「一般化」されてしまった

 何年も前のことになるのだが、あるヒトに悩み相談をした。そのヒトを「話を聴けるヒト」と感じ、とても尊敬していたから。
 けれども、私の話を聞いてそのヒトは「あなただけではないから……。」と「私の悩み」を、いとも簡単に「一般化」してしまった。最大限の善意で解釈するとしたら、私を励ますつもりだったのだろう、となるのだろうが、とんでもないことである。とてもそうは捉えられなかった。むしろ「あなただけではないのだから、いつまでもそんなことでクヨクヨしてないで、もっとしっかりしなさい」と、容赦なく叱咤激励されたように感じた。そして、その時の私に、しっかりするだけのエネルギーは無かった。だから「あなただけではない」この言葉を聞いた瞬間、それまで抱いていた尊敬の念は、音を立てて崩れて行った。失望し、絶望した。何にも増して、自分の悩みが取るに足らないモノにされたようで、悲しかった。苦しくて、辛くて、どうしようもなかったのに。
 
 人間、上を見ても下を見ても「キリ」がない。自分より苦労をしているヒト、悲惨な状況に在るヒトは、いくらでもいる。逆の状況のヒトもそうだ。悩んでいる本人が、自らそれに気づいた時、初めて「自分だけではない」と、心の底から思えるのだ。誰かに言われてではない。何よりも、気づく力を本人は持っている。

 悩んでいる本人の力を、ディスカウントしないでほしかった。

 この悲しい経験から私は、安易に「あなただけではない」と言うのはやめようと、強く思ったのだが……。

 更に、尊敬していた相手も、私が勝手に尊敬の念を抱き、私の理想像に当てはめ、勝手に期待していたに過ぎなかったと、気づいた。これは反省した。以来私は、相手に過度に期待しないよう、気をつけるようになった。それは「何かをあきらめる」のとはちょっと違うのだが、言葉で説明するのは難しい。あえて言うならば「相手に対して、自分は常にフラットな状態でいる」ということか。(いつか書いたこと、かもしれない)
 
 それでも、言うは易く行うは難し。なので、こうして書くことで又、思いを新たにしている。今はちょっぴり、の絶望と悲しみを思い出しながら。

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