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粛々
呼吸をしているのか
していないのか
ただただゆったりと呼吸に任せたときに
そのエリアはふいに訪れる
呼吸は私のものではなくなり
呼吸をしているのか
していないのかさえわからない
シンボル領域に引き込まれ
静けさと安らぎへと到達する
還るところ
未知
意図せずに。
意図をしないことでやってくるギフトがある
そのギフトは
「私が何者であるか?」
私という存在について、
私の中で自分という意識が消えて
溶けていく時に、どこからともなく湧いてくるちからを感じたとき、意図しないこと
予期していなかったことがやってくる。
未知な展開。
なんという素晴らしいギフト。
凪
私は何を見て、何を聞いて、何を感じているのだろう
私が感じること、捉えているもの
それは私のどこで認識しているのだろうか
私は何者か
思考を巡らせる
または思考の流れを眺めていくと
“果てしのない果て”
掴むことはできなくとも、たしかにある
到達した感覚に至る
“私はここに在る”
“私は 在りながらも ない”
際限なく拡がる不思議な感覚と安堵感
始まりと終わりの間と空の領域。
「自分の命があと1日だと分かった時、何を食べたいか」
ある日、
このような話題になり、私は真面目に考えてみた。
おそらく私は何かを食べたいとは思わず、何も食べずに旅立つだろう。
食べない代わりに、
これまでの食事のシーン、
もしくは、たわいもないシーンを思い出しながら、その瞬間瞬間への感謝を述べるのではないだろうか。
そして私の人生への関わりを見渡し、
あらゆる人、もの、事への感謝を伝える
確信
思いはどこからやってくるのだろう
つかめないもの
つかめないものに私は気づいているだろうか
私はわたしの思いに気づいているだろうか
探すことなく
追い求めることなく
私は思いに大切でありたい
思いと気持ち。
穏やかに流れる水のような呼吸の中にある
源泉にふれるとき
静寂さの中にある心地よい孤独
孤独はさみしさではなく
大切な思いに溢れた聖域であることに気づく