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CHANELの5番の群衆に溺れる女

自己欺瞞と自己憐憫

女は過去の恋愛と対話し、自己欺瞞と自己憐憫を繰り返してしまう生き物なのだ。その対話で無意識に架空のストーリーを作り上げ、更に感情の負のループに陥る。もう既に終わったことなのに、「ああしなければよかった」「ああしてたら、あの人と結婚できてたかな」と延々に思いを巡らせてしまうのである。自分が作り上げたストーリーなんてフェアリーテールであることは分かっているのだが、そうならなかった事実と少しでも向き合うことで、なんとか自分の気持ちを保っていられるのもあるのだ。その時のストーリーはその時にthd endさせる。いつまでも引きずるなんてことはしたくない。

しかし、自己欺瞞と自己憐憫はアラサー女子たちに劣等感を与える凄まじいcreatureでもある。どんなに拒否しても、見まいとしても、矢庭に平常心を攫ってしまうのだ。それは、もはや「恋の自然災害」とでも言えようか。他人と比べる必要なんてないのに、少しでも自分より勝っている人を見ると、遮二無二に比較することだけに情熱を注いでしまう。一度そのゾーンに入ってしまうと、誰に何を言われても自分が劣っているように感じるのだ。

Sex and the Cityシーズン1エピソード4でキャリーが周りの女性と自分を比較し、劣等感に苛まれるシーンがある。「CHANELの5番の香水の中、チープな香水をつけてる気分だった。30の大台に乗った時、ありのままの自分を好きになると思った。とびきりの美人にはなれないし、なろうと努力するエネルギーも枯れた。」と言っている。シーズン1がリアルタイムで放送されていたのは1998年である。25年の時を経てもアラサー女子たちが感じることは変わらないのだ。周りの時間は進んでいるのに、自分の時間だけが止まっているように感じることなんて多々ある。まるで、周りの人生はカラーテレビに映し出されているようなのに、自分の人生はモノクロテレビのままだと悲観してしまうのだ。1人で休日の街中に出た時には、尚更そう感じてしまう。正に、CHANELの5番の群衆に溺れている気分である。

そして、同年代の結婚・出産ラッシュの最中、その自己欺瞞と自己憐憫は如実に現れる。焦れば焦る程良くないのは分かっているのだか、頭と心の思惑が交差し、消化が追いつかない。それと同時に、恋人に結婚という「暗黙の圧力」をかけてしまい、その反応が芳しくないと自分の意に反した自己欺瞞な言動を取ってしまう。嫌いになったわけでもないのに、無意味に冷たい態度を取ったり、連絡を無視してしまったりもする。分かってはいたものの、そのせいで関係が悪化し、更に自己憐憫に陥る。「こんな感じだから自分は幸せになれないんだ」と。そんな己と向き合うのが精一杯な20代後半。それ以上のキャパシティなんて、私たちには存在しない。現在、作中で50代を迎えたキャリーさながら、キャパシティがギガマックスのような寛容な女性になれるのであろうか。目の前に25年前のキャリーがいたら、今すぐ一緒にスターバックスでchill outしたい気分だ。

アラサー女子たちが負のヴェールを脱ぎ捨て、CHANELの5番を堂々と纏えた時。それは、「成功」と「謳歌」という鮮やかなカラーインクと共に、人生の情景がカラーリングされた時でもある。どんな情景を映し出すかは、人それぞれだ。その過程が鮮やかであればある程、最後に訪れるのは、自分史上最高のフェアリーテールなのではないだろうか。そう、キャリーとミスター・ビッグのそれのように。

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