かもしれない ・ なんでもない・なんとかなる

 「他人だけでなく自分に対しても、ネガティブワードは使わないようにする。使うと自己肯定感が減るから。」そのような趣旨の文をnetで目にした。
 自己肯定感の低さを自覚している私にとって、納得できる言葉だった。

 気が付くと自分を厳しくジャッジメントし、ダメ出しばかり。それが日常だった。自分の言葉が自分を創る。自分に影響を与えるのは、他人から浴びせかけられる言葉ばかりではない。こんな当たり前も分からないほど、その頃の私は混乱し、疲弊し、自己肯定感バク下がりのループに陥っていた。

 このnetの文は更に「ネガティブワードが浮かんでしまったら語尾に『かもしれない』をつけてみる。」と論じていた。
 私はますます納得した。「できない『かもしれない』」、「失敗する『かもしれない』」 、「どうせムリ『かもしれない』」。確かに、不安や恐怖が軽減される。私にはそう感じられた。な・る・ほ・ど。
 これも当然のことだが「一寸先は闇」、「先のことは分からない」のだ。何ごとも「やってみなければ(結果がどうなるかは)分からない」、「言ってみなければ(相手の反応は)分からない」。同時に、それまでの積み重ねや関係性等からの予測は大切、とも思うが。根拠の無い自信、無鉄砲、あたって砕けろ、一方的な期待等、私は苦手。
 それでも「かもしれない」この言葉は大切にしたい。

 そう考える内に浮かんで来たのが「なんでもない」と「なんとかなる」。これらも私の、手離したくない言葉と気付いた。勿論、無闇矢鱈、ありとあらゆることを「なんでもない」と言って、自分の心をごまかすつもりは、もう無いし、なんとかならないこと、手の施しようの無い危機的、壊滅的状況もあるのは理解しているつもり。

 なので、それらを見極める智慧? 力?? 冷静さ??? も持てたらいいなぁ……。


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