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三十一提督の軍艦小話(さわ)

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海軍・軍艦に関する記事をまとめました
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2023年3月の記事一覧

フッド家の提督たち Admirals of Hood

フッド家の提督たち Admirals of Hood

 「フッド提督」と聞くと誰を思い浮かべるでしょうか。自分はとりあえず3人ほど思い付きます。

サミュエル・フッド ウェールズに近いイングランド南西部の町バトレーで牧師の息子としてサミュエル・フッド Samuel Hood (1724-1816) は生まれた。2年後には弟アレクサンダー Alexander Hood (1726-1814) も生まれる。1740年、イギリス海軍大佐スミス Thomas

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日本海軍艦艇命名考(6) 終戦まで

日本海軍艦艇命名考(6) 終戦まで

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどっています。今回は日中戦争までの予定でしたが終戦までにしましたので最終回になります。前回の記事は以下になります。

昭和初期 昭和2(1927)年3月2日、「艦船令」別表「艦艇特務艦艇類別標準」が改定され軍艦に急設網艦が追加された。同年、敷設艦「厳島(いつくしま)」、急設網艦「白鷹(しらたか)」が命名される。
 「厳島」は名所旧跡ではあるが日清・日露戦争の殊勲艦の

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日本海軍艦艇命名考(5) 特務艇ほか

日本海軍艦艇命名考(5) 特務艇ほか

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどっています。今回は特務艇を中心に小艦艇について。前回の記事は以下になります。

明治・大正時代 潜水艦の発想そのものは古くからあるが、実用化のためには主兵装としての魚雷と、潜水航行のための電池の進歩が必要だった。こうした条件が揃うのは19世紀も終わりに近いころになる。日本海軍が潜水艦の導入を決めたのは日露戦争が間近いころのことだった。当時、潜水艦の先進国はアメリカ

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日本海軍艦艇命名考(4) 水雷艇・駆逐艦

日本海軍艦艇命名考(4) 水雷艇・駆逐艦

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどっています。今回は水雷艇・駆逐艦について。前回の記事は以下になります。

明治の水雷艇 自走式の魚型水雷、略して魚雷の最初のプロトタイプが実射試験が行なわれたのは1866(慶応2)年のことだった。1870年代に入る頃にはイギリスを含む列強海軍の関心を集め、この新兵器を搭載すべき新しい軍艦が模索された。試行錯誤の末、1870年代後半には小型高速な船体に魚雷発射管を搭

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日本海軍艦艇命名考(3) 軍縮条約まで

日本海軍艦艇命名考(3) 軍縮条約まで

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどっています。今回はワシントン軍縮条約まで。前回の記事は以下になります。

日露戦争後 日露戦争も結末が見えつつあった明治38(1905)年8月22日から9月30日までのどこかで「艦艇命名標準」が制定されたと推測される(前回参照)。このとき実際に決まったのは、戦艦には国名、一等巡洋艦には山の名、二等巡洋艦と通報艦には川の名、砲艦には名所旧跡、といった具合だろう。この

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日本海軍艦艇命名考(2) 日露戦争まで

日本海軍艦艇命名考(2) 日露戦争まで

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどっています。今回は日露戦争まで。前回の記事は以下になります。

日清戦争後 日清戦争以前の帝国議会では民権派の勢力が強く、政府が提出する海軍充実予算はたびたび否決された。明治26(1893)年度予算案も修正議決されたが明治天皇が宮廷費から海軍充実のために支援する意向を示した結果一転して予算が認められ、戦艦を含む軍艦の建造に着手したが完成は日清戦争後になる。

 日

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日本海軍艦艇命名考(1) 明治初期

日本海軍艦艇命名考(1) 明治初期

 日本海軍の艦艇の命名の歴史をたどってみたいと思います。まずは日清戦争まで。

幕府・諸藩海軍 慶応4(1868)年4月28日(旧暦)、江戸湾で幕府軍艦「富士山」「翔鶴」「朝陽」「観光」の4隻が新政府に引き渡された。これが帝国海軍の発祥といわれている。函館戦争で榎本艦隊と相対した新政府側艦隊には薩摩や長州、佐賀といった諸藩の軍艦が加わっていた。むしろ数的には諸藩軍艦の方が主力だった。函館戦争後、版

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幻の日本海軍艦艇命名標準

幻の日本海軍艦艇命名標準

 日本海軍では、艦艇を命名する際に艦種ごとに何に基づいて命名するかを定めていた。例えば戦艦には旧国名、一等巡洋艦には山の名、二等巡洋艦には川の名をつける、といった具合である。
 ということが、界隈では常識のように語られている。ものの本にもウィキペディアにもそのように記載されている。ところが不思議なことに管見のかぎりそれを公式に規定していた法令や文書は見たことがない。実例をみていくと、巷間でいわれて

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百年前の「イラク戦争」

百年前の「イラク戦争」

 3月20日はイラク戦争の開戦から二十周年だそうですが、今から百年ちょっと前にも第一次大戦の一部としてイラク地域で大規模な戦闘がありました。

開戦とバスラ 現在のイラクの領域は、第一次大戦まではオスマントルコ帝国領でメソポタミア地方と呼ばれていた。一方で東に隣接するペルシャ(自称イラン)では、イギリスとロシアのあいだで勢力圏に関する協定が成立しており南部ではイギリスが石油開発を始めていた。当時イ

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19世紀南米諸国の装甲艦 Ironclads of South American countries in late 19th century

19世紀南米諸国の装甲艦 Ironclads of South American countries in late 19th century

 1860年代に英仏が装甲軍艦の建造を始めると他国も一斉に追随しらした。それは列強にとどまらず、ヨーロッパでも例えばスペインやオランダ、デンマーク、トルコやギリシャといった中規模の海軍国にも波及したのです。南米諸国も例外ではありませんでした。

ペルー 意外なことに装甲艦の導入はペルーが早い。その契機になったのはスペインとの戦争であろう。1864年にスペイン軍がペルー領のチンチャ島を占領したことを

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米掃海艇ホイップオーウィル USS Whippoorwill

米掃海艇ホイップオーウィル USS Whippoorwill

 第二次大戦にも従軍した旧式掃海艇です。日本ではマイナーですがその艦歴は意外に波乱に満ちていました。

真珠湾での日々 第一次大戦中の1916年、まだ中立だったアメリカ海軍では掃海艇の量産を計画した。当時としては比較的大型の950トンというサイズで、機関には旧式のレシプロ機関を採用した。完成した艇には鳥の名前が与えられ、バード級と総称される。35番艇はアラバマ州モビールの造船所で建造されたが、就役

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大清帝国海軍 Imperial Chinese Navy

大清帝国海軍 Imperial Chinese Navy

 清国海軍は日清戦争で連合艦隊の敵になった相手ではありますが、その起源やさらにその後の展開についてはあまり伝えられていないように思います。簡単にまとめてみました。

近代海軍の創設 アヘン戦争敗北直後の1842年、当時はスペイン領だったフィリピンから初めて洋式船舶を購入して訓練にあてたのが大清帝国海軍の端緒といわれている。1866年、福建省の適地を選んで造船廠を建設し自国で船舶を建造するという建議

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Uボートエース、デ・ラ・ペリエール

Uボートエース、デ・ラ・ペリエール

 知るひとぞ知る、第一次大戦でのドイツ Uボート艦長として最高の成績を残したデ・ラ・ペリエールについてまとめました。

出自と生い立ち ロタール・フォン・アルノー・デ・ラ・ペリエール Lothar von Arnauld de la Periére は1886年3月18日、ドイツ東部のポーゼン(現ポーランド領ポズナニ)に生まれる。名前が示す通り、かつて新教の信仰が禁じられたフランスから移住してきた

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トラファルガーキャンペーン - Road to Trafalgar

トラファルガーキャンペーン - Road to Trafalgar

トラファルガー海戦は世界史の教科書にも載っている(たぶん)有名な海戦ですが、そこにいたるまでの経緯は意外に複雑です。
自分が理解した範囲ですがまとめてみました。

ブローニュの大陸軍 1803年、アミアンの和約が破れて後世ナポレオン戦争と呼ばれることになる戦争が始まった。陸戦では圧倒的に強さを誇るナポレオンは陸続きのオーストリアやプロシアを恐れてはいなかった。問題はドーバー海峡を隔てたイギリスだっ

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