岡田磨里、その性癖は禁断の領域にまで踏み込んでしまった・・
今回は、映画「アリスとテレスのまぼろし工場」について書いてみたい。
これは言わずと知れた、あの岡田磨里の監督第2作である。
彼女の初監督作といえば、「さよならの朝に約束の花をかざろう」だね。
私、これ見て号泣したクチなんですよ。
初監督作は、彼女と所縁の深いP.A.WORKSの制作だったわけで、やっぱり、岡田⇔P.A.の関係は特別なものだよな~、と思ったのも束の間、続く第2作で岡田さんはあっさりMAPPAの方の企画に乗ったのよ(笑)。
この寝取られシチュエーションに興奮したのは私だけですか?
(*´Д`)ハァハァ
このタイトルと宣伝ビジュアルだけじゃ、映画の内容が全然想像つかないよね。
語感は、何となく「チャーリーとチョコレート工場」を彷彿とさせるけど、いえいえ、そんなのとは全然違います。
じゃ、どんな内容かというと、これがもう説明が難しいんですよねぇ・・。
だって、説明をしようとすると、絶対物語の核心部分のネタバレをせざるを得ないことになるし、そういう意味で映画関係者は宣伝がやりにくかったと思うんだ。
結果、ロクに宣伝できなかったこともあってか、興行収入は結局2億程度で終わったんだってさ。
・・まぁ、こういうのも巨匠・宮崎駿の作品なら
「映画の内容は特に事前説明しないけど、とりあえず劇場に来い!」
という傲慢な手法でもお客さんは来てくれるんだけど、さすがに岡田磨里のネームバリューでは、ちょっとそれは無理があったみたい。
とはいえ、作品の評価としては毎日映画コンクールのアニメ部門を受賞したらしく、決して失敗作というわけではない。
さて、どうしようかな・・。
これから作品の内容に入るんだが、先ほど言ったように本作は物語の構造に触れると絶対ネタバレ部分に抵触するので、できれば未見の方はここから先を読まない方がいいと思う。
まずは、作品を見てもらってからの方がいい。
未見の方で視聴環境にない方は、まずネットで「The Illusion Factory of Alice and Therese」というワードを使い、動画検索をしてみてください。
おそらく、無料動画がヒットするはず。
・・じゃ、そういうことで。
はい、ここからがネタバレです。
早速、あらすじに触れましょう。
まず舞台設定として、主人公たちが住む町・見伏は、ひとつの製鉄工場を軸にして経済が循環している企業城下町なんだ。
そして、その肝心の製鉄工場がある日突然、事故で爆発炎上してしまう。
で、その爆発の瞬間、なぜか見伏の町全体が謎の障壁に包囲されてしまい、住民たちは町の外へ出ることができなくなり、さらに連絡をとることすらもできなくなってしまう。
なぜか、完全に見伏がセカイから隔離されちゃったわけね・・。
じゃ、一体いつ救助がくるのか?
いえいえ、ず~っと救助は来ないんですよ。
そうこうしてるうちに、見伏の町はセカイから隔離されたまま、10年以上の歳月が経過したらしい(笑)。
どうやら、町は「時が止まった状態」にあるらしく、主人公・正宗は工場の爆発時に14歳だったんだが、あれから10年以上経っても14歳のまま、今なお中学に通ってるという「ビューティフルドリーマー」状態。
いや、「ビューティフルドリーマー」のループならループ以前の記憶が消失するのでまだいいが、本作のループは皆に記憶があるらしくて、妙な話だが正宗は中学生のクセに運転免許証を持っている。
確かに、見た目こそ14歳にせよ、実際はそこから10年以上経過してるだけにもう立派に成人だもんね。
で、この不思議現象のカラクリについて、本作は割と早い段階で解明されてしまいます。
<ネタバレ>
まぁ早い話、この隔離された見伏は「現実」じゃなく「現実のコピー」で、そこに住む人たちも「現実」じゃなく「現実のコピー」。
つまりコピーゆえ、みんな齢をとらないんですよ。
一体、誰がそんなことを仕組んでるのか?
作中、そこは最後まではっきりしない。
おそらく、工場が爆発炎上⇒町が衰退する、と見た土地神様が、衰退する前の町を「保存」しようと町の複製を試みたんじゃないか、という見方が濃厚みたい。
複製ということは、当然「ホンモノ」が現世に存在するわけですよ。
こっちの虚構世界にいる自分はニセモノなんだが、現実の世界にはホンモノの自分がいる、という構造。
この現象を量子力学の観点で見ると、
「観測者がいて、初めてセカイは存在する」
というのが原則なわけで、しかし住民全体が幻である以上、それは「観測」が成立しないよね?
おかしいな~と思ったら、案の定、「観測者」はいたんですよ。
それが、この子なんです↓↓
一部のオトナたちが、人知れず廃墟に監禁してた少女。
どうやらこの子、幻でなく現実世界の人間らしくて、いつの頃の話かの詳細は不明だが、とにかくだいぶ前、この世界に迷い込んでしまったらしい。
現実世界側から見ると、「神隠し」にあった子だろう。
たまたま正宗はこの少女の存在を知るんだが、その顔を見て彼は驚く。
なぜなら、自分のクラスメイトのムツミと顔がウリふたつだったから・・。
<ネタバレ>
この少女の正体は、現実世界の正宗⇔ムツミの間に生まれた子供だった。
彼女は幼少期にこの世界に迷い込んだらしく、そこからずっとこの壁内世界のオトナたちに監禁されてきたらしい。
オトナたちは、彼女という「観測者」がいることで壁内世界が消滅しないというメカニズムを理解していたんだろうね(多分、彼女がいなくなると壁内の世界はいずれ消滅するのかと)。
やがて、正宗は少女をイツミと名付け、交流を持つようになる。
学校にも行かせてもらえず、年相応の知性のなかったイツミに対して教育を施すんだけど、そうこうして仲良くなるにつれて、どうやらイツミは正宗に対する恋心のようなものが芽生えていたようで・・。
いやいや、それはさすがにマズイって!
・・イツミと正宗は、現実世界だと親子じゃん?
ややこしい三角関係やな・・。
だけどさ、これぞ岡田磨里お得意の定型パターンなのよ。
岡田さんは、昔から
<齢をとらない存在⇔齢をとる存在>の男女
を描くのが大好きなんです。
<齢をとらないメンマ⇔齢をとるジンタン>
<齢をとらない慎之介⇔齢をとるアオイ>
<齢をとらないマキア⇔齢をとるエリアル>
ことあるごとに、この固有のシチュエーションを描くということは、純粋にこれが岡田さんの性癖なんだろう。
「齢をとらない相手を好きになってしまった・・」
こういう禁断の恋シチュエーションに、グッときちゃう性癖なのかと。
あと、岡田さんの性癖はもうひとつあって、たとえば「空の青さを」では
<姉⇔妹を含む三角関係>
という禁断シチュエーションだったでしょ?
そして「さよならの朝」では、
<息子が養母を女性として意識するようになる>
という禁断シチュエーションだったでしょ?
敢えて岡田さんは、こういう最もヤバいところ、
<家族内に持ち込まれた禁断シチュエーション>
をグイグイ攻めてくるんだわ。
だけど一番ヤバいのは、おそらく今回の「アリスとテレス」だね。
だって、「さよならの朝」のマキア⇔エリアルは親子とはいえど血縁関係はなかったのに対し、「アリスとテレス」の正宗⇔イツミは、完全に血縁関係ありの親子じゃん?
しかも、イツミの恋敵ムツミは、イツミ自身の母じゃん?
これ以上ヤバい禁断のシチュエーションなんて、私は今まで見たことがないよ(アダルトビデオは除く)。
岡田さんは作品を重ねるたび、その性癖の歪みがどんどんパワーアップしている・・。
ちなみに、本作では<正宗の母⇔正宗の叔父(父の弟)>といった関係性も妖しく描かれてて、つくづく磨里ちゃんスキねぇ、と言いたくなってしまいます。
ただ、岡田さんはこれまで一貫して
禁断の恋は実らない(一方の片想いで終わる)
という描き方を徹底してきたのも事実。
一応、「アリスとテレス」でもそうだった。
いや、どうだろう?
本作では表現が前作よりも一歩踏み込んだのは事実であり、この調子でいくと、3作目では遂に・・という展開も考えられなくはない。
そうそう、忘れちゃいけないことがひとつ。
あの中島みゆきが、この作品の為に主題歌を作ってくれたんだよね。
この「心音」聴いて、なんかしっくりきたなぁ。
じゃ、こちらをひとつお聴きださい↓↓
歌詞と映像のシンクロが実に見事で、私、これ見てマジで涙が止まりませんでしたよ・・。
うん、これ聴いて、改めて「アリスとテレス」は名作だと確信。
ぶっちゃけ、岡田磨里の文学性と中島みゆきの文学性、この2つはほとんど同一といってもいいよね?
というより、
この「アリスとテレス」という作品って、総括すると、中島みゆきの文学性をまるごと映像化したものなんじゃない?
結局のところ、それが一番正しい本作の解釈のように思えてきたわ。
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