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「差」じゃなくて、「違い」だった

「違い」を「差」だと思うから、前に進めないのだ。

誰かと自分を比較した時に何を感じるかは、誰かと自分の間にあるギャップを「違い」と解釈するか、「差」と解釈するか、そのいずれか次第かもしれない。

ネガティブな気持ちになるのか、何とも思わないのか。

ネガティブな気持ちになる時は、たいてい「差」と解釈した時だろう。

どこか相手に憧れていて、いや勝手に憧れていて、勝手に遠く感じて、勝手に追いつけない気がして、勝手に自己肯定できなくなる。

さらに、そういう時に限って、向こうは自分のことを何とも思っていない。

自分になくて相手にあるものは、その逆も含めて、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。

単に、自分になくて相手にあるだけ。

自分にとって「差」であるかもしれないが、「差」である前にまず「違い」なのではなかろうか。

だから、受け止め方の問題であって、自分自身の解釈次第。

今まで「ギャップ」という言葉に逃げていたのは、「差」とも「違い」とも受け止めたくない自分がいたからなのだろうか。

つくづく、横文字って便利だ。

この状況ってどんな言葉で表現すれば良いんだろう、この気持ちってどんな言葉が似合うかな、そんな時横文字を使えば、良い塩梅で曖昧にできる気がする。

そうやって曖昧にしてきた結果が今だけど、しばらく「ギャップ」という言葉を使う必要は無さそう。


相手との「差」を受け容れることはできなくても、「違い」なら受け容れられるかもしれない。

多様性、多様性ってよく耳にするけれど、多様性を受け容れ合うためには、「差」を「違い」と解釈できる心もちや心の余白が必要なのかもしれない。

今の自分に、そんな余白がどれだけあるのだろう。

「今の自分」と言うのも、どこか過去の自分との差を感じていて、その心情の現れなのかな、なんて思えてしまう。

そんなことばかり思うだけの余白なら、いくらでもあるんだけど。

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