自分の好み、こだわり、傾向

 名前だけ知っていたカフェの前を通りかかった。開店直前、もう数人が待っていた。私もその列に並んだ。
 中に案内され着席。想像以上に小さな店だった。予約済の席もあり、開店からほどなくして、ほぼ満席となった。メニューを眺めながら、なかなかの値段、私の懐具合では、リーズナブルとは言えないなと、内心思った。
 オーダーを済ませ待つ間、違和感を覚えた。あれっ、なんだろう。厳密に言えばそれは、居心地の悪さ。小洒落たカフェで独り、ゆっくり、ゆったり過ごすのが大好きで、お気に入りのお店も何軒かあるのに……。

 水平方向だけでなく、上下にも視線を動かし、店内を見回した。BGMにも耳を傾けた。お気に入りのお店との違いは何? と思いながら。

 あれもこれも違っていた。

 こじんまりとした店内。テーブルの間隔、通路幅は、さほど広くない。天井も高くはない。ああ、私にとってはもう、うるさいんだ、聞こえてしまう声が。あっちのお喋り、こっちのお喋り。そこに割り込む、オーダーや案内の声。天井や壁からそれらが跳ね返り、耳に飛び込んで来る。それだけではない。天井に、壁に、私は圧迫される。更に気になったのは、目のやり場。どこに目を向けても、視野にお客さんの姿がドカンと入って来る。その距離が、私にはあまりにも近く、落ち着かない、落ち着けない。

 お気に入りのお店は、どこも天井が高く、テーブルの間隔も、通路幅も、広く取ってあった。ボーッとどこかに視線を向けても、他のお客さんの姿、立ち居振る舞いが克明に映ることは無く、気にならなかった。こんなこと、これまで全く意識していなかった。

 外で待っている人も、少なからずいるようだった。食した後、のんびりしてはいられない、私にそれは出来ないと判断し、会計を済ませ店を出た。
 
 帰る道々或いは、帰ってから考えたこと。
・お気に入りのお店の共通点に気付けた
・自分の、パーソナルスペースが、なんとなく分かった
・耳や目に入って来る刺激に対する、自分の反応具合や、許容範囲のようなものが分かった
・「今」の暮らし、生活に、どれだけ自分が埋没しているかが分かった
・これまで考えたことも無かったことについて、考える機会が与えられ、いろいろ発見し、新たに気付けた

 「『お一人様』の私の日常」についても考えた。  
・拙宅にいる限り「自分の他に動くヒト」はいない
・喋る相手もいないので、沈黙は当たり前、いつものこと
・好きな音(クラシック音楽や自然の音)しか、意識的に聴かない
・すべてが自分のペースで動く=自分のペースで “しか” 進まない
・基本、来訪者はいない

 「夫婦や家族で暮らしているヒトの日常」とどれだけ違っている?
・誰かが喋っている、自分も喋る
・家族それぞれのペース、家族、その家のペースがある=自分のペース “だけ” では回らない
・聞きたくない音も耳に入って来る
・来訪者だってきっと、それなりにいるだろう

 これらの違いに、優劣、良し悪しは無い。各々が、違う世界、異なった世界に暮らしている、暮らさざるを得ない、ただそれだけ。その隔たりは大きいのかもしれないけれど。

 それにしても、静けさや沈黙に、自分がここまで慣れていたとは。又、自分の好み、こだわり、傾向も、こんなにハッキリしているなんて。

 まずは、違和感に気付けて、ヨカッタ。

 
 


 

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