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読書感想 『トラウマ』 宮地尚子 「トラウマの希望や豊かさ」

 これは、ごく常識的なことなのだけれど、「トラウマ」というのは、最初は本当に専門用語であって、ごく狭い世界で、限定的な使われ方をしてきた。それから、ずいぶんと時間がたち、いつのまにか、日常的に「トラウマ」は使用されるようになってきて、それは「精神分析学」の歴史の凄さ、という言い方もできるかもしれない。

 そうなると、「そのトラウマという言葉の使い方は、おかしい」とか、「正確ではない」と言われることも増えてくるし、確かに使いすぎることによって、何が重大なのか分からなくなる可能性も出てくる。これもトラウマ、あれもトラウマ、と言っているうちに、どれが本当にトラウマなのか、が混乱するかもしれない。

 同時に、「トラウマ」という言葉を聞き過ぎて、もう古い考え方なのではないか、何でもトラウマなのか、というような反射的な拒否反応も起きやすくなっているような印象もある。

『トラウマ』 宮地尚子

 出版されたのは2013年だから、すでに最新とは言えないかもしれない。
 ただ、21世紀に、人が幸福に生きるために、心のことは引き続き大事であることは変わりがなく、その中で、「トラウマ」ということを、もう一度、きちんと考えることは、かなり重要なことを、改めて分からせてくれる本だった。同時に、新鮮に感じられたのは、「トラウマ」というシンプルな題名では想像がつきにくいほど、そして、入門書では難しいような、「幅の広い知」に触れられた気がしたからだった。

目にも見えず、言葉にもなりにくいようなこと ー それがトラウマです。

   冒頭で、柔らかい言葉使いだけど、明確に定義されていて、これも、「じゃあ、なんなんだ」と答えばかりを急ぐ人には、とても納得できないような言葉でもあるかもしれないが、こうした「とても分かりにくいこと」という前提をはっきりさせることで、じっくり考える覚悟は持てるはずだ。

 こうした、間違いなく深刻な側面を持っている事柄を取り扱う時に、「魔法の言葉」や「魔法の方法」、つまりは、どんなに困っている人も、傷ついている人も、こういう言葉をかけたら回復を始めた。こうした接し方によって元気になる。といったことを、明るく断言的に語る人に対して、信頼感がどうしても薄くなる、と個人的には思っている。この著者の姿勢は、それとは、真逆と言っていい。

 すぐに効くような「分かりやすい」ことを書こうとはしていないようにも思える。それよりも、これからどういう方向を目指せばいいのか、といったことを指し示しているように感じる。そういう意味では、確かに「入門書」ではある。

「心のケア」というとき、第一に必要なことは、「心のケア」=「メンタルヘルス」を被災者・被害者に提供することよりも、「メンタリー・ヘルシー」な対応や施策を、社会全体が心がけることだと私は思います。何がメンタリー・ヘルシーかというと、個々の被災者・被害者が深く傷ついているということ、回復の道のりが新たなストレスをもたらすこともあるということを認識しておくことです。その上で、当事者が希望やつながりを感じられるようなビジョンを社会が一緒に考え、実行していくことだと思うのです。対応や施策は、あくまでも当事者主権、被災者や被害者主導であってほしいと思います。

具体的な方法

 厚い本でないのだけど、「トラウマ」に関しては、かなり幅広い事実に触れていて、改めて大事な点について、確認できることも多く、それでいて、個人的には、読み進めるうちに、「トラウマ」に関しての印象が更新されていくようにも思った。

 その中で、今も「PTSD」(ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー)に苦しむ人たちは、「虐待」や「DV」や「性暴力」の被害者の中に、想像以上に多数存在し、自分でもはっきりと分からないまま、「PTSD」に苦しんでい人もいるのかもしれないと、遅まきながら、改めて確認できるようにも思った。同時に、「虐待」や「DV」や「性暴力」の影響の深刻さにも、恥ずかしながら、ほんの少しだけど実感を持って、気がつかされたように思った。

(※PTSDは、少し粗い理解で申し訳ないのですが、命に関わるような出来事に巻き込まれたりしたあとに、その後遺症として、様々な症状で苦しむこと。今は、命に関わるというよりは、とても辛い状況でも、発症するといわれているようです)。


 さらには、「トラウマ」に苦しむ人たちが、どのような行動に出ることがあるのか。また、どのように接すれば、困難な状況にある人たちを、それ以上傷つけることが少なくなるのか、といった具体的な方法にも触れられている。

 そうした具体的な内容の、ほんの一部だが、引用する。

 「差別に負けるな」「弱虫」「みかえしてやれ!」……励ましのつもりだとしても、そんな言葉は二重の差別をもたらすだけです。差別によって自己否定される上に、自己肯定できない人間としてさらに否定されるという二重の差別です。  

 何かおかしいのではないか、と微妙にもやもやするようなことに、こうして明確な言葉が与えられると、なんだかすっきりもするし、自分が不適切なタイミングで、使うことは減るだろう。また、こうした言葉を、善意とはいえ、困窮者自身が向けられた時に、反感をおぼえてしまい、そのことで自分が悪いのだろうか、といった自責の念を抱かずにすむので、有効な情報だと思う。

未来につながること

 さらに、この著者は、「トラウマ」を、症状というだけでなく、そこから学ぶこともあるのではないか、そこに「希望や豊かさ」もあるのではないか、という豊かな視点も提供している。それは、精神科医、医療人類学者、社会学者、大学教授、という複数の役割を持っていることが、可能にしているようにも思える。そして、本の内容が、様々な視点から語られているはずなのに、不思議と、散漫な印象にならないのは、「あとがき」にあらわれているような、一貫した著者の姿勢があってこそだと思えた。

 トラウマは言葉になりにくいということを、「はじめに」で述べました。傷はあまりに痛くて、そのまわりをなぞるしかないようなことが、多々あります。
 一方で、トラウマを言葉にしてしまうと、どんな痛みや苦しみも、さらっと読み流せてしまいます。また、トラウマから学べることを言語化すると、こんなに単純なことなのかと思うこともあります。優しさや弱さ、柔軟性や寛容性、多様性を重視すること。人がただ生きてあることに価値があるということ。誰かのそばにたたずみ続けることに意義があるということ……。言葉にすると、あまりに当たり前で、言い古されたことのようで、薄っぺらく聞こえてしまいます。学生に「結論は、それですかぁ」とがっかりされることもしばしばあります。
 それでも自分が傷ついた時や、周りに傷を抱えた人がいる時、社会が傷に満ちている時、その単純なことが実感を伴って、生きていく力や社会や文化を作っていく支えになりうるのだろうと思います。

 「トラウマって何?」という方から、周囲に「トラウマ」で苦しんでいる方がいらっしゃって、どのように接すればいいのか迷っている方。さらには、社会のために何かできないだろうかと考えている人にまで、幅広くオススメできる本だと思っています。さらには、コロナ禍の今だから、改めて読む価値があるようにも思います。

 ところで、以前、このシリーズで紹介させてもらった「どうして就職活動はつらいのか」(リンクあり)は、大学の卒論をもとにした本だったのですが、その卒論の指導教官が、今回の本の著者・宮地尚子氏だったので、読んでみたくなりました。読む前の期待より、生意気ですが、それを超えてもらったので、勝手にうれしい気持ちになりました。



他にもいろいろと書いています↓クリックして読んでいただけたら、うれしいです)。

植物への「気持ちの距離感」が違うこと。

読書感想   『認められたい』   熊代亨  「承認欲求で悩むすべての人に」

いろいろなことを、考えてみました。

とても個人的な「平成史」


(有料マガジンも始めました。①を読んでいただき、興味がもてれば、②も読んでいただければ、ありがたく思います)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月 (無料マガジンです)。

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