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ケアすることと頑張りは両立するか

今、心の健康が脅かされているとよくいわれる。
先の見通しがつかない世の中、急激に変化した仕事環境、行き場をなくした感情と、いつになったらできるのかわからない外でやりたい事柄の数々。
終わりが決まっていたら頑張れることも、短期間ならやりきれることも、それが不透明で長期化している今だからこそ、不安が世の中全体を覆い始める。

ストレスが積み重なると、人は普段なら許せることが許せなくなってしまう。
普段なら傷つかないところにも傷ついて、やってはいけないことに歯止めもきかなくなってくる。
それって、とっても怖いことで。
皆が一律に一定程度のストレスを受け続けている状況下で、許せなくなってしまったことや傷ついて当たった先が伝播する。
それは自分自身に向けても他者に向けても、通常時より深い傷をつくってしまうから。

だから、異変に気付くことが大切だ。
普段ならこうじゃないのになと思ったら、自分が弱ったり疲れていると認識して自分にやさしくケアをした方がいいし、他者に対しても普段とは違う感じがしたら、それに気づいて手を差し伸べられたらとってもいい。
変化や異変に敏感に気づくことで、早めに必要なことを施して、最小限に留める。
自分の傷も、他者の傷も。

誰かを支えようと躍起になる時、自分のことは後回しにしがちだけど、自分も含めて支えようとすること、まず第一に自分のケアをしっかりやることが、結果としてみんなを救うことに繋がっていく。
ケアをすることは、必要なこと。

自分を労わることが重要なポイントになる一方で、頑張らなくてはならない現実がある。
極端に言うと、今はこういう状況だからただ毎日ちゃんと起きられているだけですごいと思っていよう、と囁かれる一方で、環境の変化に適応できない人は今後職を失うなどという声も耳にする。
ケアだなんて言ってハードルを下げている場合じゃない、今この瞬間にも優秀層との差は開き続けている、とか。
そんな声が聞こえるからこそ、焦りは募るしストレスが増す。
ケアなんて、もう、そんな。

人間は比較する生き物で、目に見える範囲の物事から相対的に現実を認識する。
普段少し焦りを感じていたものが、高ストレス下だからこそ強い焦りに変わる。
同じものを見ていても、受けるダメージが2倍・3倍になって、なんだか苦しくなってしまう。
普段より強くストレスを受けているからケアに2倍・3倍労力を割かなければいけない時に、頑張らなくてはという圧もまた、2倍・3倍になってのしかかる。

こういう時正解なのは、今通常より強く焦りや不安を感じるとしたら、まず頑張りは後回しにしてケアをすることなのだと思う。
遠回りに見えるかもしれないけれど、通常時の自分だったら、そもそも同じものをみてそんなに焦りや不安を感じないかもしれない。
そういう感じ方の部分を0の状態にして初めて、その先の頑張りができる土台となるのだと思う。

普段と異変もないし余裕もあるしな、という時は頑張ったらいいけれど、異変を感じる時は異変を解消することの方がきっと先で。
考えてみれば当たり前のことがよくわからなくなってしまう今、優先順位や感じ方の根底にあるものについて、今一度考え直していきたい。

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