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『帰ってきた橋本治展』に、やっと行けた ------県立神奈川近代文学館。(2024.3.30~6.2)

 とても熱心なファンがいるのはなんとなく知っている。さらには、研究対象として読み続けている人もいる。まだ読んでいないけれど、そうした本が出ているのもわかっている。


橋本治

 あれだけ膨大な作品を残している橋本治という人に対して、何かを語るには能力も、思いも足りない気がしているのは、noteでも、こうした本気の人がいるのも知っているせいだ。

 だから、橋本治のことを書こうとするときに微妙な後ろめたさと恥ずかしさがあるのだけど、それでも、細々とながら長く少しずつ読んできた。読書が習慣のようになったのは中年と言われる年齢になってからだったけれど、橋本治は、その前から読んでいて、自分には全部わかる気がしないけれど、すごく大事なことを書いているような気はしてきた。

 それに、さまざまな書き手が良くも悪くも変化していくことの方が多く、それは人間だから自然なことだとも思いながら、読者のわがままとして、勝手にがっかりした時もあったけれど、橋本治はいつも同じ場所にいるようにも思えて、何か迷ったり、困ったりすると、読みたくなった。

 そういう読まれ方を、橋本治という人は、それじゃダメじゃん、などと言いそうだけど、そんな勝手な想像もしてしまうのが橋本治という作家だったような気がする。

 最初に読んだのが、どうすれば文章がうまくなるのだろう?と困っていた20代のライターの頃だった。考えたら、それでいろいろな作家の文章読本を読むというのが才能もなく頭も良くない人間のやりそうなことなのは、今になるとわかるけれど、そのときに橋本治の本を読んだのは、「文章ドク本」というタイトルだったからだ。

 それまで読んだ「文章読本」とはすごく違っているようで、どの本よりも真ん中のことを書いているような感覚になり、自分には手に負えない印象が残った。

 橋本治の、自分の読み方が、小説からではなく、評論的なものから始まって、その後も、初めて役に立つ人生相談を知った気がしたり、時代の変わり目の事件や出来事に対してあわてなくてすむような考える姿勢を見せてもらったような気がしたり、人が信じることへ必要以上に怖がらなくてもいいと教えてもらえたと思っている。

 だから勝手に感謝する気持ちもあったし、時代の変わり目に亡くなってしまったとき、今の時代のことももっと書いて欲しかったと思ったのは、あまり良くない読者なのだと自分で感じていた。

神奈川近代文学館

 図書館の棚だけではなく、東京都内の駅にも、「神奈川近代文学館」のチラシはよく見る。そこには、教科書で見るだけではなく、自分でも名前だけは知っていて、どんな作品を書いたのかもわかっているのに、一冊も読んだことがないような巨匠も少なくない。

 誰か特定の作家をテーマにした展覧会は、近代文学館ではずっと開催されている。

 自分がいかに読んでいないかを自覚させられるから、そうしたチラシを目にするたびに微妙に後ろめたさのようなものを感じながらも、確かに偉大としか言えないような作家だけど、そうした人たちの展覧会をやることの意味そのものはあまりつかめていなかったし、さらには、こうした展覧会は、やはりもっとその作家に詳しい人たちのためのもので、そうでもないような自分のような人間は行ってはいけないような気もしていた。

 それに、神奈川近代文学館、という響きもそうだけど、その場所も、自分にとっては、勝手に敷居が高く感じていた。

 私が生まれたのは横浜市内だったけれど、一般的な横浜のイメージとは程遠い海のない場所で、おしゃれな気配も感じられない地域だった。だから、海が見える横浜に行く時は、ちょっと緊張していたし、同じ市内とは思えなかった。

 海の見える丘公園も昔からあったし、行ったことはあったけれど、街のはずれにあるように勝手に思っていたし、方向音痴であったこともあって、横浜のどんな場所にあるのかよくわからなかったのは、自分が住んでいる場所が横浜の隅っこだったせいもあるはずだ。

 その「海の見える丘」という名前も不思議だったし、それに、その奥にあるように見えた謎な建物が大佛次郎記念館だというのも知っていたけれど、まず良くある話だけど、最初は名前自体が読めないし、それに、その人の本も読んだことがなかったし、どういう偉さのある人かも知らないし、その建物は、なぜか夕方に見る機会が多いせいもあって、ちょっと怖かった。

 神奈川近代文学館は、その大佛次郎記念館の、さらに奥にあるようだった。

 想像しただけで、そこまで行ってはいけないのではないか、といった気持ちになって、だから、近代文学館自体への気持ちの距離も遠いままだった。

港の見える丘公園

 橋本治の展覧会が、神奈川近代文学館で開催されるのは駅で知ったと思う。

 これで、本格的に文学の巨匠として認められたのではないか、というどこかホッとした気持ちと、行きたいけれど、やっぱり行ってはいけないのではないかと思ったのは、橋本治の熱心な読者ではないのでは、という後ろめたさと、港の見える丘公園のさらに奥まで踏み込むことへの(勝手な)怖さもあったせいだ。

 それでも、あちこちで、その展覧会に行った人の情報も目にするようになったし、その展覧会での対談と講演会がとても充実していたらしいことを知って、行けなくて残念だったけれど、なんだか少しうれしかった。

 迷いながら時間が過ぎて、そして、会期終了間際で、残り1週間を切った頃に、やっぱり行こうと思って、出かけることにした。

 みなとみらい線の元町・中華街駅。

 今のところ、終点でもあるのだけど、それほど利用したことはなかったし、6番出口は降りたことがなかった。ただ、この駅ができたことで、便利になったことも事実だった。

 駅で降りて、そこからひたすらエスカレーターに乗って、どんどん上に行くのもちょっと不思議だった。途中に学童保育の場所があって、そこに子どもが走って行ったり、結婚式場があるのも、今いる場所が、どんなところなのかを把握するのを、混乱させる要素だった。

 出口は地上5階で、その表示自体が飲み込みづらい状況だけど、降りたら、すぐに公園だった。

 それもアメリカ山という名前。

 ちょっとした観光地に思えたし、確かに西洋型の公園として整備されているように見えて、それだけで、なんだか遠いところに来てしまった気持ちになった。

 そこからでもすでに港は見えるし、花も咲いていてきれいで気持ちのいい空間だった。そこを通り過ぎ、歩き、初めて通る道のそばには古くからの建物や、外人墓地も横目で見て、さらに港の見える丘公園に入った。

 記憶の中よりも広く、きれいな場所だった。港は見える。人も少なくない。リラックスしてベンチに座っているようだった。

 大佛次郎記念館も、独特だけど立派な建物に見えた。

 そこからさらに奥へ進む。まだ先があるのを初めて知った。ひろい敷地がまだ続いている。レンガで作られたような橋があって、そこを渡ると近代文学館があった。

 カフェもあって、グッズも魅力的な上に値段も抑えめでありがたい気持ちにもなる。

帰って来た橋本治展

https://www.kanabun.or.jp/exhibition/19579/

(「特別展『帰って来た橋本治展』サイト)

 長い伝統のあるホテルのような雰囲気。
 平日の午後3時なのに会期終了間際のせいか、人が思ったよりもいる。

 観覧料700円を払おうとするが、高齢者の女性のグループが先に支払いをしていたので、少し待つ。

 ちょっとワクワクした空気になっている。

 展示室の前に大きな画面で、映像が流れている。それは『マルメロ草子』を制作するときの打ち合わせというか、会議の模様のようだった。橋本治は、柔らかな表情で話をしている。その中で、わ、きれいだ。と思ってくれれば、読みにくくても読んでくれる。という言葉もあって、本当にそうだし、こういうことを自然に断言できるのが橋本治のはずだった、などと思う。

 展示室は、撮影禁止で、今は珍しくなったけれど、そのおかげもあって落ち着いて見ることができた。

 直筆の原稿用紙。読みやすい文字だった。

 そして、作家の展覧会は、原稿用紙と、実際に刊行されて書籍が並ぶ、というパターンで、時々あまり意味がないのではと思うこともあったけれど、今回の橋本治の場合は、少し違っていた。

 小説家の前にイラストレーターで、それも学生運動の中、東大の学園祭のポスターを描いたことで有名になったというエピソードは知っていたし、そのポスターの小さな写真は見たことがあったけれど、その現物を初めて見た。

 このとき、橋本治は大学2年生だったというが、完成度の高いプロの仕事だと思った。レイアウトもしっかりしているし、スキがない。

 他のイラストの作品も並んでいたが、どれもしっかりしていて、オーソドックスさを大きく外すことはしないけれど、きれいだった。いろいろな書籍の中で見ているはずなのだけど、改めてすごくうまい人だと思ったし、何よりダサいことを嫌う人だったのではないか、と感じた。

 橋本治自身が編んだカーディガンやセーターも展示されていて、写真などで見るよりも、完成度が高く見え、しっかりしたニットに通常はあまりないような凝ったデザインの模様が施されて、それでどこにもないようなものに見える。

 ものすごく真面目な人でもあったのでは、などと勝手なことを思うが、こうした「作品」をこれだけまとめて見られたのも初めてで、こうした造形も小説も評論も全部できて、全てがすごい人は、他にいないのではないかとやっぱり思った。

原稿用紙の塊

 読んだことがある作品は、ガラスケースの向こうにあるけれど、勝手に身近に感じ、『窯変 源氏物語』は、買わなくちゃ、と思い、単行本が発売されるたびに買い揃えたことを思い出し、これでもう源氏物語を新たに書く必要はないのではないか、と思ってしまったことを思い出す。

 それだけでなく、『双調 平家物語』まで書き始めたときは、歴史そのものをつくってしまうような存在に思え、ちょっとびっくりしたのと、体は大丈夫だろうか、などとも感じていた。その頃の自分は介護のために仕事をやめざるを得なくなった時期で、辛さと経済的な苦しさもあったせいか、『平家物語』は、途中で買うのも読むのもやめてしまったことが蘇る。

 この『平家物語』の原稿用紙は、積み上げられていて、塊のようになっていた。その量が圧倒的で、彫刻のようだった。そして紙だから、もちろん重いとはいっても、何キロかもしれないけれど、それ以上のとても人間では持ちあがらなさそうな物体に見えた。

 こうして並んでいる作品を見ると、もちろん読んでいない作品も多いし、書いていたのを知らないものまであった。

 最初すごく面白いと思い、購入して読んでいたのに、どうしてなのか、途中から読まなくなってしまった作品があったことも思い出した。特に、これからも必要なことが書かれているはずだったのに、などと思う。

 いわゆるゴミ屋敷に住んでいる人が主人公で、でも、当たり前だけど、そうした人も生きてきた時間があって、フィクションだけど、本当にそうではないか、どうしてこの人は人間のことを、こんなに分かるのだろうと、ちょっとあぜんとした思いになったことも、思い出した。

 一時間足らずで、展示室を回ったのだけど、もっと長い時間、少し遠い場所に行っていたように感じ、そして、まだ読んでいない橋本治の作品がどれだけあるのだろうと、ちょっと怖い気持ちにもなりながら、でも、もっと読まないと、と思えていた。

こんこんと湧いてきたもの

 展示の最後の方に、この展覧会の編集委員で作家の松屋仁之が書いた文章に「こんこんと湧いてきたもの」というタイトルがつけられ、パネルで掲示されていた。(この文章は図録にも収録されている)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/20012/

(『橋本治展図録』)

「橋本さんは機嫌のいい人だった。怒った顔を見たことはないし、苛立った声を聞いたこともない」という文章で始まり、最後の2行で、本当にそうだと思ってしまい、かなり感情的になった。

 来てよかった。これからもう少しちゃんとした読者になろうと思えた。






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