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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「甘えるな!」と、つい思ってしまう理由を考える。

 最初は、ご近所同士で、料理をつくりたい女性と、料理を食べたい女性の交流の中で、レシピのようなものを紹介するのがメインかも、などと思っていたドラマが、もう少し人との関係を描くドラマに変わっていった。 作りたい女と食べたい女 きちんと見たのは、このシーズン2からで、その女性同士が好意を寄せ合っているのがお互いにわかり、付き合い始めるという展開にもなる。それは、原作を知っていれば当然の前提なのだろうけれど、最初は、そうした話の進み方をするとは思っていなかったので、少し意外だった

「一人で抱えこまないで」は、いつも適切な言葉なのだろうか?

 自分が仕事もやめて介護に専念している頃に、一時期、よく聞いた言葉があった。  「がんばらない介護をすることが大事」 がんばらない介護 それは、基本的には正しいし、できたら目標としたいことではあったのだけど、その言葉を目にするたびに、心の中でつぶやいていた。  私も、できたら夜もよく眠れないようながんばり方をしたくはない。だけど、自分しか介護をする人がいないのであれば、どうしてもがんばりすぎくらいでないと、介護を続けること自体が無理だ。  がんばらない介護。とてもいい

「時代遅れ」ではなく、「時代違い」。

 時代は変わる。  そんな言葉を聞いたのは、もう随分昔で、それはボブ・ディランが歌っていた。  本人はそれから60年が経っても現役で、しかも来日したときは、新しいアルバムの曲だけを歌っていて、2023年にはライブにも行ったけれど、この「時代は変わる」を聞いたのは会場の外で待っている時に、スピーカーから往年のヒット曲が流れ、そのうちの一曲としてだった。  だから、考えたらボブ・ディラン本人は、今も「時代は変わる」を身をもって示しているのかもしれない。 諸行無常 もっと昔

2024年の確定申告

 収入は今もとても少ない。  介護に専念していた10数年は、仕事をやめていて収入はなかったから、親の年金や貯金を切り崩して、ギリギリの生活をしていた。  だから、支出を減らそうとして、スマホも携帯も所持することもなかった。介護に専念し始めた20世紀の後半には、そういう人間もそれほど珍しくなかったけれど、2000年代に入ってアイフォンが登場したのが、確か2007年で、その騒ぎはニュースで見て覚えているけれど、自分とは無縁だった。それでも、その後、こんなに爆発的に普及した商品

バイデン大統領の髪型と、富裕層

 いつの間にか、アメリカの大統領選がおこなわれる年になっていて、今もバイデンとトランプが有力な候補だと知った。  今も、いろいろな意味で最も力のある国のトップを、この二人のどちらかしか選択肢がないとすれば、それは、ちょっと怖いことだと思う。 バイデン バイデン大統領が、どんな人なのか。それを少しでも知る知識も情報もなく、それほどの興味も持てないせいか、わからないままだ。  だけど、最初にバイデン大統領をテレビ画面で見て、そして、久しぶりにまた見かけたけれど、その印象は変

『21世紀の「頭がいい」とは何か?』を考える。(後編)。

 人類にとって、「あたまがいい」とは何か?を改めて考えると、その時代によって違いがあるはずだった。  だから、紀元前からたどり直す必要があると思い、未熟であるのは自覚しているものの、なんとか、そこから21世紀の現代まで到達できた。  それが、前編だったのだけど、後編では、そうしたことを踏まえて、21世紀のこれからに必要な「頭の良さ」をさらに考えていきたい。 失われた30年 バブル崩壊以来、ずっと停滞が続く日本経済、だけではなく、日本社会全体を表す言葉として、「失われた1

『21世紀の「頭がいい」とは何か?』を考える。(前編)

 頭がいい、という事については、ずっと関心を持たれているけれど、人類は知力で生き残ってきたのだから、それも当然だと思う。 ゼロから考える力 世界の大学の入試をバラエティーとして放送している番組の中で、面接問題として出題されて、それに対して、社会的に「頭がいい」とされている出演者が模擬面接に挑む、という形をとっていた。  それは、答えがないことを考える、という意味で「ゼロから考える力」という言葉につながっているようなのだけど、でも、まったくのゼロではなく、何かしらの考える材

今の状態は、本当に「人手不足」と言えるのだろうか?

 最近、よく聞く言葉の一つが「人手不足」になっている。  もしかしたら、そのことを切実に感じている人たちも思った以上に多く、そのことで苦しんでいる人もいるとは想像もできるのだけど、個人的には、「人手不足」を感じることはほとんどない。 需要と供給 もう10年以上前のことだけど、仕事を探すとき、非正規の雇用を希望しても、何十社にも「お祈り」された。もしくはただ何の返事もなく、本当に仕事が見つからないことがあった。それから、年月が経っても、自分としては現場でベストを尽くしていた

「推定人口2%」の「人気者」になりたかったけれど、なれなかった理由。

 学校というのは、強引なシステムだと、もう学校に行かなくなってかなりの時間が経ってからでも、やっぱりそんなふうに思うことがある。 小学校 生まれてから7年くらい。まだ、いろいろとおぼつかない時期なのに、急に同じ歳、という区分けで、狭い教室にかなりの人数を入れられ、そして、一斉に同じことを習う。  小学校という場所に行って、勉強をするらしい。  そんなことをぼんやりと思っていても、何をしたらいいか分からないし、その前に幼稚園とかに一緒に行っていたり、もしくは近所で知ってい

「脱げかかった靴下」は、どうして面白いのだろう?

 冬になると、いわゆる発熱系の厚い靴下ばかりをはいている。  コタツにも入って、あたたかいと思っていて、そこから出るときも、ちょっとためらうくらい寒い日もある。  そんな冬の日、在宅で作業をしていて、座っている時間も長くなって、だけど立ち上がって、1階へ行こうとしたら、妻が笑っていた。 靴下 何も面白いことをしていないのに、かなりうれしそうに笑いながら、私の足元を見ている。  私自身も、ちょっと違和感があったのだけど、それは、靴下が脱げかかっていて、その様子は、ビロー

「辛くないカレー」は、「発明」だと思う。

 真っ赤になったラーメンを美味しそうに食べている人を見ると、とても真似ができないけれど、それでも、近所のカレー屋へ行くときは、5段階くらいある辛さのレベルでは「上から二番目」を選ぶくらいだから、そこそこの辛さ好きなのだと思う。  そんな程度の辛いもの好きであっても、どこかで、辛くないカレーはカレーではない、という思い込みがあって、そんな人間にとって、「辛くない」がタイトルになっているカレーは、ちょっとした驚きでもあった。 カレーの歴史 個人的な印象で、でも、それなりに全体

「人生経験」という言葉について、改めて考える。

 それほど豊富な知識や経験があるわけではないけれど、例えば、女性が友達の彼氏を紹介されて、どうほめていいのか分からないとき、「優しそうな人ね」と言うらしい。  それを知ったときには、かなり納得もしたし、自分のこととして思えて、そういえば、「優しそう」みたいなことを言われた記憶が蘇り、他の言われ方もしていないことも思い出し、ちょっと落ち込んだ。 「人生経験」という言葉 自分が若いとき、例えば自分よりもかなり年上の世代の人と話をしたとき、圧倒されるほどの人もいた。それは、ごく

事件の空間。

 そこは、ただ楽しそうな空間だった。 上野公園 新しい年になってから、アートを見たくて、上野に出かけた。  上野駅が改築されてから、改札を出ると、信号もなしに、すぐに上野公園につながるようになった。  とても人がたくさんいて、妻と二人で、ちょっと驚いたりもして、でも、目的の美術館へ向けて歩いた。  途中に公園内の大きな交差点のような場所がある。  そこには、いつも人でいっぱいで入店することができない印象のスターバックスコーヒーがある。  目的地へはそのまままっすぐ