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自己紹介2 人類学を専攻した理由

最初の自己紹介では、健康のお仕事についてどう考えているのかを中心にお話しさせていただきました。

今回は、学部時代にどんなことを学んでいたのか?ということについて紹介させていただきたいと思います。

先にかいつまんでお伝えすると、
京都大学で主に文化人類学を専攻、認知科学を副専攻し、
エジンバラ大学留学中は文化人類学、宗教学を学びました。

京都大学総合人間学部という学部の出身です。
理系、文系どちらもある学部で、入試も理系、文系を選ぶことができました。
私は理系で入学し、入学後は理転、文転も可能でしたが、3回生になって専攻を選ぶタイミングでも、理系に分類される認知科学を選択しました。

入試で理系を選んだのは、理系科目が得意だったからではなく、高校生の時は将来自分が具体的に何をしたくなるかが分からないと思っていて、その場合、将来文系の知性が必要な道に行きたくなった場合はなんとか自力で頑張れそうな気がしたけれど、もし建築家や認知科学者、臨床心理士などになりたくなった場合、先生からじっくりしっかり、お尻を叩いて教えてもらえるうちに数学、物理、化学を身につけておかないと挫折してしまいそう、と思ったからです。


認知科学、神経科学の授業は楽しかったのですが、腑に落ちないところもあり、このまま認知科学専攻で良いものか、モヤモヤしていました。
なので、現在進行形の現場を知ろうと、関心の近い研究をされている教授の研究室にアポイントメントをとってお話を聞きに行ったり、大学の掲示板で募集されている心理学実験の被験者に頻繁に応募したりしていました。
実験に参加すると、時にはfMRIやMEGといった神経科学の実験機材を体験することができるほか、実験終了後に必ず質問タイムがあるので、その時に実験の意図や目的などを聞くことができました。

余談ですが、一度、心理学ではなく運動学の分野(ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。筋肉で著名なあの先生の研究室です。)で、バレエ経験者と未経験者の爪先立ちを比較する実験があり、バレエ経験者として被験者になったこともあります。
バーに手を置いた状態とバーから手を離した状態でそれぞれしばらく爪先立ちをし、接地面やくるぶしなど、3箇所ほどにセンサーを当て、いかに安定しているかを計測されました。
「全く危なげがなかった」「微動だにしない!」と、研究生の方々に感動されて誇らしい気持ちになったことを覚えています。笑

実験に参加することは楽しく、研究に貢献できることはとても嬉しかったのですが、それでもモヤモヤしていました。

一方、2回生のとき、宗教人類学という授業を履修しました。
その学部では理系を専攻する人は文系を副専攻に、文系を専攻する人は理系を副専攻にする仕組みになっていたので、どんな人も文系、理系どちらの授業もある程度受ける必要がありました。
私がこの学部を選んだ理由の一つも、そのシステムが魅力的だったからです。

人類学、という言葉の響きは知っていたものの、どんな学問なのかは知らずにいました。
実は1回生のとき、様々な分野の文系の先生たちが週替わりで講義をしてくださる授業があり、社会/文化人類学の回が一度あったのですが、その時その先生は、彼の主たるフィールドワーク先であるアフリカのカラハリ砂漠の狩猟採集民族、サン族の言語をひたすら発音されていて、私は何が起きているのかよくわからず、人類学がどんな学問なのかも全く分かりませんでした。
(その先生のことを悪く言うつもりは全くありません!大尊敬する先生です。リスペクトを込めての描写です。今思うと、この授業もとても人類学的な体験でした。)

その2回生の時に受けた宗教人類学という授業を担当されていたのは、石井美保さんという先生でした。
第一週目から、小柄で可愛らしい容姿と声で、淡々と、次々と、既存の価値観や概念が解体されるようなことをお話ししてくださいました。
その、価値観や概念が解体される感覚に私はもはやよろこびのようなものを覚えてしまったのかもしれません。
あっという間にすっかり人類学が大好きになってしまいました。

それから、文転をして人類学に飛び込もうか、そのまま認知科学にとどまろうか、悩むことになるのですが、答えはなかなか出そうになかったので、いずれにせよしてみたかった交換留学に参加し、それから考えることにしました。


3回生の後半、スコットランドにあるエジンバラ大学に留学しました。
日本の大学のシステムとは全然違い、一学期あたりに授業は3〜4つしか履修できません。それでも本当に一杯一杯でした。
確か留学に行く前に授業を選択しなければならなかったのだと思います。
神経心理学の生徒として留学をしたので、その分野の授業をいくつか登録したのですが、シラバスを見ていて、これは日本で勉強できることの英語版だなあ…せっかくならここでしか勉強できなさそうなことを勉強したいなあ…と思ってしまいました。

一方、人類学や宗教学のシラバスを見ていると、心から興奮するような授業がいくつもありました。1〜2年生の授業は基礎理論なので想像がつきそうな内容でしたが、特に3〜4年生向けの授業はとても魅力的でした。
英語圏ではない国からの交換留学生の多くは基本的には1〜2年生の授業しか受けられないことになっていたので残念に思っていたところ、大学が提供する英語の試験を受けてパスをすれば3〜4年生の授業も受けられるとの朗報が入りました。
少しクセが強めスコットランドアクセント気味の英会話のリスニングを含む試験を私は無事にパスし、すぐに教務に行って授業を変更させてもらうことにしました。人類学、人類学よりの宗教学、そしてケルト文化の授業です。もう、興味がそちらに向いていることは明らかでした。
帰国後、迷うことなく専攻を文化人類学に変更しました。

文化人類学の入門的な本の一つの冒頭に、一度文化人類学を学ぶと、もう前の自分には戻れない、というような記述がありました。
私自身、文化人類学に専攻を変えてから、他の学問で研究をすることは私にとって不可能なことのように感じられました。
今でも、もしも研究者になるとしたら、人類学しかできないような気がします。(でも少し、数学や物理への憧れはあります。)
そのくらい、少なくとも私にとっては特異な学問です。

私は高校生の時、ある大学教授の講演を聞く機会があり、最後の質問を受け付ける時間に、
「自分にとって本当のことを世界中の人にとっての本当にするために、研究者はどのようなことをするのですか?」
という質問をしました。
振り返ると、この質問も人類学的な思考だったと思います。
その教授はとても真摯にお答えしてくださったのですが、そのお答えは、まさに科学人類学という分野で言われていることそのものであり、それを聞いた私は、「科学をしたい」とはあまり思えなかったことを覚えています。

他の分野の勉強をしていても研究をするイメージが湧かなかったことが、ようやく理解できました。

大変長くなりましたが、今回お伝えしたかったことは、このnoteでは文化人類学を通して学んだこともお伝えしたい、ということです。
学部を卒業したのはもう随分と前のことですが、それでも学生の時に思いっきり人類学にダイブできたことは、今でも糧になっています。

人類学だけではなく、他の分野でも私の考え方や生活に大きな影響があった学びや、印象的な体験、印象的な先生との出会いがありました。
時々そのことについても、お話しさせていただきたいと思っています。

留学生活のこと、学歴についての私の考え、大学受験について、などもいつかお話しするかもしれません。

引き続きよろしくお願いいたします :)




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