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権力関係だとそもそもかかわりを大切にできないのでは
権力関係において感情を向けられるのがマジで嫌すぎる。許すまじ。と思いながら考えていたら権力関係とかかわりの話に行き着いた。
●権力関係における居心地の悪さ
権力関係におけるかかわりの居心地の悪さは、自分の考えを伝えられない、伝えてもよく理解されないまま理解され議論にならない、自分の嫌いな感情を向けられたときに拒否できない、あるいは軽視されるというような居心地の悪さである。
居心地の悪さの原因
感度が低い状態でも自分の無自覚な感覚や感情を見つけ出す(自分を無視しない)ためにやっていたこと
自分の無自覚な感覚や感情を見つけ出すにはまず一つに、感性を研ぎ澄ます、敏感になる、そしてそのために自分自身を見つめる、あるいは誰かと話して他人を通して自分のそれらの感覚と触れ合う、というやり方があると思う。
これらのやり方には次の条件が必要だ。
1.敏感で研ぎ澄まされた感覚の維持
2.(外部のノイズを減らし)自分自身と向き合う環境と時間を設ける、そのための気力、余力がある。
これができる環境に
「当たり前」の立場と「自分で考える」立場の溝
「当たり前」の立場で生きる人間と、「自分で考える」立場で生きる人間の相違点について、考えてみる。
思考のためにここでは完全に「当たり前」の立場で生きる人間と完全に「自分で考える」立場で生きる人間の2つに区分して思考してみる(実際には完全に分けられるものではなくそれぞれのバランスで「当たり前」の立場、「自分で考える」立場が一人の人間の中に混在していると思う)。
2つの立場の対称性
当たり前に合わせ
「自省的だがコミュニケーションが下手」はだめなのか
「自省的だがコミュニケーションが下手」いわゆる、自分を振り返り反省しがちではあるが「コミュ症」(疾患ではなく、俗語的な意味での)などがだめなのか。というところに引っかかったので書いていく。
(”コミュ障”など、コミュニケーションによる明示的なカテゴリ訳の言葉はとがった極端なものが多く、とげとげしさを感じてあまり使いたくないので、言葉として出すか迷ったがイメージを具体化しやすいためあえて使用してい
会話する「力」じゃなくて「幅」、あと「解像度」「深度」「感度」
はじめにいろんな集まりや集団――例えば友人関係とか行きつけのカフェとかボランティアとかオンラインのイベントとか――にて交わされる会話をみていて、ここはコミュニケーション力が高い人だの低い人だの簡単に言えるのか、と思った。
また、いろいろな話を聞いたり、自身で経験を積んでいくうちに、会話においてほかにもいろいろな相違点、ずれみたいなものが引っかかったりきつくなったり、逆に楽しくなったり共感を持てたり