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「ゲド戦記」は、なぜ父殺しの物語になっちゃったんだろう?

今回はジブリ屈指の駄作として名高い、「ゲド戦記」について書いてみたいと思う。
個人的には、言われてるほど駄作ではないと思うけどね。
これを駄作の基準にしてしまえば、世のアニメのかなりの部分が駄作認定をされてしまうよ?
とはいえ、まぁ面白い作品とはいえないのもまた事実。
この作品に最も適した語彙を敢えて挙げるなら、「野心作」、これに尽きるだろう。

宮崎吾郎氏が、まず最初に描いた「ゲド戦記」ビジュアル
吾郎氏の描いた絵コンテ

まず、宮崎吾郎は親の七光りでただのボンクラな息子だと誤解している人もいると思うが(いや、さすがにおらんか?)、そういう人には上の画をみてもらいたい。
彼は美大出身というわけでもなく、アニメーターの経験があるわけでもないのに、こういうのをさらっと描けちゃうのって凄いと思わんか?
しかし、アニメの現場でほとんどキャリアのない吾郎氏が、いきなりジブリの大作の監督をやるというのは、あまりにも無理がある話だったのも事実。
・・なぜ、こんなことになったのか?
もともとは、彼の父である宮崎駿が「ゲド戦記」のファンで、ずっと昔から著者ル・グウィンにアニメ化のオファーを出し続けてきたわけよ。
だけど毎回、許可は出なかった。
なのに「ハウルの動く城」が終わった頃、突如ル・グウィンから自筆の手紙が届き、中には「例のアニメ化の件、話し合いましょう」と書いてある。
まぁ、この流れからすると、巨匠が「ゲド戦記」を監督するのが筋だよね?
あれほど熱烈にオファーしてた張本人なんだから。
ところが巨匠は、「俺はやらん」と言う。
「ナウシカ」「もののけ姫」「千と千尋」など、今までずっと「ゲド戦記」のエッセンスを絞ってきた巨匠からすると、絞りつくした今のタイミングがあまりにも遅すぎた、ということらしい。

「ゲド戦記」著者、故ル・グウィン

で、困ったのが鈴木敏夫プロデューサーである。
せっかく念願のル・グウィンと交渉できる機会を得たのに、
アニメ化の件、もういいです
と返事するのはあまりにも忍びない。
しかし、頑固な巨匠は「やらん」と言えば絶対やらんのだろうし、誰か別の人にやってもらうしか道はない。
でも、これがまた最悪のタイミングだったんだよなぁ・・。
というのも、以前「ハウル」の監督を巨匠に依頼したところ、
俺じゃなく、若い奴にやらせた方がいい
と返事され、断られたことがあったんだ。
しようがないので、外部から細田守を「ハウル」監督として一本釣りして、
いよいよジブリも世代交代か?
とスタジオの空気が一気に盛り上がったわけね。
・・ところが、だ。
何があったのかいまだ詳細は明かされてないが、絵コンテをほぼ仕上げてたという細田さんが、なぜか急に降板したのよ。
で、「やらん」と断言してたはずの巨匠が不自然にもあとを継ぎ、細田さんの描いてた絵コンテは全てボツ、またイチから全部やり直し、という事態になった。
・・これ、細田さんはいまだこの件について言葉を濁してるけど、明らかにこの実態はクビだよね?
どっちかというと、ジブリ側が細田さんに対して掌を返した不義理である。
人によっては、
ジブリって外部の人材(宮崎・高畑以外)を使えない、むしろ潰す
という、穿った見方までされるわな・・。
こういうややこしい件があった直後に、よりによって、この「ゲド戦記」の件ですよ。
今回また宮崎駿が「やらん」と言ったのはいいとしても、他の人材を探そうにも細田守の一件がいまだあとを引いてる中、今さら一体誰に依頼できようか・・。

宮崎吾郎

で、この宮崎吾郎氏についてだが、実はめっちゃナイスガイである。
絵が巧く、頭もよく、社交的で、イケメンで、誠実で性格もいい。
そもそも「誰もがやりたがらない」状況だった「ゲド戦記」監督を、吾郎氏が引き受けたというのも、「熱心に頼めば最後は絶対OKしてくれる」という彼の性格を熟知していた鈴木敏夫の企みである。
もとは建築事務所で働いてたという彼を熱心に口説き、ジブリ美術館の館長にまで就かせたのも他ならぬ鈴木さんの企みだったわけで。
鈴木さんにとって吾郎氏は、めっちゃ重要なカード。
というのも、巨匠があまりにもややこしい人ゆえ、ジブリ内では皆が巨匠の一挙手一投足にビクビクしてるわけね。
まぁ、巨匠とアニメーターたちとの間を繋ぐのが鈴木さんの役割でもあったんだが、「俺一人じゃ無理」というのもあり、どうしても自分以外にパイプ役できる人材がもうひとり欲しかったんだろう。
そしてそういう役回りなら、性格よくて社交性のある、吾郎氏以上の人材はいない。
しかもこの人、めっちゃ自分の言うこと聞いてくれるし・・。

「ゲド戦記」父殺しのシーン

じゃ、作品の内容に入るね。
やはりこの作品における最大のキモは、主人公アレンの「父殺し」である。
実はこれ、原作にはないジブリの完全オリジナル要素さ。
この父殺しがあるからこそ、アレンがああいう精神疾患的キャラ造形になるんでしょ。
ボタンの掛け違いは、全てここから始まってるといっていいだろう。
吾郎氏は、なぜこんな設定にしてしまったのか?
・・いやいや、違うんだ。
これ、吾郎氏のアイデアじゃないから。
これはきっちり証言がとれてるが、実は鈴木敏夫のアイデアである。
事実、鈴木プロデューサーはこの映画にわざわざ

「父さえいなければ、生きていけると思った」


というキャッチコピーまで添えるという念の入れようである。

じゃ、鈴木さんはなぜこんなことをしたのか?
そんなの簡単、映画の興行収入をアップさせる為さ
巨匠がこの映画の監督を固辞した時点で、鈴木さんとしてはもう百億以上の興行収入は諦めていただろう。
それでも次善の策を講じるのがプロデューサーの役割であり、そこでパッとひらめいたのが

「宮崎駿の息子・吾郎に、『父殺し』の映画を作らせよう」


というアイデアである。
幸いにも、この親子は割と不仲なんだ。
これ、うまいこといったら【海原雄山vs山岡士郎】っぽいギミックになるんじゃね?という企みだね。
ちなみに吾郎氏は、この作品の完成後にこういう発言をしている。

正直に言えば、今はまだ自分が何を作ったのかよく分からないんです。
理屈として考えたことは確かにあったはずだけど、振り返るとワケが分からない。
一体僕は何を作っちゃったんだろう?っていうのが正直な心境ですね

そりゃそうだろう。
宮崎駿の息子とはいえ、アニメーターとしては完全にシロウトである。
そんな彼が監督できたこと自体奇跡だし、おまけに脚本から主題歌の作詞に至るまで、未知の領域に果敢に挑んだわけよ。
めっちゃ頑張ったと思う。
しかも、鈴木さんから「父殺し」という物語を破壊するお題まで与えられ、そういう足かせがありつつも完成まで漕ぎ着けた。
吾郎氏って、ぶっちゃけ凄いよ。

鈴木敏夫プロデューサー

まぁ、この「ゲド戦記」が駄作とディスられてるのは現実として、その汚名を受け止めるべきは吾郎氏でなく、私は鈴木敏夫だと思う。
だって、業界シロウトの吾郎氏を抜擢したのは彼だし(巨匠は猛反対)、「父殺し」という原作解体もまた彼のアイデアなんだし、全て諸悪の根源は彼だったと断言していい。
ただ、彼はプロデューサーとして間違ったことはしてないのよ。
事実、この作品は「コケた」といわれつつも、興行収入78億である。
「ゲド戦記」以前にジブリは2度、宮崎・高畑以外の監督を起用してるんだが、
・近藤喜文「耳をすませば」⇒興行収入31億
・森田宏幸「猫の恩返し」⇒興行収入64億

これらより興行収入はきっちり上回ってるんだ。
やはり、鈴木さん主導の「父殺し」ギミックが効いたと見るべきじゃない?
実際、ギミックなしで吾郎氏が作った「コクリコ坂から」は興行収入45億で、「ゲド戦記」を大きく下回ることになったんだ。
とはいえ、映画としての評価は「コクリコ坂」の方がいいんだけど。

テレビアニメ「山賊の娘ローニャ」
映画「アーヤと魔女」

で、「コクリコ坂」以降も吾郎氏はちゃんと仕事してるんだよ。
「山賊の娘ローニャ」「アーヤと魔女」、このふたつは
・子供向け安心コンテンツ
・3DCGコンテンツ

という意味で、ジブリにとってはとても大事な意味をもっていた。
あまりにもオールドスタイル(セル画偏重)な現状のジブリ、もっと真剣に宮崎駿脱却を考えていかねばなるまい。
多分、上記2作品は鈴木さん主導だね。
そして「ちゃんと言うことを聞いてくれる」吾郎氏は、いまやジブリの屋台骨といっていいだろう。
そもそもジブリは、あまりにも寡作すぎる。
きっと鈴木さん的には、家内制手工業の体制から量産型工場の体制にもっていきたいはずなんだよ。
でなきゃ、巨匠没後にジブリは潰れてしまう。
その為にも3DCG、デジタルはひとつのカギである。
多分、吾郎氏は「アーヤと魔女」の延長線上のものに今後携わっていくんじゃないかな?
それはそれで、ありだと思う。
あるいは、3DCGによる「ゲド戦記」、今度こそ原作準拠でちゃんとしたのを作るというリベンジをしてみるのもいいんじゃないの?
あの映画にル・グウィンが「私の作品じゃない」とキレたのは確かだけど、色々あってル・グウィンの息子さん(今は彼が著作権管理してるのでは?)と吾郎氏は意気投合し、めっちゃ仲良くなったらしい。
やっぱ「偉大な親」を持つ者同士、その辛さを共有できたんだろう(笑)。
つまり息子さんとのコネがある以上、「ゲド戦記」リベンジは今でも可能だということ。
私、吾郎氏の今後にめっちゃ期待してますよ!


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