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引き裂かれた恋(連載小説8)



毎朝目覚める度に、亜矢は絶望感に襲われる。
雅人を失った悲しみが、じわじわと押し寄せ
仕事に行く気分になどなれなかった。
それでも、ノロノロと洗顔、着替え、化粧を済ませると出勤した。

亜矢は思うのだった。今後、雅人よりも好きな人に巡り逢うのは難しいのではないかと。

そういえば、一番好きな人とは結婚できない?
というような話しを、どこかで聞いたことがある。
小説か、エッセイに書かれていたような気もする。
結婚できるのは、二番目か三番目に好きな人?
ということなのか。

(一番好きな人じゃないと、一緒に暮らしてもつまらないわ。雅人となら、ただ傍にいるだけで、存在してるだけで幸せだったのに……)



悲しみに暮れていても、時間は容赦なく過ぎて行く。
空腹を感じても、食欲はない。でも食べないと
体に力が入らないから、仕事に行けない。
だから、かろうじて生きていけるだけの最低の食事は摂らなければならなかった。食べたくないのに
食べなければならないのは、かなり辛いことでもあった。
とりあえずキッチンに立ち、冷蔵庫を開けて中を確認しようとしたその時、1つの光景が蘇った。
そう、あの日、本格的な冬の到来を感じさせる
冷たい雨の降る夕刻、亜矢はキッチンに立っていた。
寒いからシチューが食べたいという雅人のリクエストに応え、亜矢は材料を刻んでいた。
そこへ、手伝おうか? と雅人が声をかけてきて
手伝ってくれた。2人で作業するのは楽しくて、そして幸せだった。食卓を囲み、2人で食べたシチューの味は格別だった。
あの幸せな瞬間は望んでも二度と訪れない、ということに愕然とした。
それ以外にもあった。雅人を思い出して胸が痛み、悲しみに暮れることが。
就寝前に入浴し、湯船で一息つくと、雅人と一緒に入浴した場面がありありと蘇るのだ。2人で湯船に入ると狭くて窮屈だが、その分密着できる。それがまた嬉しい。ただただ、幸せだった。
だけど幸せ過ぎる思い出は、喪失感がより強くなる。
目の奥がじんわりと熱くなり、涙が滲んでくる。

(私はこんなに悲しんでるのに、今頃雅人は他の女と面白おかしく過ごしてるのだろうか?)

そう思うと、自分がみじめでどうしようもなかった。

(なぜ私がこんな目に合わないといけないのか?
不条理としか思えない)

事あるごとに雅人の思い出が蘇る。自分を苦しめるのは、ここに住んでるのも原因の1つかもしれない。週末にはほぼ毎回、雅人が訪れていたから
まだ名残りのような、気配のようなものを感じるのだ。

(思いきって、引っ越ししようか?)

荷造りする作業は面倒だが、ここに住み続けると
精神的苦痛が倍増するのが目に見える。
傷ついた心が癒えるのに、時間がかかるだろう。
まずは、ネットで業者を探すことにした。


遠くで電話が鳴っている。
意識の片隅で着信音を認知しているのだが、体が動かない。暗い水の底から浮上するように、ゆらゆらと次第に意識が覚醒する。
眠い目をこすりながら、半身を起こす。
テーブルの上にある携帯電話が鳴っていた。
亜矢はベッドから下りると、携帯を手に取った。
雅人からだ。

(今さら、何なんだろう?) 
突然の電話に、鼓動が激しくなる。

「おはよう亜矢、どうしてる?」

雅人の声を聞いた瞬間、亜矢は泣きそうになった。

「びっくりしたわ、もう電話なんて、かかってこないと思ってたから」

「亜矢のこと、心配してたんだ」

「えっ!?」

「亜矢、大丈夫か?」

自分から振っておいて、心配している雅人の真意が分からなかった。

「なぜ、そんなこと聞いてくるの? 全然、大丈夫じゃないわ」

「………」

「私のこと心配なら、何で振ったのよ」

「ごめん……」

「心配されると、逆に悲しくなるわ」

「そっか、そうだよね。分かった、じゃあ、切るね」

雅人は遠慮がちに電話を切った。

幾分、悲しみが癒えたと思っていたのだが、今の電話でまた悲しみがぶり返してしまった。
耳元に、まだ雅人の声の余韻が残っている。

(なぜ、電話してきたのよ。よりを戻せないなら
放っておいてほしかった)

雅人の声を聴いたら、また好きな気持ちが溢れてきてどうしようもなかった。

(もう、私、どうしたらいいんだろう? このままだと前に進めない……)

苦しい、誰か助けてほしい。
雅人がいない未来なんて、生きるに値しない。
雅人の記憶を消してしまいたい。


         つづく
















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