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「自虐風オーバーリアクション」なくして、かおすなし!!|『こみっくがーるず』(8)

 本記事は、アニメ「こみっくがーるず」を徹底分析する特集の……第8回である★


第1回からご覧になることをオススメします!


今回のテーマは……!


 ここまで、かおすの「オッサンオタク」なところ(第2回第3回)、「かおすは、いまも両親や祖父母の強い影響下にある」という特徴(第4回)、「対人恐怖」を抱えており、「コミュニケーション・スキルが低い」という特徴(第5回第6回)、そして「自己評価の低さ」第7回)について詳述してきた。


 今回は……かおすの「自虐風オーバーリアクション」についてご説明しよう!


かおす最大の特徴、それは「自虐風オーバーリアクション」!


 これまでかおすについてアレコレ分析してきたが、「結局のところ、かおすというキャラの最大の特徴は何か?」と問われれば、私は「自虐風オーバーリアクションである」と回答したい


 自虐風オーバーリアクションなくして、かおすなし!

 そして、自虐風オーバーリアクションなくして、「こみっくがーるず」なし!


 

 それではまず、いくつかの具体的なエピソードをご紹介しつつ、自虐風オーバーリアクションとは何か、ご説明していこう!


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 かおすらが、連載マンガ家・翼のアシスタントをするシーンでのこと(第1話)。

 他の3人と比べてマンガ家としてのスキルが低く、しかも普段デジタル環境で作画しているかおすは、比較的単純な作業すらも上手くこなせない。


 例えば、ベタを塗ればはみ出してしまう。

 慌てて修正しようとすれば、今度は修正液を別のコマに落としてしまう。


かおすのモノローグ「駄目ですー!どうにかしようとすると被害が拡大して……消えたい!謝って許されることじゃない……」

 やがてかおすは、その場にバタリと倒れ込む。

翼が原稿を覗き込んで「なんか遅いと思ったら……」

かおすは倒れ込んだまま涙を流す「大事な原稿を……すみません……。せめて遺書を書く時間をください……」

琉姫「かおすちゃん、思い詰め過ぎ!」


 ……これである。

 ぶっ倒れ、そして泣きべそをかきながら「せめて遺書を書く時間をください……」と呟く!

 これぞ、自虐風オーバーリアクションである!


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 続いて、「女子まんが家寮」に入るために上京したかおすが、新しい高校に転入する日のこと(第2話)。

 朝。

 かおすは、姿見の前で制服に着替える。


かおすのモノローグ「わぁー!新しい学校の制服、かわいいー!なんか主人公キャラっぽい!うわー!」

 そこへ、翼と琉姫がやってくる。

 かおすの目には、2人がキラキラ輝いて見える。

かおすは頬を赤らめ、早口で「いいえ、私はモブです!調子に乗りました!あわわわわ!」


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 かおすが、自身の描いたネームを小夢らに見せ、アドバイスしてもらうシーン(第3話)。

 小夢らはかおすを激励しようとするが、あまりにもひどい出来栄えに、ついつい厳しいコメントが多くなる。

かおすは半泣きになって「すすすっ、すみません。まさに私のネームはゴミ。私はゴミ以下。ゴミのゴの字の点々の片方……」


※普段はかおすを溺愛する琉姫からも、厳しい指摘が飛ぶ(「そうなんですか。しらなかった」はかおすのセリフ。彼女が、いかに「オッサンオタク」化しているかよくわかるシーンである)。


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 小夢がなかなか連載を獲得できず、落ち込んでいる。かおすらが彼女を励ますシーンでのこと(第5話)。


琉姫「じゃあ今度一緒に、恋愛マンガ研究しよっか!」

「私でよければ、また取材とか付き合うよ」

小夢は微笑んで「あっ、ありがとうございます!」

 そして……我らがかおすの出番である!

かおすは1人、遠くを見つめるような目をして「私は……えっと……邪魔にならないよう部屋の隅で……」

小夢が慌てて「かおすちゃんも一緒に連載目指して頑張ろうよ!」


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 かおすが、メガネをかけた琉姫に見惚れている(第7話)。

 琉姫は「かおすもメガネを作ってみたらどうだろう」と提案。


 すると……かおすの顔にじわっと汗が浮かぶ。

かおすは小刻みに震えながら「私が……神聖で崇高なるメガネキャラの……一員に!?」

かおすは目をぐるぐる回し、頭を抱えて叫ぶ「わわわっ、私にはメガネ重すぎますー!」


※自虐するメガネかおす。


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 以上、具体的なエピソードをご覧いただいた。

 こうした、「かおすの自虐」に基づく「オーバーリアクション」(ぶっ倒れる、泣く、顔が真っ青になる etc.)こそ、「自虐風オーバーリアクション」である!


かおすは、なぜ「自虐風オーバーリアクション」を違和感なく繰り出せるのか?


 ここまで見てきた通り、かおすは作中で「自虐風オーバーリアクション」を連発している。……が、これは誰にでもできることではない!


 例えば「こみっくがーるず」には、かおす以外にも魅力的なキャラが多数登場する。……しかし、「自虐風オーバーリアクション」を違和感なく繰り出せるキャラとなると、かおすしかいないと思うのだ。


 さて。

 それでは、なぜかおすには「自虐風オーバーリアクション」が似合うのか?


 おそらく、彼女が以下の3つの条件を満たしているからだろう。


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【1】自己評価が低い


 上述の通り、「自虐風オーバーリアクション」とは、「自虐」に基づく「オーバーリアクション」である。

 つまり、「自虐風オーバーリアクション」を違和感なく繰り出すには、そのキャラが自身を卑下している必要があるのだが……この点、かおすはバッチリだ!

 なにしろ、彼女は相当に自己評価が低いのだから!(詳しくは第7回


 一方、もしも「自己評価の高いキャラ」が「自虐風オーバーリアクション」をしたとすれば?

 ……それは「自虐」ではなくて「自虐風自慢」だろう。

 そして、「自虐風自慢」ほど視聴者をイラつかせるものはない。


 また、世の中には「自意識の弱い人」もいる。

 「自意識が弱い」とは、「自分が周囲からどう見られているかをあまり気にしない」ことを意味する。

 そもそもあらゆる「評価」は相対的なものであり、「自分を低く評価する」というのは「自分を(他の人と比べて)低く評価する」ということだ。

 つまり、自意識の弱い人は「自虐」することがない

 だから、当然「自虐風オーバーリアクション」もあり得ない。


補足:「こみっくがーるず」の主要4人の内、かおす以外の3人について概観しておこう。まず、小夢と翼は自意識が弱いように見える。つまり、「自虐風オーバーリアクション」には相応しくない。一方、琉姫は人並みに自意識を持っているようだ。彼女は自己評価が極端に高いタイプではないが、かといって格別に低いわけでもないと思われる。特に、「TL(ティーンズ・ラブ)作家としての自分」を受け入れて以降(第4話)は、自己肯定感が高まったように見える。したがって、琉姫にも「自虐風オーバーリアクション」は似合わない。つまり、「自虐風オーバーリアクション」を違和感なく繰り出せるのはかおすだけなのだ。


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【2】独特のセンスを持っている


 「自虐風オーバーリアクション」は、「自虐」ではあるが、単なる「自虐」ではない。

 それは「自虐」を独特のセンスで味付けし、ユーモアにまで高めた「芸」である!


 したがって「自虐風オーバーリアクション」をするには、必要なのだ……そう!「自虐」を味付けするための「独特のセンス」が!


 そして、前掲したエピソードをご覧いただけば、かおすが独特のセンスの持ち主であることは納得いただけると思う。

 「いいえ、私はモブです!調子に乗りました!」にしろ、「まさに私のネームはゴミ。私はゴミ以下。ゴミのゴの字の点々の片方……」にしろ、普通の女子高生の口から飛び出すセリフとは思えない!


 はて。

 それでは、なぜかおすはこうした独特のセンスを持っているのだろうか?

 作中では明言されていないが、いくつか思い当たる要因がある。


 まず、かおすは「オッサンオタク」であり、いわゆるオタクコンテンツや、ディープなネット文化に精通している(詳しくは、第2回第3回)。


 また、「かおすは、いまも両親や祖父母の強い影響下にある」(詳しくは、第4回)。

 これは現実の世界でもよく見られることだが……両親や祖父母の影響を強く引きずっている人は、言葉づかいや趣味嗜好が独特なものになりやすい。

 わかりやすいのが音楽の趣味で、例えば年齢のわりにサザンやユーミンにやたら詳しい人は、両親や祖父母の好みをモロに受け継いでいる可能性が高い。


 つまり、友だちがおらず、自宅に引きこもっていたであろうかおすは(詳しくは第5回)、「オタク的なもの」と「両親や祖父母」の影響をメチャクチャ強く受けている。

 その結果、よくも悪くも高1女子とは思えぬ独特のセンスを身につけるに至ったと推測できるのだ。


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【3】心理的安全性が確保された場所にいる


 「心理的安全性」とは、「構成員が、他者の反応を気にせずにふるまえる環境・雰囲気」のことだ。

 例えば、あなたが誰かと一緒にいる時に、「こんなことを言ったら怒られるのではないか……」とか、「こんなことをしたら笑われるのではないか……」なんて考えながら行動しているなら、そこに心理的安全性は存在しないということになる。

 一方、「思った通りに行動しても許される」という安心感がある場合には……それは心理的安全性が確保された場所だ。


 コミュニケーション・スキルが極めて低いかおすは、世の中の人びとを「家族のように親しい人」と「敵かもしれない他人」の二元論で把握している(実際にはもう少しバリエーションがあるが、ここでは話を単純化するためにこの2つしかないということにしておく。詳しくは第6回)。


 そんなかおすにとって、小夢らは「(疑似)家族」だ。

 「知人」「友人」、あるいは「仕事仲間」なんて生ぬるいものではない(かおすにはそんな「適度な距離感」を保つスキルはない)。


 「(疑似)家族」である以上、当然そこには心理的安全性がある。


※作中に何度も登場する「(疑似)家族写真」。これぞ、心理的安全性が確保された場所である。


 そんな安全な場所だからこそ、「対人恐怖」を抱え、人前に出ると「あばばばば!」と奇声を発することしかできないかおすが、「自虐風オーバーリアクション」なんてお笑い芸人のようなふるまいをすることができるのだ。


 「(本当の)家族」や、「(疑似)家族」以外の人の前で「自虐風オーバーリアクション」をやれと言っても、それは無理な話だろう。


「自虐風オーバーリアクション」の意義


 ここまで「自虐風オーバーリアクション」と、それが成立するための3つの条件をご説明してきたが……最後にその存在意義について考えてみよう


 ご想像いただきたい。

 もし「自虐風オーバーリアクション」がなければ、どうなっていただろうか?


 つまり、主人公はオタクで、対人恐怖を抱えており、友だちはおらず、マンガ家としてのスキルは未熟で、自己評価も低い女子高生……。

 全体的に暗い雰囲気になっていたのではないか。

 また、かおすのユーモアゼロの「自虐」は痛々しく、場合によっては不幸自慢と化し、不愉快に感じる視聴者も出てくるだろう。

 「こみっくがーるず」の原作は同名のマンガで、「まんがタイムきららMAX」に掲載されているが、こうなってくると「きらら」というよりも「ガロ」の路線である。


 つまり、「自虐風オーバーリアクション」が存在したことで、「こみっくがーるず」は明るいギャグ作品になり得たのであり、また、かおすは「基本的にポンコツで、すぐに自虐に走るけれど、それは一種のネタであり、泣き言をグダグダ並べるわけではない。大騒ぎしながらもマンガ家として、そして人として成長するために努力する」、そんな視聴者・読者から愛されるキャラになったと思うのだ。


補足:一歩間違えれば、暗く、見る者を不愉快にさせかねないが、独特のユーモアを持ったことで多くの視聴者・読者から愛されることになった……私たちは、そんなかおすとよく似たキャラを知っている。「ちびまる子ちゃん」の主人公・まる子だ。特に原作マンガの初期においては、この傾向が顕著に感じられるように思う。


まとめ


 ここまでの議論をまとめよう。




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 最後までお読みいただきありがとうございました。みなさんの今後の創作・制作のお役に立てば幸いです。

(担当:三葉)

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