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【日常】「若いうちからいろいろ考えてて偉いね」って言われると素直に喜べない

長いタイトル

日本一周を経て

大人に日本一周したときの話や、これまでやってきたことを話すと決まって言われる言葉
 

「若いのに色々考えてて偉いね。」



体感8.9割くらい言われる。


もちろん嬉しいんだけどさ。


素直に喜べない自分がいる。

その根底にあるのは、その言葉に喜ぶことによって満足しちゃう自分がいること。

「昔は俺もな〜〜〜」なんて語るような大人にはなりたくない。

だから今に満足したくない。

日本一周を終えて1年 
 

なにかを成し遂げた気になった自分を、前よりも成長した気がする自分を、周りの人に示すかのようにたくさん話をしてきた。

けど、

もう既にこの話をすることは恥ずかしいと感じてる。自分の価値はそこじゃないって。

だからきっと、日本一周の時の話をして、褒めてもらえることにむず痒さを感じてるのだと思う。


ちょっと話ずれちゃった。

そう、ここまでは最近日本一周したことを語る時に恥ずかしくなってるって話。

本題は若いのに色々考えてて偉いねって言われることに、素直に喜べない話。

本題

ここで肝になるのは"若いのに"って部分だと思う。

若さが持つ可能性に気付かないで多くの時間を過ごしてきた。

勉強が全てではないとは思うけど、勉強をすることによって、見える世界は広がるし、周りの人間も変わる。

(気付いてからも勉強なんてたいしてしてないんだけど。笑)

若い"のに"色々考えてることはすごい。

それは裏を返せば、ある程度歳を取れば同じように褒められるわけじゃない。

まあ想像に難しくはないと思う。
15歳で世界一周をした人
25歳で世界一周をした人

どちらも凄いけど、同じ凄さではない。

多くの人は15歳でした方がすごいと考えると思うし、自分もそう思う。

だから、"今"褒められることに、無性に焦りを感じてしまう。ここで満足して、止まってしまったら、、、

こんな強迫的な観念を持ってしまい喜べないんだと思う。


じゃあなんて言われたら嬉しいのか

これ真理なんじゃないかって思う。

自分はどういう風に思われたいのか?
もっと突き詰めると周りにどう思われながら死にたいのか?

この二つって、自分が生きていく上で目標となるもののようなモノだと思う。

その話をする前に話しておきたいことがあって、それは自分の人生が変わるきっかけだった言葉なんだけど。

"常識"とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。(アインシュタイン)

高校生くらいの時に、ネットで見かけた言葉。

見たときに衝撃が走った。今まで自分が当たり前だと思っていたことは、これまでの経験に基づくモノなんだって。

考えてみればそうなんだけど、当時はこの偏見って言葉に衝撃を受けて、物事を多角的な視点から見れるようになりたい!って思ったんだ。

だから、様々な視点から物事を考えられるようになりたくて、挑戦してきた。

視野の狭い人間だなって思われたくなくて、動いてきた。

高校生の頃にこの言葉を見つけてなかったら、もしかしたら今こんな風に色んなことをしようなんて考えてなかったと思う。

結局、ぼくが求めていたのは多角的な視点を持って物事を見ることができる人

若いのに色々考えてる人じゃない

だから、大人に若いのに色々考えてて偉いねって言われても素直に喜べない。し、まだまだぼくの視点は狭いままだなって思う。


ちょっと今回は駄文すぎたけど、読んでくれてありがとう。

死ぬときには、あいつは色んな角度から物事が見れるやつだったなって言われて死にたいな。


2020年9月27日

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