空ノ彼方

読む、書く(それも手書き)、どちらも大好きな「活字大好き人間」。FMラジオをかけっ放し…

空ノ彼方

読む、書く(それも手書き)、どちらも大好きな「活字大好き人間」。FMラジオをかけっ放しで日なが一日、本(活字)を読んだり、手紙や日記、雑感などを書いたりしていればゴキゲン、です。

最近の記事

ファミレスにハマる

 自分の内なる声を聞かず、ひどく体調を崩してからというもの、生活習慣を見直している。特に食生活。それまでも「オルトレキシア」っぽいのではと、密かに不安を覚えるほど、こだわっていたのだが。  スッキリと快復しない鬱陶しさを抱えながら、色々思い巡らした。自分では健康的と思っていたそれまでの食生活。ただ、そう思い込んでいただけ。思いの外、かたよった食べ方をしていたな。  快復の兆しが見えてきた頃、日替わりで人と会うのに、ファミレスを利用した。ここ数年ご無沙汰、の場所だった。タッチ

    • 座らない生活

       おひとり様となり、仕事も辞め、きょう(今日)いく(行く)ところも無く、きょう(今日)よう(用)もない生活をするヒトになった。それでも半年位は、毎日出かけていた、その余韻が燻り、何とも落ち着かなかった。  自分の感情に蓋をし、義務感や責任感のみで出勤する状況から解放された実感が増すにつれ、そうした燻りは治まって行った。すると今度は、ボーッと、まったりと、何をするでもない一日、が始まった。それまでの生活で、エネルギーを使い果たしていた自分に必要な日々と、理解はしていた。が、次第

      • 歩く

         東京は銀座が大好きだった。見上げる空が、他の「都会」と称される所より広いような気がして。道路も広い。その広さに、私の心は解放された。開放されて行くのを確かに感じた。  亡夫も銀座が好きだった。お互いがそうであると、結婚してから知った時、私は何だか嬉しかった。そして、二人でよく行くようになった。何かを買うでもなく、あれこれ眺め、雰囲気を味わいながら歩く。新橋から有楽町、東京駅まで歩いたこともある。駅地下も探訪した。セカセカではなく、のんびりゆったり。そういう楽しみ方の出来る彼

        • おひとり様の特権?!

           仕事を通して懇意になった知人と会う約束をした。私はさっさと退職したが、彼女はまだ現職でいる。その愚痴etc.を聞くのがメイン。  そういう類の話に耳を傾けるのは、別に嫌ではない。驚かされたり、考えさせられたり、それは “興味深い面白さ” を感じるから。  待ち合わせは、某ターミナル駅近くのファミレス。ラッシュアワーでなくても、そこそこ(かなり?!)ヒトの往来がある場所。うわっ、久しぶりの遠出、ヒトあたりしそうと、ちょっぴり不安も抱きつつ、現地に向かった。  案の定、ヒトの多

        ファミレスにハマる

          日薬、時薬

           しばらく訪れていなかった商業施設に行ってみた。結構気に入っていたのに、気が付いたら足が遠のいていた、そんな場所だ。  店舗の入れ替わりは予想以上にはげしく、知らないお店の方が多かった。月日の移り変わりと商売の難しさを、否応無しに感じさせられた。同時に、自分と、自分が置かれている状況の変化も改めて思い、しみじみしてしまった。  寂しい気持ちもあったが、ウインドウショッピングは、そこそこ楽しかった。おひとり様の生活の色合いが、何となく決まって来た日々に、差し色が入ったような気が

          自分に命令する自分

           「内なる声」等について、あれこれ、ああでもないこうでもないと書いて行く内に私は、自分で自分に命令してばかりであったのに気付いた。それも殆どが、禁止、無理強い、べき思考に基づくもの。  あれをしろ=これをしてはならぬという禁止=無理強い。こうするべき、しなければならない=べき思考による支配=これも無理強い。自分自身が何をしたいのか、或いは、何をしたくないのか、そんな自分の感情にはお構い無しに、やれ、やるべき、やらなければダメ、この声が常に、頭の中に響いていた。そんな状態に、多

          自分に命令する自分

          内なる声……。

           お互いの都合がつかず、なかなか会えなかった知人と会うことになった。その約束をしたのは一ヶ月前。  その日が近づき、再確認のメールを送ろうかと思った。が、やめた。「明日は(或いは、本日は)楽しみにしています」ただそう打てばいいだけだったのに。  当日、待ち合わせの時刻から5分過ぎて、メールが届いた。「1時間遅れます。お約束の日時を勘違いしていました。今、向かっている所です。」そんな内容だった。勿論、謝罪の言葉もあった。うわーっ、と思った。それは彼女に対してではなく、自分に対し

          内なる声……。

          内なる声、身体からの声に従う

           私は、その場に過剰適応することで生き延びてきた。自分の正直な思い、湧き上がる感情に蓋をして。それがフツー、当たり前になればなるほど、生々しい感情は麻痺して行った。そうとは気づかないまま、気づけないまま。  結局、心身に不調を来すようになって初めて、それを自覚した。  以後、自分の内なる声、身体からの声に、耳を傾ける努力を重ねた。初めのうちは全く分からなかった。内なる声、身体からの声なるものがどういうもの、どんな感覚であるか、掴めなかった。  それでも諦めなかった。すると次第

          内なる声、身体からの声に従う

          やっぱり「一年単位」か

           末期がんを宣告された夫が目の前で息を引き取って逝った瞬間、私は「自分も後は死ぬだけ」と思った。以後、その思いを携えたまま暮らしている。が、何度も書いている通り、終活、身辺整理の進み具合は、何とも遅い。  後は死ぬだけとの思いと、今はまだ死ねない、死にたくない、こうした思いが常にせめぎ合っている。子どももおらず、親戚付き合いもせず、亡夫と二人、肩を寄せ合って暮らして来た結果、正真正銘の「おひとり様」となった。後悔は無い。当然の帰結。  そんな身の上だから、終活は必至。そういう

          やっぱり「一年単位」か

          自分の好み、こだわり、傾向

           名前だけ知っていたカフェの前を通りかかった。開店直前、もう数人が待っていた。私もその列に並んだ。  中に案内され着席。想像以上に小さな店だった。予約済の席もあり、開店からほどなくして、ほぼ満席となった。メニューを眺めながら、なかなかの値段、私の懐具合では、リーズナブルとは言えないなと、内心思った。  オーダーを済ませ待つ間、違和感を覚えた。あれっ、なんだろう。厳密に言えばそれは、居心地の悪さ。小洒落たカフェで独り、ゆっくり、ゆったり過ごすのが大好きで、お気に入りのお店も何軒

          自分の好み、こだわり、傾向

          互いの足を踏み付けながら

           私の“毒”両親は「仮面夫婦」だった。そして、私たち家族は「仮面家族」。  休日は、家族でお出かけする仲良し家族。平日は、一家の大黒柱として真面目に働くサラリーマン、パートタイムで働き、亭主関白の夫に仕え、子育て、家事もこなす主婦、親や教師(=大人たち)の言うことをよく聞き、家の手伝いもし、勉強もそれなりに出来る子ども、を、それぞれが演じていた。  成長するに連れ、そうした状況、雰囲気、関係に、私は違和感を抱くようになった。やがて「かさぶたはあるが、その下はまだドロドロに膿ん

          互いの足を踏み付けながら

          頭の中の言葉、口に出す言葉

           私は「言葉の(出るのが)遅い子」だったらしい。ある時、女親が言っていた。  「遅い」と言うからには当然、何かと比較してであり、それは標準、平均、フツー、あるいは周囲の子どもたち。生まれた瞬間(それ以前?)からヒトは、かくも「比較」の只中に在るのか……。  それはさておき、結果的には、ある日突然、洪水のように言葉が出て来たそうだ。それでも「お喋りさん」にはならなかったようで、これも女親から「何を考えているのか分からない子」と、面と向かって言われたのを覚えている。  その頃か

          頭の中の言葉、口に出す言葉

          「一般化」されてしまった

           何年も前のことになるのだが、あるヒトに悩み相談をした。そのヒトを「話を聴けるヒト」と感じ、とても尊敬していたから。  けれども、私の話を聞いてそのヒトは「あなただけではないから……。」と「私の悩み」を、いとも簡単に「一般化」してしまった。最大限の善意で解釈するとしたら、私を励ますつもりだったのだろう、となるのだろうが、とんでもないことである。とてもそうは捉えられなかった。むしろ「あなただけではないのだから、いつまでもそんなことでクヨクヨしてないで、もっとしっかりしなさい」と

          「一般化」されてしまった

          スコア(総譜)を読みながら

           図書館の楽譜コーナーに行ってみた。数多(あまた)あるクラシック音楽の楽譜を眺めている内に、お気に入りの曲を、スコア(総譜)を読みながら聴きたくなった。早速借りた。  借りたはいいが、自分の読譜が演奏について行かれるか、不安になった。そういうこと(読譜)からは、ずいぶん遠ざかっていたので。  ええぃままょ!とスコアを開き、曲を流した。案の定、落ちた(どこを演奏しているのか、分からなくなった)部分もあったが、何とか最後まで辿り着いた。ホッとした。が、ワクワク感の方が勝(まさ)っ

          スコア(総譜)を読みながら

          その時の最善

           自分の育った家庭が「機能不全家庭」と知った時、ホッとした。それまで抱いていた生きにくさ(辛さ)の説明がついた気がしたからである。ほぼ同じ頃「その時はその時で(その行動を取ったのは)仕方がなかった。ヒトは無意識の中で『その時の最善』を選んでいる。後悔したり、あれで良かったのかと思ったりするのは、そこから成長した証。」この言葉に出逢った。ますますホッとした。以来、この言葉を胸に自分を励まし、鼓舞して生きて来た。    別れたDV夫と暮らしている間、誰よりも先に起き、最後に寝るの

          その時の最善

          素朴な思い

           ふと思い立って、いつも行っている小さな図書館ではなく、大きい図書館へ足を運んでみた。当然のことながら、おびただしい数の本! だった。  文庫本の書架を隅から隅まで眺めた。洋の東西を問わず、知っている作家、既に読んだ作品も勿論あった。が、これも当然のことながら、未知の作家、未読の作品の方が多かった。ホント、そんなのは当然、なのだが。  すると突然、ここにある本を読み尽くすことなく自分の寿命は尽きる、そんな漠然とした思いが頭をよぎった。「それでも時間は巡る」これも浮かんで来た。