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ワタシノコト。

こんにちは。YUPICOF こと、ふじきゆみこです。
まずは簡単なプロフィールから。

YUPICOF |ふじきゆみこ

京都生まれ、11歳から東京育ち。15歳から写真を撮りはじめる。大学在学中に写真家のハービー・山口氏に師事。写真を生業とせず、サイン・ディスプレイの設計、文化・芸術を中心とした映像制作、出版業界、建築家秘書、イベント会社を経て、2021年1月からフリーに転身。東京を拠点にドキュメンタリー番組の制作やウェブメディアの企画編集、日本の地域に関する発信のお手伝いをするなどマイペースに活動中。得意なことは、リサーチ、写真撮影、文章を書いたり編集する、好奇心旺盛に行動する、人がなにを求めているかを推測する、集中力を発揮すること。趣味は着物で外出、写真、旅行、盆踊り、短歌を詠む、ミシンを踏む、登山、トレイルランニング。好きなことは美味しいものを食べる、温泉に入る、プレゼント選びです。


note はじめました

この度、はからずも必然的なきっかけがありnoteをはじめることになりました。日記のような “書きもの” というと、2017年に更新したブログやFacebookの投稿が最後になるので、実に7年ぶり!です。
かつてのブログ全盛期(2002年頃)よりも前に、高校の入学祝いにノートパソコンを買ってもらって時代の最先端をゆく女子高生だった私は、Yahoo!のジオシティーズでホームページを自作しました。そこで日記を書き始めたわけですが、その後ブログに移行したりmixiをやってみたり、17年ほどは何かしら書き続けていたんですね。
ここ数年はInstagramの投稿やストーリーズでの簡単な発信しかしていなかったので、これを機にまた新たな ”書きもの" と向き合ってみたいと思います。

京都生まれ東京育ち転々人生

京都出身で中学の同級生だったという父と母の間に生まれた私ですが、2歳半のときに両親が離婚。のちに聞いた話によると、父が仕事から帰ってきたら家具の一部と母と私が消えていたとか。それから30年間、父と再会することはありませんでした。そして7歳のときに母が再婚、弟が生まれます。しかしその継父とも1年後に離婚。母ひとり子ふたりの母子家庭で育ちました。京都→横浜→京都→埼玉を転々とし小学校は4回転校、最後に辿りついた先が東京でした。

母と私

余談ですが、父との30年ぶりの再会はまさに「事実は小説より奇なり」。ある日、当時住んでいた京都の祖母宅に1通の手紙が入り…。そこに書いてある番号に電話をかけると、相手はなんと父でした。後日会う約束をして、近くの喫茶店で待ち合わせ。顔も風貌もまったく記憶にないので、緊張と高揚が混じりどきどきする不思議な感覚でした。見たことのない写真や、私が描いた父の似顔絵も大切にとっておいてくれていました。

2歳頃の私と、私が描いた父の似顔絵

そんな複雑そうにみえる幼少期ですが、勉強もスポーツも習いごともがんばる努力家で、小学生ながら家事を手伝い弟を保育園に迎えに行ったりと母をサポートしていました。小児喘息が治り体力をつけるために始めたマラソンで「走ること」に目覚め、小3〜小5までいた学校では一輪車&陸上クラブと料理&手芸クラブを掛けもちしたり、この頃から多趣味だったようです。

小5の3学期の通知表(オールよくできる)

小6で東京に来たときは不安もありましたが、すぐに友だちもでき中学では迷わず陸上部へ。1km走の自己ベストタイムは3分30秒で学年1位でした。勉強が好きで小学校の先生になりたかったので受験をして都立高校に進学しますが、学校のある場所がなにかと誘惑の多い新宿。お昼休みに映画館やゲームセンターに行ったり、放課後にアルバイトを始めたりと勉強が疎かになっていきました。またこれまでとは一転、体育会系の部活には入らず、一眼レフカメラ(フィルム)を手にいれ写真部に入部したことで趣味が増えたのでした。そして実家は同じ街で2回も引っ越しをするという転々人生は続きます。

高校写真部の私

大学進学その後

一浪して入学した大学(経済学部卒です)でも写真サークルに入りました。そこで講師として来ていた写真家のハービー・山口さんと出会います。一番前の席で色々と質問攻めをしていたこともあり仲良くさせていただき、撮影現場のアシスタントや、カメラ雑誌の企画に載せてもらうなど本当にこのときの経験は私の宝物です。今でもお付き合いがあり、先日はハービーさんの写真展会場でモデルとなり撮ってもらったりもしました。

ハービー・山口さんに撮ってもらっている私

大学時代は特に写真活動とジャーナリスト養成講座に力を入れていましたが、進路を迷いに迷ったあげく卒業直後はどこにも就職しませんでした。半年間だけ京都の祖母宅で過ごしてまた東京に戻り、そこからは冒頭のプロフィールにあるとおり「そのときどきにやりたいこと」「ご縁がある仕事」をやってきました。途中、2010年に母の乳がんが見つかり、私は適応障害で倒れて一時期会社に行けなくなったり、2011年に東日本大震災、2012年に祖母が亡くなり、その翌年の2013年に母が亡くなるという精神的に辛くどん底の3年間がありました。それ以降、自分に優しくゆっくり生きたい、月1回は東京から出て旅をしたいと思うようになりました。

これからやりたいこと

2018年に休職してイギリスの農家に1ヶ月間住み込み、農業を体験しました。ロンドンから特急で1時間ほど南東に下ったルイスという小さな町にある日本野菜を育てているファームです。「土を触りたい」その一心で向かったことを覚えています。ここ10年ほど、旅が「東京からの逃避」になっているような気がしていて、いずれ東京を出てどこかの地域に住み、自分の畑を持ち、自ら耕したいと考えています。夢は大きく?どうなることやら。

ここまで読んでいただきありがとうございます。このnoteでは、3行日記、自分のこと、趣味のこと、仕事のこと、短歌のことなどをマイペースに書いていこうと思います。
あと、ホームページもあります。お時間のあるときにのぞいてみてもらえたら嬉しいです。
http://fujikiyumiko.com/

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