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天職は選ぶものじゃなく、育むもの。

あなたにとって「天職」とはどんな志事でしょうか。
ちなみに「天職」には元々
「自分に合う最高の仕事」のような意味はないそうです。
英語では「calling」と言い、
神から与えられた「職業そのもの」を指します。
最初から自分に合ってる仕事のことではなくて、
むしろ自分の意思を介在させずに役割を全うする。
置かれた場所で咲く言葉だったのですね。

なにごとも、最初から自分に合っている選択肢は存在しません。
しかし見渡すと「天職」「運命の人」「やりたいこと」「自分探し」
ここではないどこかに良い選択肢があって、
良い選択肢にさえ巡り合えたら報われる。
と錯覚する耳に心地よい麻薬のような言葉が沢山あるなと思います。

成果出した人が「やりたいことを見つけろ!」
と話されてる例も沢山ですよね。
でも本当に「やりたいことに出会えた」ことが
成果に直結したのでしょうか。

成果を出した人は「まわりのおかげ」と話される例も多数ですね。
「私がとことん頑張ったんです」
と冗談ではなく話す人はあまり見ません。
「まわりのおかげ」であると感謝できることが
成果出せる一つの要素でもありますよね。
(今回本筋ではないのでここは掘りません)
そう考えると「やりたいこと見つけろ」も
「周りのおかげ」の一環として、
そんな選択肢に出会えた幸運があったからなんです。
と謙虚に発言していると捉えられないでしょうか。

実際成果出した人の「やりたいことを見つけろ」は聞いたことあっても
「それだけで成果でる」という発言は見たことがありません。
もし「やりたいこと見つけろ」を聞いて、
素晴らしい「選択肢」を「探す」ことに
一生懸命になっている状態なのは、
都合の良い解釈が含まれていると言えます。

志事でも趣味でも選択肢からひとつに決めることは、
自動販売機のように決まった結果がボトっとでてくるものではありません。
種を植えることです。
もちろん種を植えただけでは、芽もでないし花も咲きません。
そして、結果からこれはダメな種だと解釈をしてしまいます。
でも同じ種を植えて、芽もだし、大輪の花を咲かせる人もいる。

本質は、種選びじゃなくて、
そこからその選択肢を「育成する」ことにあります。

種はそこら中にあります。
本当のガーデニングのように、花を咲く日を心待ちに、
それまでの水やり自体も楽しくなれば、
花を咲かせなくたって毎日は楽しくなりさえします。

ここまで考えてみると冒頭の
「天職」が置かれた場所で咲くことであることも、
自然に思えてきますよね。
天職は選ぶものじゃなく、育むもの。
与えられた志事を社会に価値提供が出来る
能力がつくまでやり続けることで、
自然と他者以上に自分がやる意味を見出せる。
これに対しての使命感を「天職(calling)」だと認識できるのだと思います!

私も沢山の花を咲かせる未来を夢見て、
今日も水やりに励んでいきます!

最後まで読んで下さりありがとうございました。

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