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【創作 短編】“小さな口福”

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【創作 掌編・短編】のうち、食べ物がテーマやキーワードになっているものをまとめています。 食べることは生きること。 美味しさで癒されますように。
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記事一覧

【掌編】 やさしさほどける “小さな口福”

【掌編】 やさしさほどける “小さな口福”

梅雨が来ない。

そう思っていたら、とんでもない猛暑に襲われ、息も できないような暑さが続いた。
なんとかそれに身体が慣れてきたかと思ったら、今度は梅雨が戻ってきた。忘れ物をした気まずさか、しっとりとしたところのない乱暴な雨が続く。

こんな天気が続くと、湿気が体に染み込んで、ずっしりと重苦しくなってくる。頭はサイズの合わないヘルメットを被らされているようだし、肩や首の周りには鱗

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【掌編】こんな日だからこそ食べるのだ  “小さな口福”

【掌編】こんな日だからこそ食べるのだ “小さな口福”

「よし、やるか!」
台所に立ち、エプロンを締める。

テレビのコンセントを引っこ抜き、スマートフォンの通知も全てオフにする。仕事の連絡も今日は聞かなかったことにすればいい。

ふた昔前、お互いまだ小学生だったあの時は、よく意味もわからず、それでもいてもたってもいられなくなって、「コンビニ行ってくる!」と叫んで、財布も持たずに家の前まで自転車をぶっ飛ばした。
遅くなって家に帰って、こっぴどく親に怒ら

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【掌編】皮の剥き方  “小さな口福”

【掌編】皮の剥き方 “小さな口福”

竹かんむりに旬と書いて「筍」。

今年はもう無理かと思っていた。
卵を切らしていることに慌てて、いつもは寄らないスーパーで見つけた旬の味。思わず4〜5本買って帰りたくなるところをぐっと堪える。

「そんなにたくさんあってもいっぺんに茹でられないでしょ、どうすんの?」

そう呆れられるのがわかってる。
大好きな筍のことで、大好きな君と喧嘩したくはない。

同じ理由と、大きい方がエグみが強いらしいとい

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【掌編】温め続けて  “小さな口福”

【掌編】温め続けて “小さな口福”

卵がひとつ。
ここにある。

いつからか、大事に大事に温めている。

殻の色は時々変わる。
白や、黒や、なんとも言えないまだら模様にも。

中からコツコツ音がする。
気がする。

よく見ると、周りにも同じように卵を温めている人がいる。

もっと大きなものだったり、小さくてもたくさんだったり。

そして時々、その卵から、生まれる。

大きく綺麗な羽を広げて。
強そうな鎧に身を固めて。

温め続けたそ

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【掌編】魔法の水  “小さな口福”

【掌編】魔法の水 “小さな口福”

ずらりと鶏の胸肉が並んでいる。

合計4枚。
皮はすでに剥ぎ取られていて、淡い桃色のツルリとした生々しい肌が露わになっている。

もも肉は2枚で1羽分というのはわかるけれど、胸肉はどうなのだろう。
右と左の乳房のように、これも2枚で1羽分なのだろうか。

いや、鶏は哺乳類じゃないから、いわゆる胸はなかったか。

すぐ横に計量カップ。
中には200ccの水に大体小さじ2杯ずつの塩と砂糖。
ブライン液

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【掌編】夜に染み込む  “小さな口福”

【掌編】夜に染み込む “小さな口福”

急な冷え込みに体がついていかない。

すっかり桜も散ったし、このまま夏になると思っていたのに、なぜかこのところひどく寒い。そのせいで衣替えも出来ずにいる。とはいえ、厚いコートはさすがに重苦しく、冬物の上にスプリングコートを羽織るというチグハグさ。

仕事は予定外のタスクが入り、何かとバタバタ忙しかったし、久しぶりに会った取引先の相手は、何だか妙に苛々していた。
焦りとか苛立ちとかは伝染する。

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