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錆びれた情愛の燈火

わたしが愛した歌舞伎町

コロナ禍を終えた2023年5月。私が愛した歌舞伎町はもうそこにはなかった。活気の燈火で照らされ、燦々轟々と人が行き交う。少し歩けば必ず誰かと肩がぶつかり、目的場所に行くのも一苦労だ。この日は、友達と行きつけの飲食店に行く予定だった。

私が歌舞伎町を彷徨い、ホストクラブに足繁く通っていた時期は正に2020年〜2022年のコロナ禍であった。「担当ホストのためなら命を掛けてでも行く。」そんな稚拙な考えを持っていたため、2020年・2021年・2022年と3度もコロナに罹患してしまったのである。でも、その3度のコロナの罹患は私が歌舞伎町で彷徨い、嘆き、愛し、幸せの形を追求し続けた勲章であるとも思っている。最初に歌舞伎町に足を踏み入れたのは2018年であるが、特にホストクラブにハマったのが2020年〜2022年であった。その3年間で、誰かのために自分の全てを犠牲にすることの尊さと虚しさを同時に味わった。

そして、コロナ禍の歌舞伎町は、正に私が愛した錆びれた情愛が混在する街であった。人通りはまるでなく、目的地に行くのも今の半分くらいの時間で辿り着けた。正に、アン・ルイス大先生の「六本木心中」よろしく、" BIG CITY IS A LONELY PLACE "といった感じだ。愛の燈火なんて、常に消えそうなくらいに脆く揺れていた。歩いている同志の女の子たちの生気は、まるで吸い取られるているような感じだった。それでも、そんな風情のある歌舞伎町が大好きだった。歌舞伎町という大きなブラックホールの闇に吸い込まれ、その闇に落ちた自分に陶酔していたのか、その居心地の良さに依存していたのか分からないくらいに。

そんな3度の「罹患」という背理な勲章を得てでも、歌舞伎町を彷徨う価値があったのか未だに分からない。まだホストクラブを卒業して半年だからなのかもしれないが、計5年の歌舞伎町人生には正解があったのか自問自答している最中である。自分の価値や存在意義を必死に探し求めた5年間であった。普通の人が普通の世界で追い求める幸せの形を、私は歪な世界である歌舞伎町で見つけられると信じて止まなかったのだ。なんて哀れなんだと思う反面、歌舞伎町で過ごした青春、思い出を愛おしくも思う。

自分は一生歌舞伎町を愛し、歌舞伎町で生き、「歌舞伎町心中」をすると思っていた。絶対に、こんな光と闇が入り混じった世界から抜け出せるなんて思ってもみなかった。でも、その闇がついに全ての光を侵食した時、私は現実を見れるようになった。錆びれた情愛の燈火が完全に消えた瞬間でもある。俯瞰して抜け出せたのは何よりだが、いざ今の歌舞伎町を見渡すと何だか切ない気持ちにもなった。なぜなら、欲望の闇に渦巻いた歌舞伎町は、もう見ることができなくなったからだ。愛の価値を試す錆びれた地から、東京を代表とする煌びやかな観光地に還幸してしまった。

すれ違う外国人観光客を見て、ふと思う。「どこの国から来たか分からないこの人は、少し前までの歌舞伎町がどんな街だったか知っているのかな。」と。普通の初な少女が、瞬く間に闇に落ちていく街。正確には今もそのような世界線は混在しているのだが、コロナ禍のそれとは、まるで違う。特にコロナ禍の3年間は、各々の歪んだ慕情が交錯しあっていた時期であった。そんな地をそんな陽気な人々がまた行き交う時が来るなんて、思ってもみなかった。それまでの私は、そんなことを考えて俯瞰する心の余力すらなかったのだ。誰をもそんな心身にさせてしまう歌舞伎町に、生まれ変わってもまた戻りたいか?

勿論。私の人格の一部を形成した歌舞伎町。目まぐるしく価値観と感情が変わり続けた日々。生きる意味を知れた日。死んでしまいたいと思った日。そんな尊くて虚しい青春を同時に体験できる場所なんて、世界のどこを探しても歌舞伎町しかない。そんな、戻りたくても二度と戻ることのない儚い思い出を愛で、また新しい自分に生まれ変わりたい所存だ。決して、色褪せることのないように。

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