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感情は咀嚼力が9割

恣意的モンスターと戦う戦士

他者から与えられた感情を上手く咀嚼することは心のバロメーターを故障させないために、とても大切なことである。コロナ禍から今日にかけ、当て逃げ事故のような感情の押し付け行為をする者が横行しているように思う。そんな恣意的モンスターたちに逐一、感情をコントロールされるのはうんざりなのだ。それらを退治してくれるモンスターハンターがいてくれたら1番いいのだが、コンサバティブが正義とされる現代の日本では、そう簡単にはいかない。それ故、私の場合は、ここに書くことで「ラインティングセラピー」として感情を咀嚼するようにしている。かの有名なエッセイストのジェーン・スー大先生も「書くことが1番のセラピーだよ!」と自身のポッドキャストラジオで仰っていた。

常に関わりのある人から与えられた負の感情であれば、当事者同士の話し合いで解決に導くことができる。しかし、その時その場所に居合わせた見ず知らずの他人から与えられた負の感情については、必要以上に噛み締めて咀嚼しなければいけない。自分は全く悪くないのに我慢をしてやり過ごさないといけないのかという気持ちと、注意を促してその場を鎮めたいという気持ちで常に葛藤している。

とある日のロフトにて。私は常用するボールペンを買い替えようと、全種類のボールペンが収納されている棚の前で狐疑逡巡としていた。始めは私1人だけであったのだが、5分程すると同じ歳程の女の人が現れた。彼女は最初こそ、どのボールペンにしようか迷っている様子であったが、徐々にその化けの皮が剥がれてきたのである。各々のボールペンが収納されている棚は3コーナーに別れており、それに応じて試し書きをするスペースも充分に備わっていた。彼女が欲していたボールペンは私の目の前にあったのだが、彼女は一声も掛けずに私を押し退け、そのボールペンを取った。そして、他にも試し書きをするスペースがあるにも関わらず、わざと私の真横のスペースで試し書きをして見せたのだ。始めは一度の無意識的な誤った接触かと思ったが、彼女はそのような行動を何度も繰り返した。最終的には、思い切り身体の全圧力を使って私を押し退け、捨て台詞を吐きながらどこかに去って行ったのだ。恐らく、否が応でもその場から動かなかった私に腹を立てての言動だろう。あまりの衝撃に言葉が出なかったのと同時に、同性の同年代であろう人がそのような言動を取っていることに、他人事ながら恥ずかしさを覚えた。「きっと、仕事やプライベートで嫌なことがあったんだな」「絶対にこんな女性にはならないでおこう」と思うことでしか、感情を上手く咀嚼することができなかった。今も完全に咀嚼し切れているわけではない。「あれは、私が譲れば良かったのか?」「それとも、彼女の横暴な態度を注意したら良かったのか?」と時折、頭の中で考えを巡らせている。

そんな二度と会うことのない恣意的モンスターたちから受けた感情を上手く咀嚼したところで、関係性に変化が生じるわけでもない。彼らに最初から何かを期待しているわけでもないが、頻繁にそんなモンスター集団が現れると、さすがに気が滅入ってしまう。そのような日常が続くせいで、私生活で関わる友人や恋人の言動に対しても敏感になってしまうことがあるのだ。いわば、日常の感情を侵食されている状態なのである。でも、そんな恣意的モンスターたちのお陰で、身近な人間関係における大切なことも学べた。それは、自分の負の感情をあけすけに放つ前にしっかり咀嚼し、アンガーコントロールをすることである。自分自身を見つめ直せる新しい何かに気付けただけでも、なんだか少し嬉しくなった。何かを犠牲にして何かを得るってこのことなのだと、千代田線の電車が最寄り駅に差し掛かる頃に深く心の中で頷いた。

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