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日本の「漢字」は、「文化遺産」になっていくのかもしれない。
それほど知っているわけではないけれど、世界中の文字の中で、かなり特殊だと思えるのが韓国のハングルではないだろうか。よく分からない人間から見たら、ほぼ記号に近く、同じに見えても、わずかな棒の違いだけで、意味が違うようだから、覚えるのは大変だと思う。
時代は流れ1970年、大統領令により「ハングルの日」が制定。1980年代からは漢字教育が奨励されなくなり、韓国の文字はハングル中心へと変化していきます。
これだけの変化を可能にした国としての強烈な意志を感じるけれど、こうしたことを可能にするからこそ、隣国に中国という大きな国がありながら、長い間、朝鮮半島での独立を保てていたのかもしれない。と歴史に詳しくないけれど、そんなことを思う。
漢字
島国の日本には、文化が流れ込み続けてきたはずだ。
日本史の歴史の教科書にも、そうしたことは、ずっと書かれていて、中国は王朝が変わるたびに名前も権力者も変化していくけれど、日本にとっては長い年月の間、中国は、あこがれの対象だったと思う。
そして、中国大陸から伝来した文化は、歴史的に古くなると、まるで日本に最初からあるかのような感覚になる。
呉服屋という、今では敷居の高い着物を販売している店舗がある。
この呉服の「呉」も、中国の歴史上の「三国時代」(魏・呉・蜀)のうちの一つの国である「呉」が起源になっているけれど、その時間が長くなると、まるで呉服は、日本に昔からあったような感覚になる。
そして、漢字も、もちろん中国大陸から伝来した文化だった。
世界4大文明を出発点とした文字は、実に多彩な文字体系を生み出してきました。
考えたら、人類の中でも文字を発明できた文明は限られていて、その中の一つの黄河文明から発展したのが漢字なのだろうけれど、その「漢」は、中国の漢王朝だから、日本にやってきてからでも、かなりの年月になる。
その後も、生活の中で使われていく中で、おそらくは自然に変化していった部分も大きいだろうし、戦後に当用漢字という言い方でかなり強制的に変化もしてきている。
だけど、少なくともこの50年ほどは、日本で使われている漢字が大きく変化した記憶もないし、すでにまるで物体のように変わらないもの、として見ているように思う。
幽霊文字
ただ、自分が知らないだけで、存在するのに読めないし、意味もないような漢字が存在することは、この小説で初めて知った。
それは、大雑把な言い方で言えば、文字を整理し分類する「事務処理」の過程で、事故のように生まれてきてしまった文字らしいのだけど、そういう文字が存在するだけで、いろいろな想像が確かにふくらむから、それをモチーフにした小説を書いた作家がいることが、とても興味深く、その小説が、考える過程そのものがテーマになっているようで、そうした部分も面白いと思った。
さらには、文字という、使わない日はない「物体」というか、「記号」は、時間が経って、多くの人が関わるので、そのことで、誰もが意図しない変化があり得るのをかたちにしてもらった小説のようにも思えた。
文字は、ずっと見ていると、その存在自体が信じられなくなってくるというか、こんなふうなかたちだっけ?といったように思えてくるから、いつもは見ているようで見ていないことによって、成立している記号なのかもしれない。などとも感じるから、文字そのものには、あまり深入りしないほうがいいのでは、と思ったりもする。
現代中国語の「漢字」
日本に存在する漢字を毎日のように見ていると、漢字は、これがスタンダードではないか、という意識に知らないうちになっていることに気がついたのは、鉄道の駅の表示で、さまざまな文字を見る機会が増えたせいだ。
海外からの旅行者が増えてきたので、車両の中の文字表示も、日本語、英語、ハングル、中国語、というように変わったりするが、最初のうち、最も見慣れない感覚になったのが中国語だった。
漢字なのは間違いないはず。だけど、自分にとっては見たことがない漢字が並ぶ。
駅のホームの案内板にも、さまざまな文字が並ぶようになって、そこにも日本語、英語、ハングル、中国語があって、普段はよく見ないと気がつかないのだけど、同じ駅でも場所によって、中国語の表記が変わっていたりする。
そこで、無知な自分でも気づいた。
中国で使われている「漢字」は、それだけを文字として使っているのであれば、カタカナや仮名文字を併用している日本のような国と比べたら、生活の変化などに合わせて、より変わっていく確率が高いのではないか。
それが、「漢字」だけを使っている国の自然な流れではないか、と思った。
ただ、すでに中国語で使われている文字は、「漢字」という古い呼び方は使われていないようだ。
だから、駅などで見た中国語表記が場所によって違っていたのは、この記事になるように「簡体字」と、「繁体字」の違いなのかもしれないけれど、もっと書きやすく、といった流れは、今後もあり得るから、中国語で使われている文字は、もっと「漢字」から遠くなっていく可能性があると思った。
グレイシー柔術
格闘技に少しでも興味があれば、グレイシー柔術という名前は知っているはずだ。
もう20年以上前になるけれど、ヒクソン・グレイシーという格闘家がブラジルからやってきて、日本国内の格闘家を破っていった。その戦い方は、独特で、相手が体の上にのしかかられるような状態になっても、下から足をからめて、そこから自分に有利な戦いに持っていく姿は、かなり衝撃的で、その上で、その戦い方は、日本から渡ってきた柔術をもとにしている、ということもたちまち情報として広がっていった。
現在、オリンピック競技となっている柔道は、競技として洗練されていると言われていて、そのことは、あまりわかっていなかったけれど、グレイシー柔術の戦い方を見ていると、相手を仕留める柔術の原型が残っているように勝手に感じていた。
日本で生まれた柔道や柔術は、国内では柔道が隆盛を極めていて、柔術はかなり少数派になってしまっている印象だけど、昔、遠いブラジルまで伝えられていた柔術が、グレイシー一族の中で、相手を倒す柔術として守られ、いろいろと変わった点はあったとしても、ブラジルの地できちんと「文化遺産」として守られ、残されていた印象だった。
さまざまな文化が生まれ、長い時間が経ち、元々の発祥の地では廃れてしまっても、それが生まれた国から遠い場所で、大事に守られるように残されることは、実は他にもいろいろな例があるのかもしれない、とも思った。
ただ、やはり不思議な気持ちにはなった。
「漢字」という文化遺産
日本に「漢字」が伝わってきたのは、すでに1500年以上前らしい。
その後、漢字だけでは不便だったせいか、そこからひらがなやカタカナが生まれ、日本の文字文化として育っていった。それから長い時間が流れ、当然ながら、渡ってきた当初の「漢字」とは変わってきているはずだけど、もしかしたら、その変化の度合いは、「漢字」だけを使用していた中国よりも、仮名混じりだけに、その変化の度合いが少なかったかもしれない。
韓国は「漢字」を使わなくなった。世界的に見ても、(人口は多いとしても)漢字を使っている文化圏は限られている。同時に、最も大勢が使っている中国語の「漢字」は、元の「漢字」からは変化してきている。
日常的に「漢字」だけを使用し続けていくとすれば、今後も、中国では使い勝手が優先されて、さらに変化していく可能性がある。
そう考えると、海外から渡来してきた文化としての「漢字」だからこそ、もしかしたら、日本ではあまり変えないようにしてきたのかもしれない。そして、ひらがなとカタカナを併用することによって、「漢字」の変化は最小限に抑えられてきた可能性もある。
だから、さらに年月が経ち、もっと変化していく中国語の「漢字」と比べると、より元の「漢字」に近いかたちは、日本でだけ残されていくかもしれない。
そう考えると、元々の発祥の地である中国ではなく、そこから海を渡って伝えられた地である日本の中で、「漢字」はよりオリジナルに近いもの、「文化遺産」のようなかたちで遺されていく可能性もある。
そんなことを、普段はあまり見かけない中国語の「漢字」を駅で見て、そんなことを考えた。文化は計算できない伝わり方もするし、意外な場所で生き残っていくのだろう。
なんだか不思議な気持ちもする。
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