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内なる声、身体からの声に従う
私は、その場に過剰適応することで生き延びてきた。自分の正直な思い、湧き上がる感情に蓋をして。それがフツー、当たり前になればなるほど、生々しい感情は麻痺して行った。そうとは気づかないまま、気づけないまま。
結局、心身に不調を来すようになって初めて、それを自覚した。
以後、自分の内なる声、身体からの声に、耳を傾ける努力を重ねた。初めのうちは全く分からなかった。内なる声、身体からの声なるものがどう
互いの足を踏み付けながら
私の“毒”両親は「仮面夫婦」だった。そして、私たち家族は「仮面家族」。
休日は、家族でお出かけする仲良し家族。平日は、一家の大黒柱として真面目に働くサラリーマン、パートタイムで働き、亭主関白の夫に仕え、子育て、家事もこなす主婦、親や教師(=大人たち)の言うことをよく聞き、家の手伝いもし、勉強もそれなりに出来る子ども、を、それぞれが演じていた。
成長するに連れ、そうした状況、雰囲気、関係に、私
「一般化」されてしまった
何年も前のことになるのだが、あるヒトに悩み相談をした。そのヒトを「話を聴けるヒト」と感じ、とても尊敬していたから。
けれども、私の話を聞いてそのヒトは「あなただけではないから……。」と「私の悩み」を、いとも簡単に「一般化」してしまった。最大限の善意で解釈するとしたら、私を励ますつもりだったのだろう、となるのだろうが、とんでもないことである。とてもそうは捉えられなかった。むしろ「あなただけではな
かもしれない ・ なんでもない・なんとかなる
「他人だけでなく自分に対しても、ネガティブワードは使わないようにする。使うと自己肯定感が減るから。」そのような趣旨の文をnetで目にした。
自己肯定感の低さを自覚している私にとって、納得できる言葉だった。
気が付くと自分を厳しくジャッジメントし、ダメ出しばかり。それが日常だった。自分の言葉が自分を創る。自分に影響を与えるのは、他人から浴びせかけられる言葉ばかりではない。こんな当たり前も分か