少子化で、1冊の卒業アルバムが3万8000円の自治体も。家計を圧迫し、負担増へ。
こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事を書いている時に、続々と卒業式が行われていますね。ご卒業された皆さん、おめでとうございます。
私は子どもの頃から卒業式で袴を着るのが夢でした。ですが、私は大学を1年で精神的な病気で、中退しました。
両親、特に母は「私の袴姿が観たかった」とよく言っていましたし、私は「成人式、行く気ないから」と言っていましたが、「せめて前撮りだけでも、記念に残させて」と言われて、成人式の前撮りで、着物を着ました。
着物を着た後、「これで卒業式に参加できていたらな」と思いましたし、あの時髪を綺麗にアップして頂いたのも、その数年後甲状腺機能低下症を発症して髪の毛がかなり抜けたので、最初で最後の着飾った瞬間でした。
そんな卒業ですが、卒業アルバムを巡り、ある問題が生じているようです。
1冊、およそ3万8000円―。学校生活のキラキラした思い出が詰まった卒業アルバムは今、家計への重い負担になっています。
今回は時代の変化を取り入れながら変わっていく、卒業アルバムの在り方を見つめ直します。
卒業アルバムが高額化!一体なぜ?
卒業アルバムの値段に関して、統計的なデータはありませんが、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」の実態調査では、2023年の卒業アルバムの平均額は小学校で1万1179円、中学校は1万1227円だったそうです。
教具や教材、学校の財務などに関して研究している、教育行政学が専門の千葉工業大学の准教授の女性は、「私の周りの人も、卒業アルバムの値段は1万~2万円前後と話しています。みんなが高額な費用を支払っていることを知って、かなり驚いています」と述べます。
少子化で子どもの数が少なくなれば、それに並行して卒業アルバム1冊当たりの単価は上がります。印刷代や紙などの物価高騰の影響を受けていますし、DVD付きやカラーページの増加など豪華な卒業アルバムも高額化する要因を作っている様です。
卒業アルバムを購入するのは慣習として古くから根付いています。家計への負担は決して軽くありませんが、「子どもの思い出の品だし、卒業というお祝いの気持ちも込めて、購入せざるを得ないという親の心情もあるからでしょう」。
卒業アルバムに掲載する写真は、教員が平等に生徒が写っているかを確認します。先述の准教授の女性は「労力的にも時間的にも教員の負担が大きいことに対して、教育効果がどれ程度あるのか、再度考えてみる必要があると思います」と示唆します。
また、印刷物にこだわる必要もなく、「コンパクトで簡易的な卒業アルバムでも、十分思い出に残るものは作製できると思います。目的を再度確認し、古き良き慣習を見直す必要もあるかと思います」と説明しました。
参考:卒アル1冊3万8000円も 家計に重い負担、高額化の背景は 毎日新聞(2024年)
千葉県長生村は2023年度から、公立小中学校の卒業生1人当たり、卒業アルバム代として1万円を補助して支給します。新年度当初予算案に194万円を計上しました。
長生村の小学校は3校、中学校は1校です。生徒数が少ない学校では、卒業アルバムの1冊の単価が上がる傾向で、2023年度の卒業生が18人だった一松小学校の卒業アルバム1冊は、およそ3万8000円でした。八積小学校はおよそ1万7000円、高根小学校はおよそ1万5000円、長生中学校はおよそ1万円でした。
大半の家庭は卒業アルバムを購入していますが、「高い買い物だ」という声が長生村に届いていて、長生村の担当者は卒業アルバム補助の導入に関して、「購入を断念する家庭が出てしまっては、忍びないと意見も出ました」と語ります。
私と卒業アルバム
私の家にはとりあえず、小学校から高校まで、卒業アルバムがあります。それは今は手元にはありませんが、小学生の頃の文集で、「将来お笑い芸人になりそうな人」で、なぜか私が1位に選ばれていました。今でも謎です。
中学は嫌な思い出が強いので語りませんが、高校生の時、なかなか自分では「書いて」と言い出せなかった卒業アルバムの寄せ書きも、誰かが「書こうか?」と言ってくれて、それまで真っ白だったページが、メッセージやイラストで、埋め尽くされたのは、本当に嬉しかったです。
その後色々あって、その時の友達とは、今交流が一切ないのですが。
私は大学中退後、よく卒業生として、一人で母校の高校を訪れていました。知っている先生が多くて、それだけで引きこもりの私には人と会えるだけで随分嬉しかったことでした。
ですが、その学校訪問も途絶えました。ある日私が病気や障害で悩み、母校でメソメソ泣いた時、喝を入れられたからです。その時、自分の既往歴を到底受け入れられていなかった私には、ショックが大きく、学校に行くことは2度とありませんでした。
それでも気がかりなことがありました。私が高校生の時、恩師とも言える人が入院して、それまでは「二十歳になったら、お酒を飲み交わそう」という約束までしていました。
私が泣いたあの日、恩師の先生から、「僕はお酒が大好きだったけど、君が高校3年生の時、肝臓を悪くして、今透析をしている。週に数回、無理を言って、透析をするために、早く帰っている。僕は今年念願の担任を持つことができた。それでも、いつも『この子達が卒業するまでに、自分は元気でいるだろうか?』と不安だよ。それ位透析が重くのしかかっている。だから、君だけが大変だとか思ってはいけないよ」と言われました。
あれから10年以上が経過しましたね。先生は今どうしているだろうか?と、心配しても学校を含め、連絡する手段はありません。
私は2023年の10年前に、「10年後の未来のことなんて分かんないよ」という、歌詞が印象的だった曲が好きでした。あの当時、「10年後か。全く想像付かないな」と思っていましたが、今こうして思いがけぬ出会いで、WEBライターの仕事をしている。
10年前、WEBライターという言葉すら知らなかった私が、こうやって記事を書いていることも、あの当時は引きこもりで、本当にありえないことでした。
あの時の高校の恩師には、今ここで、「色々遠回りしましたが、元気に仕事をしています」と、話をしたいです。
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