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see real

どれほどかなしくても、おなかが空くのはなぜだろう。

先ほど、叔父が亡くなった。
母とよく似た顔をしていて、お金にだらしなくて、どこか憎めない人だった。

母から訃報を聞いて、驚いた。身近な人が亡くなったとき、どんな状況であれ真っ先に訪れる感情は驚きだ。

驚きながら、
「最後に会ったのはいつだっけ」
「どのあたりに住んでいるんだっけ」
「通夜や告別式はいつになるんだろう」
さまざまな感情がめぐる。めぐる。

一昨年、祖母が亡くなった。認知症を発症して長く、覚悟していた死だった。
昨年の夏、友人が亡くなった。進行の早いがんで、見舞いに行ったときに彼が言った「次に会うのは俺の葬式」が現実のものとなった、受け止めがたい死だった。
身近な人の訃報がつづく。かなしいよりも、ただただこわい。なにがどう、こわいのかは、うまく言葉にならない。

誰かの死に直面して、驚いたあとに残った感情を消化するには、きっとたくさんのエネルギーが必要だ。
かなしい、こわい。気持ちと向き合おうとするたびに、からだの細胞が少しずつ死んでゆく気がする。
そうして死んでゆく細胞を補うように、食事をする。口に運ぶ。
どうかこのひとくちが、あしたの前向きなわたしをつくってくれますように。

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