けれど、ほかにどうやって関わればいいのか、ちっとも浮かばないのだ。
きちんと関わろうとすると、「いつかこのひとが死んでいくのを見送ることになるんだろうか」と考えてしまって止まらない。
黙っているとそれだけで息が詰まる。馬鹿みたいに笑っていないと、呼吸すらままならないような気さえする。

こんな思いも、きっと時間が解決してくれるのだろう。かなしいのはわたしだけではないし、きょうも世界のどこかで誰かが大切な人を亡くしているに違いない。
自分を納得させるような言葉を並べても、やっぱり恐ろしいものは恐ろしい。
人と関わるのがこわいくせに、連絡がないだけで「もしものこと」が頭をよぎって止まらない。

できることなら、わたしの大切な人すべて、一時間おきに「元気だよ」って伝えて欲しい。
わたしより先に死なないで欲しいし、体調だって少しも壊さないでいて欲しい。
どうか元気で、ただいつまでも元気でしあわせそうにしていて欲しい。

亡くなったらしい彼に、わたしはまだ「安らかに」とは言えない。しっくりこない。さよならには足りない。
納得ができる日がくるまで、早く早く時間が過ぎてくれますように。



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