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10代を過ごした場所が消えてゆくからこそ、残しておきたい場所を残すためにできること

こんにちは、コラボレーターのいたやゆかりです。
中学、高校時代、学校には部活のために通っていました。

昼の放送と、体育祭での実況中継やアナウンス、文化祭での番組作り、入学式や卒業式などのビデオ撮影や編集以外は、思いつく限りの様々な事柄を現実にするための役割を果たしていました。

土曜日の午後はビデオ撮影と称して幕張の浜に出かけたり、エヴァゲリオンを部室のビデオモニターで鑑賞会をしたり。首塚で山賊ごっこをし映像化したこともありました。効果音CDを使って即興演劇大会をしたり、修学旅行や林間学校にビデオ機材を持っていき、撮影した映像を編集していました。

100円ずつの会費を集めて数千円でお菓子の大人買い。マショマロをストーブに近づけて焼きマショマロを作ったり、お座敷野球大会が加熱してルールブックができたり。仲間内でメルマガ配信が流行したり、ギターでの弾き語りや様々なジャンルの音楽を聴いていた時期でもあります。

秘密基地のような空間で、「なぜ生きているのか?」「友達とは?」
毎日、様々な問いを立てては恋愛や人間関係や生き方に関する哲学的な話を何時間も飽きずにしていました。いつも新しい世界や概念が自然と入ってきた場所でした。

中学1年生だった私は、高校2年生の先輩達と一緒に放送部の創設に携わりました。出会った頃、高校2年生だった先輩達が卒業して、学校から居なくなってしまった後、私は中学3年生としてまだ在学していました。

がらんとした誰もいない部室に1人で行って、「私は、何がしたいと言うことよりも、誰と一緒に時間を過ごしたいか?が大切なんだな。」と言うことを痛感しました。根底の想いは今も変わらない部分です。

「中学生女子のあるあるだよ!」
「反抗期、きてるね〜」
先輩達からかけられる言葉。

「そうなのかな・・・?!」
中学生の私にとって、3歳や4歳年上の人達と過ごす日常は新たな観点をもらえる場所で、広い視野で物事を捉えることができました。
個性的な人達が個性的なまま存在していたのが放送部の部室でした。

鉄道マニアな人は、夏休み30日間、沖縄以外の全ての県へ鉄道旅に行く計画を立てていますし、キティちゃんのコレクターや、断食の人体実験に挑んでいる人・・・部活の仲間達は個性的過ぎて、誰にも合わせられないし、真似できない。

自分は自分として生きるしかないと諦めのような想いが生まれた場所でもありました。

学校を中退して北欧やアメリカに留学する人達もいて、どんどん夢を実現していく人達が輝いて見えたり、遠くに行ってしまうような寂しさを感じたりしながら、私は、「誰でも足を運ぶことのできるカウンセリングルームが作りたい。」と思うようになりました。

「カウンセリングルーム」と言う表現が正しいかどうかは分からなかったけれど、毎朝一緒に学校に行っていたはずの友人がひっそりと学校を中退していたり、小学校時代の友人の中でも、仲の良い人の大半は生きづらさを抱えている人が多くて、理解してくれる人や環境と出会える機会を創りたいと思っていました。

10代の頃、生きづらさを感じていました。年齢の違う人達と「放送部」を通して、幅広い視野や観点をもらえたことは、今の私のコミュニティ作りの原点になっています。

「誰でも足を運ぶことのできるカウンセリングルームが作りたい。」と言う想いを実際に、東京の文京区茗荷谷で居場所作りやコミュニティ作りを行ってきました。

逃げBarの存在を知った時に、カウンセリングと言うアプローチではないけれど、集団で半ば強制的に環境を変えることで、自分の周りの世界を変えていくことへの可能性を感じました。

逃げBarは、生きづらさを抱えた人が、そのままの自分で足を運ぶことのできる場所。ただ、佇んで、英気を養うことのできる場所。
まだまだ、逃げBarのことを知らない人がほとんど。

だからこそ、ひっそりと逃げられるのだけれど、もっと、必要としている人に届けることが出来たら良いなぁと思っています。

お金がなくても、逃げBarは次の人へのチケットを使って、コーヒーを飲むことが出来ます。資本主義と距離をとっているからこそ、できることや可能性があるのかもしれません。

私自身、お金の流れを変えることに興味があって、新卒でメガバンクで銀行員として法人融資の担当をすることから最初のキャリアを始めました。その後、ソーシャルファイナンスに興味を持って、アフタースクールへ資金提供する事業型のNPOを立ち上げて事務局長や理事長を歴任しました。

子どもだけではなく、大人の居場所として、公園でのパークPFIや公共スペースでのコミュニティの設計などに携わりました。

メーリングリストでのメールのやりとりから派生してオンラインコミュニティに携わり始めて15年。複数のオンラインサロンの運営やDAOでのステーキングなどを一通り経験してきました。

中学、高校時代からお金があることでできる可能性や便利さを享受しながら、人が幸せに豊かに生きるにはどうしたらよいのかをずっと考えてきました。 


放課後、部活を休んでZARDのCDを発売日前日に購入しに津田沼PARCOのCD屋さんへ。そこで、部活の先輩に会って、ロッテリアでコーンスープ1杯で何時間も過ごしたり、津田沼PARCOでコスプレ衣装をレンタルしてプリクラを撮っていました。

津田沼のイトーヨーカ堂の前の公園のベンチで桜を見ながら新学期にお花見したり、遊具の中で話をしたり。イトーヨーカ堂の中にあるダイソーで急に必要なものを買っていた中学、高校時代。

昨年津田沼パルコが閉店したことに続き、津田沼のイトーヨーカ堂の閉店することになったそうです。中学、高校時代の放送部の先輩達と新年の挨拶以来のLINEのやりとりの中で知りました。懐かしい場所が存続できなくなってゆく。時代が変わっていくのを感じます。

今、仲間達と共に、大切にしている場所、逃げBarが存続の危機に直面しています。まずは、逃げBarを知ってくださいな。
そして、クラウドファンディングへ協力をしてくださいな。

その上で、逃げBarの可能性や価値や様々なことを語れたら嬉しいです。
2月29日、「閏日、逃げBar特別企画「白紙」と言う企画があります。
平日ではありますが、午後から私も逃げBarに足を運びます。
この機会に是非、逃げBarに足を運んでみてくださいね。


それでは、味わい深く素敵な日々をお過ごしくださいね!

サポートして頂いた暁には、その費用を次のコラボレーションの原資にしていく事で、より良い社会を創っていきます。 コラボレーターの活動を通して、社会的孤立感を無くしていきます!!