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きみの嫌いなもの

カサカサと紙袋を開いて、紙のカップに入ったコーラを取り出す。時間が経ってしまったからだろう、紙カップは少しふやけてやわらかくなっている。ストローを挿して、氷が溶けて薄まってしまったコーラをひと息で飲み干し、ため息をついた。

ハンバーガーを買ったのは、久しぶりだった。

「ああいうファストフードって、嫌いなんだよね」

深夜、煌々と光るハンバーガーショップのネオンライトを見て、運転をしていた彼がつぶやいたことがあった。苛立ちの混ざったその台詞。外を眺めるふりをして聞き流したはずが、わたしはいつまでも、その一言を忘れられずにいた。

嫌いなものの多い人だった。
安っぽいハンバーガーが嫌い。ファミリーレストランが嫌い。座りごこちの悪い椅子が嫌い。かといって高級な店を好むかといえばそうでもなくて、少し背伸びしたレストランに入れば「コストパフォーマンスが悪いよね」と愚痴をこぼした。
愚痴の多い彼。不機嫌に黙り込む時間が多くて、どうしたら笑ってもらえるのか考えあぐねては「もういいや」と言ってしまいたい衝動を何度飲み込んだことだろう。面倒な人だなと思うこともあったけれど、愚痴をわぁっとこぼしたあとに、無言でうつむいて不貞腐れる姿が、まるで小さな男の子を見ているようでいとおしかった。これは嫌だ、あれも嫌い…と、彼が嫌いなものを並べるたびに、知らない部分を知っていくようでうれしかった。

そうして、どのぐらいのあいだいっしょにいたのだろう。

苦手だった赤ワインを「わたしも好き」と嘘をついた日から、わたしは小さく彼の真似をした。食べるもの、選ぶお酒、時間の過ごし方。
彼の愚痴に耳を傾けながら、彼が嫌いなものをなぞるようにして避けてとおり、彼の好みそうなものを選ぶ。たとえひとりきりの時間でも。彼の姿を反芻するように、彼の行動をなぞるように。

飲みなれない赤ワインを「おいしい」と感じられるようになったころ、彼といる時間をはっきりと「しあわせ」だと感じるようになった。
不機嫌な彼にのまれてしまうことも少なくなかったけれど、しあわせなときはとびきりだった。明け方、わたしがひとりで目を覚ますと、かならず寝ぼけながら手を握ってくれる人。わたしがきちんと眠れるように、眠るのを待っていてくれる人。わたしの好きな人。わたしは、彼の好きなものになりたかった。

どれだけ大切に思っているものでも、なくすときはあっけない。彼の愚痴にうなずきながら、彼のことをよく知ったような気になっていた。不機嫌な人だとばかり思っていたのに、思いだすのは薄いくちびるを引いて笑う姿ばかりだ。笑ってしまう。きっと、何にも見えていなかった。

「俺、嫌いなんだよね」

すっかり冷めてしまったハンバーガーをかじりながら、彼が嫌いなもので腹を満たしていく。ひょっとすると、彼が本当に嫌いだったのは、わたしと過ごす時間だったのかもしれない。

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