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自己紹介(2022.9.7 更新)

木内寛長

皆さん、はじめまして。

木内寛長と申します。


鎌倉と沖縄の2拠点で、

個人セッション『心身対話』や

心理学Barというイベントをしている僕の

半生を以下に綴ります。


ぜひご一読くだい。



第1章:孤独という愛おしい暗闇をみつけられた幼少期 

1982年8月16日 東京都生まれ。元々彫刻家家系ながら東京都財務局長であった論理的な父と、ヨガ・仏教を愛する感覚的な母のもとに生まれ、育ちました。4人兄弟の2番目 長男です。僕が1歳の時に姉が謎の腎臓の病気になったことで、両親がその姉の看病で多くの時間を必要としました。そのことから、その後の僕は家に一人でいる時間が圧倒的に長くなりました。今考えたら相当な孤独だったと思います。そんな孤独を癒すためなのか、いつしか真っ暗な押し入れの中で、「ヒトってどうして生きているの?」「宇宙ってどうなっているの?」などと、空想するようになりました。圧倒的な孤独だったはずが、いつしかその暗闇の中で色々と空想する時間は僕にとってかけがえのない時間になったのです。

この頃に身体に沁みついた“闇の中で生まれた好奇心”は明らかに今の僕の根幹をつくっていると思います。ほとんど誰とも触れ合わなかった(と記憶している)僕は、今考えても自分の存在が在るかどうか不明確でしたから、空想することで自分の存在を確認していたのかもしれません。

もう一つ僕にとってインパクトがあったのは、論理的な父と、真逆の感性で生きる両親それぞれとのやりとりでした。いつの頃かよく父からは「泣いても(感情を表現しても)意味がない。現実に沿って論理的に遂行しなさい」という名言(?)を受け取っていました。だから父と話すときは、自分の感情がないかのように論理的な会話を心がけていたのです。一方で母は、感性に添って生きるタイプでしたから、できるだけ母のその時の感性や感情に添うような感情表現を心がけました。とはいえ母は、感情を豊かにするとすぐに感情的に泣くタイプでもありましたから、母が泣かない程度の感情表現を僕がすることで母を傷つけないように(泣かせないように)することが前提でした。両親とそんな独特なやりとりを心がけていたため、小学校に上がる頃には良くも悪くも「僕はカウンセラーに向いている」と思っていたのです。

いずれにしても、幼少期の僕は、自分の存在の希薄さを感じていたと思います。だからこそ、暗闇で色々なことに好奇心のままに空想することが、唯一自分が生きている実感が持てることだと思っていたのです。



第2章:案の定色々あった小中学校時代 

 —  一人遊びから極端な人付き合いへ  —

空想するのが好きだった僕がハマっていった遊びは身体遊びでした。両親が、僕の寂さを少しでも柔らげるために体操クラブに入れてくれたのがきっかけです。クラブの中で身体を動かすことは楽しくて仕方ありませんでした。後にハマるバスケットボールでは、指のどこにどのくらいの力がかかるとシュートが入るかを毎日毎日ひたすら“研究”しましたし、色々な有名選手のプレイを空想しながら身体で再現することが何よりの楽しさでした。
それ以外では、一人で木登りをしたり、虫を捕まえたり、世界のカラフルな昆虫の図鑑を集めてはときめいていたのです。

一方で人付き合いはというと、てんでダメでした。とにかく人前にいくとビクビクするのでほとんど友人と遊ぶことはありませんでした。ところが10歳の時に姉の体調が回復すると僕は急に人付き合いを始めたそうです(母談)。これまでと打って変わって、学校で知り合える人とは遊ぶようになりました。母には「同学年全ての人と遊んだ」と自慢げに話していたそうです。ところがその反動で、中学3年生の僕にはまた変化があったのです。



第3章:まさに真っ暗な定時制高校時代

—  カウンセリングと出会い“密かな誓い”とともに沖縄へ  —

過度な適応とともに同級生と遊んでいた僕は、中学卒業間際にとても疲れ切っていることを自覚しはじめていました。そして、高校に進学して1ヶ月ほどで電池が切れた僕は、学校に行くことをやめました。学校に行かないという選択、それはそれで大変なもので、その後からさらに「なんで僕は生きているんだろうか?」と考え込むようになってしまったのです。あるとき自分でも自分の様子がおかしいと思った僕は「頭が狂いそうだから心療内科に連れっていってほしい」と父にお願いし、はじめての心療内科に行きました。心療内科では人生で初めて臨床心理士というカウンセラーさんとお話しました。そもそも自分のことを誰かに表現することがほぼなかったので、とても新鮮かつ不思議な気持ちになったことを覚えています。そしてまた、“ただ人に話す、聴いてもらう”ということが安心につながることをはじめて知ったのでした。同時により現実的にカウンセラーという職業に就きたいと思えるようになりました。

並行して、ひっそりとではありましたが、両親の元から離れたいとも思い始めました。無意識に両親に気を遣っている自分がいることはわかっていましたし、とはいえこのままいつか両親が亡くなってしまう前に「両親との間に愛がある」と実感したかったからです。そんなわけで、愛を知るために、一旦両親と離れるという選択をしました。行く先は(もちろん)沖縄でした。というのも、幼い頃から海が好きだという想いもありましたし、陸続きではない海が広がる世界で生きてみたいと強く思っていたからです。




第4章:誓いを叶え沖縄からの帰還 

— 社会人、そして結婚と離婚、人生の師との出逢い —

沖縄で心理学を専攻した僕は、初めての授業で教授から「心理学を学んでも人の心なんてわからない」というお墨付きをもらいました。その言葉で不思議な安心を受け取りながら、沖縄のあたたかな風土や人柄の皆に支えられ、少しづつ柔らかくなっていったように思います。同時に(ひっそりと)自分や親との関係について深めるためのカウンセリングやセッション、整体など様々なアプローチも自ら受け続けました。人(自ら)の心というものについて、その光のみならず、闇にも好奇心を持って観られる幸せに満ちた時間を過ごしました。

そんな好奇心に満ちた時間の中でも悲しいことがありました。それは弟の心の病です。ちょうど僕が臨床心理学専攻の大学院に入るときでしたから、そのショックは凄まじく、一方でそのショックからさらに心への探求を深めることになります。精神科病院で依存症の方やお子さんとの触れ合い、フリーランスとなっても障害福祉や困窮者福祉の分野でたくさんの方々と触れ合いました。そのうちに不思議なことに気づきます。その気づきとは、心の不調を抱える人の姿勢が独特になることでした。この頃から僕の好奇心は、心と身体のつながりについて徐々にシフトしていきました。そうやって身体の世界への興味を深めながら、さらに色々な学びやセッションを受けていく中で、ついにその人との出逢いが生まれました。それが今の僕の師匠である、仁平尚人先生です。この人生でこの方の教えを受けないことは考えられず、師がいる東京に行く(地元に帰る)選択をしはじめたのです。

不思議なもので、いいか悪いかは置いておいて、“流れ”は確かにあるものです。その当時結婚していた僕でしたが、その方との価値観の相違が生まれはじめ、最終的には離婚の道へ。当然離婚は(元)夫婦だけでは成立し切れない面があり、その頃から自然と実家の両親と話すことが増えていきました。僕は「実は沖縄で◯◯だと思ってきた」「自分の中に色々な変化が起こっている」など、それまで言えなかった心の内の本音を伝ええることができたのです。両親はその一言一句を否定することなく丁寧に話を聴いてくれ、自分のすすむ道を応援してくれました。そしていよいよその日が来ました。その日は本当に不思議で、気づいたら僕は父とも母ともそれぞれ抱きしめあい、「愛している」と言い合っていたのです。その時に小さい頃から独りで抱えていた“なにか”がとけていくことがわかりました(同時に、母が癌だったこともわかることになるのですが)。不思議な流れとともに、あの時の密かな誓いを果たし、僕は東京に帰ってきたのでした。



第5章:ただ身体について学ぶ東京生活 

流れに添って東京に帰ってきた僕は、師 仁平先生のもとでゼロから身体について学びました。もちろん知識もですが、整体術も地道に実践しました。いまだに身体は謎が深過ぎますが、でも確かに身体の面白さを今日も学んでいる最中です。

母の癌のおかげで、実家で両親と話すことも多分に増えました。母とは近所の田んぼや公園、神社などに行き、お互いがこれまでどのように想い、生きてきたかを丁寧に丁寧にわかちあいました。弟の病気もあってとても柔らかくなっていた父とは言葉でというよりも、その存在でたくさん対話したと思います。父の凄いところは、いつも僕が実家から出発する時に、僕の姿が見えなくなるまで見送り手を振ってくれるところです。僕は東京生活を通して、ますますこの両親の愛の深さを体感できたのです。

仕事はといえば、いわゆる臨床心理士という「支援職」が本職でしたので、エンラボという事業所のプログラムを作ったり、スタッフの方々のサポートをしたり、時に実際に支援をしていました(エンラボカレッジ:https://enn-lab.co.jp/collage/)。ところが1〜2年たったところで、どうにもこうにも「支援を義務付けられること」に身体が拒否反応を示すようになりました。裏を返せば、まず「自分らしく生きたい」と願えるようになったのです。

思い起こせば、小さい頃から両親とやりとりするため、さらには弟の病もあって、僕は支援職以前から義務感で人に尽くしてきたのでした。さらにいうならば、人のためにならなければ価値がないという罪悪感で生きてきたことに気づいたのです。その頃から病がある弟とも本気で喧嘩するようになりました。そうやって、弟を通して自分の本音と向き合うことで、支援職という義務的な役割ではなく、一人の人間として「楽しみたい」「遊びたい」と思えるようになってきたのでです。不思議なことはあまりに続くもので、そう思えた頃に愛しのパートナーとも出逢うことができました。



第6章:日々つながりを学んでいる鎌倉生活

もちろん今も支援職に関する役割はやっていますが、これまでのように、ただ義務感だけで支援することはしていません。支援したくない時はしないという選択をすることもあるので、自分の楽しみや遊びを大いに優先できるようになりました。自分がより中庸に立てています。フッっとした夫婦の会話から鎌倉に引っ越すことが決まり、今鎌倉での生活は1年半ほど経ちます。それまで「人と協力しながら生きていくのが苦手」だった自分を卒業したいと思い、少しづつ素敵な仲間と手を取り合いながら新たな活動を催しています。自らでオンラインサロンをつくり1年が経とうとしている今、これから何をしようかと考えている時に、フッと「学校を作りたい」と思いました。

まだ言葉にならない想いはたくさんありますが、僕のこれまでの人生の学びや楽しみの全てを注げる学校です。『生命に響き合う好奇心の学校(仮)』としてオンラインでマニアックかつ感動に溢れる学び舎です。今からどうなるか、それは既に決まっていながらも僕にはわかりません。この第6章は今はじまったばかりなのです。


『生命に響き合う好奇心の学校』サイト

https://hirotakekiuchi.wixsite.com/lifecuriosityschool



今後について:幸せに気づける心と身体 つながり作り

人はとても弱いなと思います。それはただ自分自身が弱いからそう感じるだけなのかもしれません。それでも、僕の人生を思い出すだけで、自分(人)には、とてつもない可能性があることも確信しています。人生に当たり前のように降り注ぐ、たくさんの悲しみの中でさえ、人はしなやかに強く生きられることを僕は知っています。そしてまた、どのような状況であっても、人は誰かからずっと愛され続けているということ、さらにはすでに幸せであることも知っています。

ただわがままに、そういう人の尊さや深い可能性を伝えていきます。。大人や子ども、親や子ども、障害がある・ ない、病がある・ ない、そういう枠に囚われずに、僕自身も触れ合う人も、その人が望むだけ『既に幸せで在ること』を伝えていくのです。

今この瞬間に深い悲しみや絶望の中にある方。それでも実は自分の深い可能性があることにうっすら気づいている方。ただ静かに、でも確かに本気で自分の『いのちをいきたい方』とお会いしていきます。

そのために僕は現在、以下の三つの方法で活動をしています。すべて『幸せに気づける心と身体 作り』のために行なっています。

①心身対話という個人セッション
 カウンセリングと整体を織り交ぜた個人セッションです。根幹にあるのはあなたが『幸せに気づける心と身体づくり」をすることです。そのために、言語を通したカウンセリング、イメージを用いた心理療法、そして昨今台頭してきた“身体の声を聴く”身体思考の心理療法を活用しています。また、心の不調は身体に現れることが多々ありますので、整体も同時に行います。これらを、お一人お一人のあわせたオーダーメイドで提供しています。

https://note.com/2929nqnq/n/n9bdcdf51fe11


②心理学Barという対話イベント
僕が“不思議なゲスト”とともに自由気ままに対話するイベントです。本来個人セッションやカウンセリングで話される濃密なことを、より身近にお伝えしたいという想いで実施してます。オンラインやオフラインを用いて、毎回、同じような想いや悩みを持っている方同士でつながりができる場でもあります。最近は自然の中で遊ぶことが心身にとっていいことがわかってきたので、意図を持って遊ぶことも心がけています。

https://note.com/2929nqnq/n/n75aba6c8c6a7


③各種の心や身体に関する講座
木内が学んできた臨床心理学、分子栄養学、解剖生理学などの知見を基にした『幸せに気づける心と身体づくり」をするための心や身体・食に関する講座です。計数百回ほど催しました。具体的には「心理士が伝える話を聴くコツ」「発達障害を活かすコツ」「食と心」「足首と心」「身体からみる心」「ゲーム依存からの回復」「ストレスと上手にお付き合いするコツ」といった講座を催してきました。


④「生命に響き合う好奇心の学校」

僕の幼少期からの興味である「人はなぜ生きているか?」「どのように生きることが人の幸せか?」という問いの一つの到達点である学校を作りたいと思っています。生まれてから現在までの僕の全てを結集させた学校です。第1期は「物理」「森」「生命」「占い」の4講義から開始します。



【 お問い合わせについて 】

個人セッション『心身対話』や

イベント・講座をご希望の方は

木内寛長のメールやサイトまで。

(hirotakekiuchi@gmail.com or

 https://www.kiuchihirotake.com


また、

公式LINEに登録いただいても、
日本のどこで『心身対話』やイベント・講座を

しているかがわかります。

LINEアカウント
https://lin.ee/1yK1TPD


ぜひご登録ください。



【自己紹介の補足】

小さい頃から超臆病だけど興味を持ったことへの探究心だけで生きている。臨床心理学を学び精神科病院 障害 困窮福祉の支援をしてきた。専門は依存症 発達障害 トラウマ障害。その過程で心が豊かにあるためには身体を整えることが一番の近道であることに気づく。カウンセリングや整体でお会いした方は20000人ほど。物理学と宗教学が好き。元臨床心理士 公認心理師 精神保健福祉士 整体師。

活用している技法は、カウンセリング技法 人間性心理学 分析心理学 実存主義 ナラティブセラピー 行動療法 認知療法 マインドフルネス認知療法 動機付け面接 集団精神療法 心理教育 ソマティックエクスペリエンシング ボディコネクトセラピー 自我状態療法 EMDR TFT SeeFarCBT 感覚統合療法 ソーシャルワーク 分子栄養学アプローチ。藤本将人先生、濱口剛輔先生、福井一成さんの整体術。そして何より仁平尚人先生の整体術と武術。



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木内寛長

ありがとうございます。すべては慈しみと感動へ